751 番外霊場金刀比羅宮 [Oct 17, 2018]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

朝のお勤めは1時間続いたので、朝食は7時過ぎになった。奥の方では、お坊さんたちが朝食をとっている。海苔とお漬物、じゃこ天、高野豆腐という和食である。宿坊らしい、贅沢ではないけれども歩くパワーが湧いてくるような朝ごはんだった。

支度が終わって8時前に出発。部屋に置いてあった善通寺発行の情報誌「へんじょう」に載っていた閻魔堂を見て行く。御影堂のあるエリアの一画、親鸞堂と並んで閻魔堂がある。真言宗の善通寺に親鸞堂というのは妙だが、高僧の夢枕に親鸞が立ったという謂れがあるらしい。

閻魔堂に祀られているのは、十王信仰に基づく閻魔王をはじめとする諸王である。十王信仰は道教の影響を受けて発達したもので、弘法大師よりずっと後の時代に盛んになった。この仏像も江戸時代のものである。

札所の十王堂はそれほど多くはない。毘沙門天や観音堂、五百羅漢、石槌近辺のように聖天堂(善通寺にもある)というケースはあるが、目立つ場所に十王があるというのは、善通寺が初めてである。

閻魔王を中心に、秦広王から五道転輪王までの十王、俱生神二柱・脱衣婆までの十三体の彩色木像が格子戸を隔てて参拝者と直接面している。死者の「業」を計る業秤(ごうばかり)も、人間が生まれてから死ぬまで両肩で見張っているという俱生神の傍らに置かれている。前面の扉は早朝だが開かれていた。

これらの仏像を見て物思いにふける。弘法大師の時代は、水不足を解消したり疫病をなくしたり、いわば先進技術を取り入れていけば幸せになれると信じていた。大師伝説のほとんどは杖を突いて水を出す話であり、疫病や不自由な体に苦しむ人々を救う話である。現代であれば、土木工事や抗生物質で解決する話である。

ところが、技術が進んでも争いごとは減らず、貧富の差はなくならないし多くの人は幸せにならない。だから鎌倉仏教の法然や親鸞は阿弥陀如来の浄土信仰を重視し、信賞必罰を徹底するため十王信仰も盛んになった。「地獄」と「極楽」は今日に至るまで人間の行動を律する基準であり続け、いくら技術が進んでもそれは変わらない。

本堂の方に歩いてゆくと、自転車を引いたおじさんに話しかけられた。

「順打ちかい。ここまで来れば、あと坂があるのは白峯くらいだよ」

「ありがとうございます。ここ何日か山ばっかりで。」

「せっかく来たんだから、右手から出て、塀伝いに2つの門を見ていくといい。次の金蔵寺は、そのまままっすぐ行って線路を超えたら左。案内が出てるから分かるよ」

区切り打ちなので今日で終わりだけれど、あえて言うこともない。教えていただいたとおり、2つの門を見て行く。南大門を出て、塀伝いに90度左折すると赤門である。南大門には、山号の「五岳山」の扁額が掲げられている。赤門は名前のとおり朱塗りで、南大門よりやや小ぶりである。JR善通寺駅は、ここをまっすぐ行けば着くはずである。


いろは会館朝食。朝のお勤めが終わると、食事の準備ができている。


朝の御影堂。ここで朝のお勤めがあり、終わると地下の「戒壇めぐり」を体験できる。


「五岳山」の扁額が掲げられた南大門。本堂の正面になるので、順打ちでは見るのが最後になる。

 

今回の区切り打ちコースを考慮するにあたり、金刀比羅宮をお参りして終りにしようと思ったのはいくつかの理由がある。

その一つが、区切り打ちの経験談をWEBで探すと、金刀比羅宮はスルーして金蔵寺に回ってしまうか、お参りするとしてもJRにひと駅乗ってしまうかで、歩くとどのくらい時間がかかるか分かる記事が見つからなかったのである。

「霊場記」ではわざわざ金毘羅宮の節を作って挿絵も描いているくらいだし、真念「道指南」でも、「こんぴらにかくるときは」と特筆されているから、金刀比羅宮まで歩いた遍路記事があっていいはずである。それが、あまり見ない。だったら自分で確かめる他はない。

