091 吾国山・難台山 [Jan 30, 2020]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

前回登った加波山では、予想外の苦戦をしてしまった。確かに、房総の300m400mと違い、茨城の山は低いといっても加波山・燕山は700mある。そんなに簡単に登れるものではなかったのだ。

次回は、あんなバテ方はしないようにしようと機会を探っていた。2020年1月はまるで秋雨前線のような前線が南海上に停滞して、ぐずついた天気が続いたが、月末になって2つ玉低気圧が通り過ぎると一転して春の陽気となった。

これを見逃す手はない。なんといっても、こういう場合に気楽に動けるのがリタイアしたメリットである。1日で準備して、1月30日の木曜日、再び常磐線から水戸線を目指す。

今回の目的地は前回登った加波山の東側、ちょうど雨引山・燕山・加波山と向かい合って並んでいる吾国山(わがくにさん)・難台山(なんたいさん/なんだいさん)である。2座とも、ちょっと変わった名前である。

スタートは水戸線の福原駅。福原の前は稲田駅だ。稲田って聞いたことがあるな、とつらつら考えて、親鸞が流罪の後で関東に移って布教した場所であることを思い出した。

調べると、福原と稲田の間あたりに稲田御坊西念寺というお寺が残っている。不公平がないように大谷派(東本願寺)・本願寺派(西本願寺)いずれにも属していないそうだ。

8時15分に福原着。跨線橋を昇り降りして駅舎へ。下りたのは私ひとりだった。駅前の通りは一車線。車のすれ違う幅はあるけれども、ちょっと心細い。そういえば、茨城ってこういう道が多かったと思い出す。

ハイキングコースには、案内看板がこまめに立てられている。㉓、㉒と番号が振ってあるのは案内看板の番号で、住宅地では曲がり角ごとにあって分かりやすい。

それにしても、いい天気だ。風もなく暖かい。冬とは思えない陽気である。北関東道の高架下から折れて山に向かう。右手には、前回登った燕山・加波山が見える。ヒヨドリが大声で鳴いている。家にもよく来るのだが、同じように聞こえるのは親戚なのだろうか。

しばらく歩くと、案内看板と丁石がダブルで置いてあった。「従是我国山二丁目」と書いてある。昔は我国山と書いたようだ。この丁石は三丁目・四丁目と続いて案内看板と同じ役割を果たす。何丁目まで続くのか分からないのが難点だ(山頂直下で三十五丁目だった)。


JR福原駅前通り。茨城県には、駅前でも一車線というところが結構多い。


北関東道の高架下から、吾国山への登山道に向かう。丁石が三十五からいまで続いている。


この前登った燕山・加波山が間近に見えた。

 

丁石の道はいったん未舗装の細い道になり、再び舗装道路に出て、十二丁目あたりで森の中に入る。傾斜がいっぺんにきつくなるが、急傾斜というほどではない。あまり日が差さず、普通の冬の日だったら寒いかもしれないが、寒さはまったく感じない。

再び舗装された林道に出て、そこを横切って登山道が続く。さらに登ると、防護柵で植生保護している斜面に出た。カタクリ群生地と書いてある。途中で道が分かれるが案内標識がない。

人工物の見える方が頂上だろうと思って登って行くと、宗教の教祖らしきお墓であった(後から調べたら、我国神徳社という宗教法人で、下妻に神社がある)。昭和三十年代の石碑がある。今でもきちんと手入れされているようで、周囲は整然としている。

しかし、ここは頂上ではない。向こうにベンチが見えるのでそちらだろう。植生保護柵に沿って歩いていくと、もう一登りで頂上だった。福原駅から2時間弱で吾国山頂上に着いた。

頂上には比較的新しいお宮があり(田上神社という)、一枚岩を削った大きな手水鉢が置かれている。どうやって運んできたものだろう。ここまで歩いてきて、会ったのはカタクリ群生地の手入れをしていた人だけで、山頂も一人占めである。

お宮の前にはベンチが2脚並んで、そこから北側の展望が開けている。すばらしい景色だ。「吾国山」とは変わった名前だと思っていたが、これはまさしく「国見山」だと思った。国見山なら、全国各地にある。おそらく、同じ意味である。

笠間市街からゴルフ場の後方は、仏頂山から高峯、茨城・栃木県境の峰々である。その端に日光の山々がちらっと見えて、さらに左、北西方向に広がっているのは上信越の山。今年は雪が少ないといわれるが、山頂は白くなっている。

この頂上から東と南の展望は開けないので、「吾国山」と名付けたのは、おそらく笠間あたりに勢力を持っていた豪族であろう。笠間には日本三大稲荷のひとつ笠間稲荷があり、古くから開けた土地であった。

