074 コロナウィルス、世界と日本の温度差 [Mar 31, 2020]

先週末の3連休、日本では大阪・兵庫間の移動自粛要請があり、「翔んで兵庫」(w)がお祭りとなる騒ぎがあったが、ニュースを見ると聖火を見に大勢集まったり、上野公園で花見散歩をしたりコロナウィルスはどこ吹く風といった雰囲気である。

しかし海外では、渡航禁止の国や地域は増える一方だし、外出自粛要請や宗教施設を含む集会禁止が多くの国で実施されている。アメリカも、カナダとの交通やヨーロッパとの移動を制限、ラスベガスMGMは当面休業。ショーン・ペイトン感染がニュースとなるなど、感染拡大が終息する気配はみられない。

だから世界の趨勢では、4月からの公共施設再開などとんでもないという雰囲気なのだが、日本のニュースをみると4月から小中学校が始まる予定など、コロナは終わりという空気である。今回のコロナウィルス、世界が騒ぎ過ぎなのだろうか、それとも日本が騒ぎ足りないのだろうか。

私の考えは、どちらもそれぞれに理由があるけれども、リスクミニマムという観点からは世界の対応が当り前で、日本のやり方では最悪の展開になった場合どうしようもないということである。まあ、80年前にそうやって最悪の展開になったけれども、何とか現在に至っている訳であるが。

WHOが「パンデミック」と言っても日本ではピンとこないが、ヨーロッパでは14世紀にペストのパンデミックがあり、人口の半数近く、特にイタリアでは人口の8割が死亡した。当時の状況は多くの文学作品に残されており、現在の欧米主要国の住民は当時のペスト禍を生き延びてきた人々の子孫である。

イスラム諸国も同様であり、未知のウィルス、疾病に対して神経質になるのは過剰反応とはいえない。そうしなければ生き延びることはできなかったのであり、その子孫に同様の思考回路が残っているのは当然のことである。

一方、日本にはペストのパンデミックは襲来しなかった。四方を海に囲まれるという立地条件が大きかったと思われる。日本における伝染病は結核(労咳)と天然痘(痘瘡)がよく知られるが、ペストのように致死率も感染力も高くなかった。

日本において脅威となったのは、病気よりも飢饉であった。農作物が不作になって生活できなくなる事態は近世以降もたびたび発生し、日本人の多くはそうした飢饉を生き延びてきた人々の子孫である。

だから、生産活動を制限してでもリスクを最小化しようという発想になじまない。病気から逃れたからといって、農作物ができなければ飢饉を避けられないからである。

原発がメルトダウンしても特効薬のないウィルスが蔓延しても、それよりどうやってご飯を食べるかが重要なのである。最低限国民が飢えないだけの蓄えがあるというのに、もっと稼ごうとオリンピックを誘致するのだからあまり賛同できないが。

そうやって、第二次大戦の壊滅的敗退の後も、バブル崩壊の後も、阪神淡路や東北の大震災の後も、命よりカネで対応してきた。だから今回も、もしかしたら世界の方が騒ぎ過ぎでそんな深刻な事態にならないのかもしれない。

しかし、リスク管理というものは、10回リスクがあれば10回避けられることが本来であって、10回のうち9回ではダメなのである。このような対応をしていれば、いずれいつかカタストロフが訪れることは避けられないだろう。

それが今回のコロナウィルスであるかどうかは分からないけれども、いずれにしてもみんながそうしているからといって花見に行ったり聖火を見に行ったりすることは避けた方がよさそうだ。10人のうち1人が見合わせれば、うまくいけば日本の人口は1200万人残る。人口がそのくらいの国や民族は、世界中にたくさんある。


春分の日の3連休、日本では大阪・兵庫間の県境封鎖(w)が話題になりましたが、世界的には笑い話ではすまないシリアスな状況となっています。

 

先週、コロナウィルスの受け止め方が世界と日本で相当違うと書いた。その後、先週末には東京と神奈川・千葉・埼玉など近県との移動を自粛するよう各都県の知事が記者会見し、大阪・兵庫の時よりかなり真剣になってきたけれども、それでもまだ世界の趨勢とは温度差がある。2週続けてになるが、思うところを述べてみたい。

各知事の言うことを要約すると、「現在は感染爆発への重大局面であり、拡大しないようみなさんの自粛をお願したい」ということである。住民に負担を強要するだけで、いまだにマスクの供給さえできないのだから、無用な買いだめをするなと言っても無理なのだがそれはさておき。

外出禁止や人の集まる施設の休止に踏み切ったドイツやイギリスの首相会見を見たが、そこで述べられているのは、「感染拡大は止まらない。われわれにできることは治療方法が見つかり病院に収容できるまでの時間を稼ぐことだ。」ということである。そこが全然違う。

日本のニュースだけ見ていると、ここ数週間我慢すれば自粛が終わって通常稼働に戻るような報道なのだけれど(ホランは、「早く日常生活が戻るといいですね」と言っていた)、事態はそんなに生易しいものではない。

独首相の会見では専門機関の調査結果を踏まえてきちんと説明していたけれど、外出禁止等によって感染拡大のスピードを緩められたとしてもいずれそのスピードは増し、感染爆発は避けられないのである。

今回のウィルスの全貌は明らかでないが、感染爆発が避けられないとしても、ダイヤモンドプリンセスの例から分かるように感染者全員が発症することはないし、重症化するのはほとんど年寄りである。だから、感染爆発イコール医療崩壊で都市封鎖になる訳ではない。