もう一つは、出張で何度も高松空港に来たことがあり、そのたびに市内の交通混雑で大層うんざりしたからである。高知や松山のようにバイパスがある訳ではなく、徳島と比べて交通量が格段に多い高松は、空港からJR乗り継ぎのアクセスがよくないのである。まして、高松発の電車がたくさんある訳でもない。

次回のスケジュールを考える上で、高松空港からJR高松駅に出て善通寺というルートは、どうにも気が進まない。探すと、高松空港から琴平というバスがある。距離的には似たようなものだが、渋滞になることはないだろうと思われた。

善通寺からJRの駅までは土産物店が並んでいるのかと思ったら、普通の民家や商店がほとんどであった。なるほど善通寺は寺の名前でもあるが、善通寺市のすべての人がお寺の関係者という訳ではない。普通の生活も、もちろんあるのである。

20分ほど歩いて線路まで来て、地下道をくぐって向こう側に出る。すぐ交差した太い道は県道であるが、「金毘羅様5㎞」と表示がある。5㎞の平坦ならば1時間ちょっとで着くだろうと気楽に構えていたら、ここから20分歩いてもまだ5㎞なのである。国道の㌔ポスト以外は信用できない。

しばらく歩いて、ようやく国道と合流する。㌔ポストの数値が4㌔なのは、琴平が始点なのだろう。大麻神社前を過ぎ、琴平市街に入ったのは結局10時前で、善通寺から1時間40分かかった。

琴平市街はホテル・旅館と土産物店が続き、にぎやかな街並みが金刀比羅宮参道まで続く。行先表示にしたがって右折すると、すぐに石段が始まる。石段の両側もずっと土産物店で、こんなにいっぱいあって共存できるのだろうか。

土産物店でやたらと日本刀があるのでなぜだろうと思ったら、清水次郎長が敵討ち成就の御礼に金刀比羅宮に日本刀を奉納したという。ちなみに、次郎長の代理としてお参りしたのが森の石松で、四国に渡る舟の中で言ったのが「江戸っ子だってね。寿司食いねえ」という有名なセリフである。令和の現代に、森の石松がどの程度知られているかという話はあるが。

それにしても、金刀比羅宮が八十八ヶ所に含まれていないのはなぜだろうと思う。現代の感覚としては、一ノ宮はともかくとして、八幡宮や三嶋神社、新井田五社より金刀比羅宮だろうと思う。「道指南」に名前が出ているくらいだから、真念の時代(元禄期)にはすでに有名であった。

ところが実際には、延喜式に名前が載っている訳ではなく(他の名前だったという説もある)、戦国時代には多くの札所と同様に荒廃していた。江戸時代初め、山麓にある松尾寺の住職が丸印に金の印を入れたうちわを作り、庶民の人気を集めたのが今日の知名度に結びついたという。

参道の長い階段の両脇にも、「松山 △△屋善兵衛」「高松 XX屋辰吉」など名前入りの石柱が続くけれども、逆に考えれば江戸時代まではあまり整備されていなかったということでもある。「金毘羅舟々」の唄や、森の石松のエピソードで有名になったけれどもそれらは明治以降の比較的新しいものであり、弘法大師や一遍上人とは時代が違う。


善通寺から1時間半歩いて琴平市街。直角に右折して表参道に入る。もう少し先から石段が始まる。


大門のすぐ下。ここまでが土産物店で、大門を過ぎると五人百姓と資生堂パーラー(w)だけが営業できる。


石段はまだまだ続く。ばあさんを背負ったじいさんの銅像があるかと思ってひやひやしたが、さすがにそれはなかった。

 

ほっとしたのは、金毘羅様の石段は1400段と記憶していたのだけれど、御本宮までの段数は785で、あとの700は奥宮までの段数だったことである。空港バスの時間があるので1400段登って下りられるかどうか心配であったが、予想の半分で済んだ。途中に平らな部分が何ヵ所かあるので、自然と休み休み登れるのもうれしい。