しばらく展望を楽しんで、山頂から下りる。ここからの下り坂は結構な急傾斜で、しかも滑りやすい地盤である。急坂を下って行くと、登山道のゲートがあり、その下に林道が通じていた。

林道を下って行くと、正体不明の建物に出た。門構えも車寄せも立派なのだが、何の建物なのか名前が書いてない。車が見えないのだが、中から犬の鳴き声が聞こえるので誰か住んでいるらしい。

帰ってから調べてみると、ここは洗心館という茨城県の施設跡で、かつては林間学校などに利用されていたが不採算のため閉鎖され個人に売却されたという。福祉施設などに使うならともかく、個人では使いきれないし管理もできないように思うのだが。

そしてハイキングコースの矢印は、この建物にそって続いている。かなり心細いが道はちゃんとしているので進む。やがて森の中に入り、坂を下りきったあたりで再び林道と合流した。

そこが道祖神峠で、石岡市と笠間市の境界のようだ。林道は東西に下って行くけれども、ハイキングコースは南北に続いている。ここからは、難台山に向けての登りである。


吾国山頂上からは、北西方向の眺めが広がる。いわゆる国見山であったのだろう。


吾国山からいったん下って林道に出る。下に見えるゲートの先が林道で、前日の大雨による水がまだ流れていた。


正体不明の施設横(洗心館跡)を通り、心細い道を下る。この先で再び林道と合流すると道祖神峠。笠間市と石岡市の境界である。

 
道祖神峠からしばらくは砂利道の緩やかな登り坂だったが、やがて傾斜のきつい坂道となる。斜めに丸太が埋めてあって、その上をスイッチバックしていくような道である。かなりきつい。吾国山も難台山も同じような高さのはずなのだが、下った以上に登らされているように感じる。

そして、急に風が強くなったのが気になった。正午が近づいて強くなったのか、山の上だからなのかよく分からないが、左右の林がびゅうびゅう鳴っている。その割に体には感じないから、おそらく南風なのだろう。

この風で頂上では休めそうになかったので、ちょうど現れた平らな岩に腰掛けてお昼休みにする。正午過ぎだった。粉末のレモンジュースを溶かして、ランチパックと菓子パン。菓子パンはルックチョコレート味という妙なものにした。

山の陰になるためかほとんど風は当たらない。木々の向こうから、燕山・加波山が間近に見える。平らな岩も座り心地がよく、意外とゆっくりできた。

体力をチャージして、再び山頂を目指す。休んだ場所からは10分ほどで着いたのだが、頂上は広いもののベンチがなかったので、かえっていい所で休めたのかもしれない。犬を連れたおじいさんが休んでいた。強風がおさまってきたのは、何よりのことであった。(後日、山頂にある祠の後ろ側に腰掛けられる岩と展望地があったことに気づいた)

頂上直下でゆっくりしてしまったので、難台山通過は予定より30分ほど遅れてしまっていた。写真を撮って、すぐ出発。南側の登山道はごつごつした岩場で、筑波山と似たような感じだった。

さて、「難台山(なんたいさん)」とは変わった名前である。はじめは、よくある「男体山」に難しい漢字を当てたのだろうと思ったのだが、双耳峰ではないし近くに相対する山もない。なぜこういう名前になったのだろう。

考えられるのは、この山の南側に難台山城という山城があったので、城の名前が山の名前になったのではないかということである。南北朝時代にここで籠城戦があったという史実があり、攻めるのに難しい城という意味で名付けたのかもしれない。

岩場の急斜面を下って行くと、この「難台山城」に至る分岐となり、その先に屏風岩だの、天狗の庭だの、なんとか鼻だの、奇岩が並ぶ台地となる。あるいは、ごつごつした岩の台地ということで「難台山」となったのだろうか。

難台山から先は、それほどきつくなさそうだと思っていたのに、予想に反してこの先もアップダウンが続く。大福山の山名標のあるピークまで登り、いったん下ってさらに432ピークの三角点まで登ると、さすがに息が切れた。

三角点のピークには短く切った木がベンチのように組まれていたので、その上に腰掛けさせてもらう。吾国山・難台山とはまた違う景色で、ここからは南東に向けての景色を楽しむことができる。

木々が目隠ししてはいるものの、筑波山が顔を見せた。筑波山から続く峰々とこちらの山並みの間の平地は、八郷盆地と呼ばれる。南側は霞ヶ浦になるので正確には盆地とはいえないだろうが、山々に挟まれて開けた土地である。