だから、いま世界の多くの国が注力しているのは、一度に重症患者が集中して発生しないことである。感染爆発が避けられないところを一時に集中しないようにすれば、当然の帰結として事態の収拾は長期化する。

医療崩壊という言葉の定義も使う人によって違っていて、多くの人は武漢のように病床数より患者数の方が多い状況を指しているようだ。確かにそれも心配なのだが、私はそれよりもむしろ、医者や看護師が次々と感染して医療従事者が足りなくなること、あるいは、病院や診療所が感染リスクの最も高い場所となることが心配である。

すでに済生会や台東区の病院などいくつかの病院で起こっている事態であるが、実際はその程度に治まるものではないはずだ。誰も中国の防護服のような装備で患者と相対していないし、マスクでは外からの感染は防げない。

病床があったとしても治療方法は確立しておらず、人工呼吸器や人工心肺など対症療法しか方法はない。機器によっては操作に経験と技術が必要で、医師・看護師であれば誰でもできるというものではない。どうしても、医療従事者が足りなくなる。

病床数が足りない、あるいは医療従事者が足りないということになれば、発症しても自宅で療養するしかない。この半世紀、病気になれば当然のように医者に行って薬を処方してもらい、悪化すれば入院するということが行われてきたが、もしかすると医者にもかかれず病院にも行けず、自力で治すしかない時代に逆戻りするかもしれない。

もちろんそれは最悪のシナリオであり、コロナウィルスは日本では猛威を振るわないかもしれないのだけれど、われわれにできることは、TVを見ることでも政府の無策を責めることでもなく、そうなった場合にどうするかシミュレーションし、準備することである。


コロナ問題で国民に向けテレビ演説するドイツのメルケル首相=ドイツ政府HPより

 

昨日は、コロナウィルスの感染拡大は避けられず、事態収拾は長期化するというところまで書いた。だとすると、今後どのような展開が考えられるだろうか。(注.この原稿は、土曜夜の総理大臣会見以前に書いたけれど、事態はその方向に進みつつあるようだ。)

公共スポーツジムの臨時休館も、図書館の閉鎖もまだまだ続く。公共交通機関が危険な状況も、むしろこれから本番だろう。いまのところ自粛要請にとどまっているが、運行ダイヤの調整に進むことも想定される。私のお遍路歩きは数ヶ月前に結願したばかりだけれど、危ないタイミングであった。

日本の病床数はイタリアやスペインのように少なくないし、ニューヨークのように低所得者の医療環境がひどくないので、医療崩壊・都市封鎖まで進む可能性は低い。それに、最初に書いたように日本人が怖いのは伝染病よりも飢饉なのである。全員仕事を休めなどという思い切った施策が出されるとは思えない。

米国では、ボクシングのビッグイベントは今年前半には行われないし、ケンタッキーダービーも秋に日程変更された。NFLだって予定通り開催されるかどうか分からない。日本はこういう点ではアメリカに追随するから、残念ながら野球やサッカーがいつ開幕するか分からないし、皐月賞の無観客はほぼ確実。ダービーも風前の灯である。

デパートやスーパーの営業時間短縮、休業増加も確実だし、イベント自粛も続く。これを機会に、一般参加型のイベントは転機を迎えるだろう。AKB商法や、コミケや、ディズニーランドといった永遠に続くと思われたビジネスモデルが成り立たなくなるかもしれない。

サービス産業への波及も広範囲に及び、ホテルや旅館、飲食店、旅行代理店や中小の交通機関に経営不安が出てくるだろう。景気への影響が甚大になることは避けられない。ドイツでは「第二次大戦後最大の試練」と言っていたが、オイルショック以来の本格的な不況に陥るかもしれない。

この状況がいつまで続くかだが、わが国の指導者にはそれを決めるだけの知識も判断力も決断力もない。結局は欧米主要国が安全宣言を出すまで動けないだろう。オリンピックも開催時期を決める権限は米国テレビ局にあり、わが国が関与できる余地はない。個人的には、規模を縮小して開催することになるのではないかと予想する。

つい最近になって、BCGを義務付けている国はコロナが軽症という指摘が出てきている。検証には時間がかかるので早期の事態収拾には結びつかないだろうが、十分ありえる話だ。とはいえ、国際的なヒトやモノの移動が制限されることに変わりはない。

すでにリタイアした身の上なので、できないことはできないとあきらめるしかないのだけれど、いずれにしても、去年まで当たり前にできたことが、今年もまたできるとは限らないという覚悟が必要なことは間違いない。

ウィルスとの戦いという言い方は好きではないが、この戦いは退却戦である。より多くの収獲を得るためではなく、被害をより少なくするための戦いである。

日本は昔から退却戦が大の苦手で、きちんと退却戦をしたのは信長・秀吉・家康まで遡らなければならない。関ヶ原の島津軍のような戦い方は、退却戦でなく玉砕戦である。しかし、わが国ではああいう負け方が評価されてきた。

その意味では、検査ができないといって実態把握を先延ばしにしてきたのは、疫学的に全然ほめられることではないし、戦況を把握しないということだから玉砕への道まっしぐらである。何百年も変わらない、いつものやり方なのかもしれない。

別のところで書いたけれど、「亀は甲羅に似せて穴を掘る」。現代の政治家も第二次大戦前の軍隊もそのように程度が低いのは、日本列島に住む人達の程度が低いからである。スーパーで買い占めるような人が大勢いるのだから、行くところまで行かないとどうにもならないのかもしれない。

誤解のないよう補足しておくが、非常時に物資を備蓄するのが悪いと言っている訳ではない。そんなことは普段から準備しておけという話である。

[Mar 31, 2020]