もしかすると、ばあさんを背負って登る笹川じいさんの銅像があるのではないかと心配したが、さすがにそういうものがあるのは田町近辺だけのようで安心した。「戸締り用心火の用心」のおじさんは、今の私より年とってから母親を背負って金刀比羅宮の石段を踏破した。かつては全国の競艇場にそうした像があったものだが、いまはどうなんだろう。

いよいよ御本宮まで最後の石段となった。参拝者はここにもたくさんいて、しかも中国系の団体客が多い。9月の北海道ではほとんど見かけなかったのだが、西日本なら大丈夫という読みだろうか。金毘羅様を信仰しているとも思えないが。

(注.2018年夏に北海道で大きな地震があり、交通機関や宿泊施設に影響が出て中国人観光客がほとんどいなかった。)

金刀比羅宮は明治の神仏分離以降この名前で呼ばれるようになったが、それ以前は神仏混淆の金毘羅様として知られていた。祭神は大物主神、もともと奈良の大神(おおみわ)神社に祀られている大和朝廷以前の神様である。ヒンズー教のクビラ神と習合して金毘羅大権現となり、農業・殖産・医薬・海上守護の神として、全国から広く信仰を集めた。

御本宮前からは、眼下に琴平市街の眺めが広がる。左手に善通寺市、右手は弘法大師建造の満濃池のある方向である。神前で、二礼二拍手一礼して区切り打ちが無事に完結した御礼を申し上げる。御本宮は渡り廊下で大物主神の后にあたる三穂津姫社につながっており、その向かいに神札授与所がある。ご朱印をいただく。札所と同じく300円である。

お参りを終えて表参道のグランドレベルまで下りると11時だった。ちょうどお昼の時間なので、呼び込みをしていたうどん店に入る。ぶっかけうどんにちくわ天を付けて610円。前日の出釈迦寺前のうどんよりかなり高いが、場所代込みだからこうなるのは仕方がない。

空港バスが1時過ぎだったので、日帰り入浴をすればちょうどいい時間になると思ったのだが、「湯」の大きな看板のあるホテルまで行くと、扉に「2017年12月をもちまして日帰り入浴を終了しました」と書いてある。これだけ大きく看板を掲げていれば温泉に入れると思うのは人情だと思うのだが(ホームページだって2018年10月には、「日帰り温泉でほっこりと」と書いてあった)。

あきらめ切れずに、日帰り入浴ありと看板のあったすぐ先のホテルに行くと、あっさり「日帰り入浴はやってません」と言われた。ここは鉱泉の沸かし湯なので、文句をいったところで熱いお湯が出てくる訳ではない。とはいえ、私の中で琴平町の好感度が大幅にダウンした一瞬であった。

仕方なく琴電琴平駅まで歩いて、自販機の飲み物とアイスクリームでゆっくりする。wifiが通じていたので、1時間ほどの待ち時間をつぶすのは苦にならなかった。空港バスの停留所に琴電琴平はないけれども、「大宮橋」バス停が琴電駅前である。

12時17分のリムジンバスで高松空港に向かう。予想通り渋滞はなく、ぽかぽかと日当たりがいいものだからバスの中で寝てしまった。高松空港にお遍路更衣室がないのは想定外だったが(四国の空港でここだけない)、トイレでなんとか着替え、14時のエアで羽田へ。この時間であれば、帰りの電車はラッシュ前に間に合う。

この日の歩数は23,257歩、GPSで測定した移動距離は10.9km、第9次区切り打ちの総移動距離は、壬生川から琴平まで182.2kmでした。

この日の経過
善通寺 8:10 →[7.2km]
9:50 琴平市街 9:50 →[1.8km]
10:30 金刀比羅宮 10:40 →[1.2km]
11:00 門前うどん店 11:15 →[0.7km]
11:25 琴電琴平駅(→[空港バス]高松空港)

[Mar 21, 2020]


参道の土産物店街から785段ある石段もいよいよ最後。ここを登ると金刀比羅宮本宮。奥宮までさらに数百段ある。人が見えなくなることはない。


金刀比羅宮御本宮。明治以前は神仏習合で、海上交通の守護としてひろく信仰を集めた。


これだけ大々的に表示してあれば温泉に入れると思うのは人情だが、「湯」看板の下まで行くと「日帰り入浴の営業は行っておりません」と貼り紙がある。