かつて、ここには八郷町という町があった。いまでは、石岡市と合併している。筑波山麓ではユースホステルが閉鎖となって久しいし、この日の午前通った洗心館も県の施設が閉鎖されている。その中で、国民宿舎つくばねはいまも営業している。場所的に、かつての八郷町営だったはずである。がんばってほしいものである。


道祖神峠からはきつい登りが続く。ようやく、難台山の姿が見えてきた。


難台山頂上は広くなっているが、ベンチはない。手頃な場所で昼休みにしておいてよかった。


難台山直下は筑波山とよく似た岩場。

 

この日いくつめの峠になるだろう、432三角点からの急坂を下りると団子石峠だった。峠の少し前に、団子石という巨石があるが、あまり団子のようには見えない。時刻はもう2時10分前である。

この先、ハイキングコースは愛宕山へと続いているが、これ以上アップダウンを歩くのは嫌だし、うっかりすると日が暮れる。ここから林道を下るエスケープルートがあるが、所要時間は不明である。

それでも、麓まで1時間、麓から岩間駅まで1時間の合計2時間みれば大丈夫だろう。午後4時には駅に着くことができる。前回、加波山でバス停まで着く頃には日が暮れてしまったので、ああならないようにしなければならない。

ということで、林道を下って行く。車も人も、まったく通らない。そして、舗装道路なので右足と左足を交互に出していれば着実に高度を下げることができる。1時間とみていたが、30分経つ頃には山の中から太陽発電基地のある麓に着くことができた。

ここまで来ればひと安心である。しばらくは、1月とは思えないくらい暖かい日差しの下、北に笠間の山並み、南に登るはずだった愛宕山を見ながら、あとは駅まで歩くだけとのんびりと歩を進めていたのである。

しかし、好事魔多しとはよく言ったもので、ここから岩間駅までたいへんなことになったのである。

後から考えると、山の中の地図はちゃんと用意していたのに市街地の地図は持っていなかったこと、エスケープルートを下りてからの下調べもしていなかったこと、GPSを持っているのにきちんと方角を確認しなかったことなど、あまりに油断していた。これが山の中なら、遭難である。

とにかく、東に進めばいずれ常磐線に当たるだろうと軽く考えていた。後からGPSを調べると、岩間駅まであと500mくらいまで進んでいながら、いつのまにか北に進路を変え、およそ5kmほど遠回りしたのである。

駅へ行く道だから太い道に違いないと思って、大型車通行止の道に入らなかったのがいま思うと大間違いで、そのまま進めば駅まですぐだった。そこから片側一車線の道に出たのだが、東に向かうつもりで駅とは反対側に向かってしまったのである。

ずいぶん歩いて常磐線をまたぐ陸橋に達した頃には、もう午後4時だった。どちらを見ても駅などない。仕方がないからそのまま進んでミニストップに入り、ソフトクリームを頼みながら駅への道を聞くことになってしまった。

店の人に聞くと、目の前の道を南に進んで役場の先を右折すれば駅らしいが、歩くと遠いですよというような反応である。とはいえ、歩くしかないのである。

その通り歩いて行くと、なんと進行方向に愛宕山が見えて、完全に行き過ぎたことを思い知らされた。そして、日没間近の強烈な西日を真正面から浴びながら、前を向いて歩くのもまぶしくてつらいくらいであった。

岩間駅に着いたのは午後4時40分、電車を待つ間に日が暮れた。ちゃんと歩いていれば見込んだとおり午後4時には駅に着けたはずであるが、再び加波山と同じようなことになってしまった。山の中でこうならなかっただけ、ラッキーと思うしかない。

(後日、岩間駅までもう一度歩いた。太陽光発電装置のあたりから岩間駅までちょうど1時間だったので、間違えなければ午後3時半には駅に着けたはずである。)

ただ、合計20km以上歩いて、結構アップダウンもあったのに、太ももはあまり痛くならなかった。冬になって定期的に山を歩くようになったので、効果が出てきたようでそれはそれでうれしい。

この日の経過
JR福原駅(59) 8:20
8:50 鳥居下(103) 8:55
10:15 吾国山(518) 10:30
11:05 道祖神峠(310) 11:05
12:05 頂上直下(483) 12:25
12:35 難台山(553) 12:40
13:25 432三角点(432) 13:30
13:50 団子石峠(298) 13:55
16:40 JR岩間駅(42)
[GPS測定距離 22.0km]

[Apr 2, 2020]


難台山から先もアップダウンが続く。午後2時になったので団子石峠からエスケープルートを下ることにした。


麓まで1時間かかるかと思ったが、30分ほどで下りてきた。後方は登るはずだった愛宕山。


笠間の山々を見ながら暖かい冬の道を歩く。この後、岩間駅の近くまで行ったのに5kmほど遠回りしてまたもや日が暮れた。