078 遍路自粛に思う、不要不急って何だろう [Apr 28, 2020]

今般の非常事態宣言に伴い、四国八十八ヶ所霊場会が参拝自粛を呼びかけている。私自身は昨年の秋に結願しているので直接の影響はないのだが、正直なところ、相当の違和感を感じている。

WEBを見ていると、この時期にお遍路など控えて当然という論調がほとんどだし、裏の事情としては、寺の収入の大半を占めるであろうツアー遍路が激減して、納経所を開くだけ人件費負担が大きいのだろうと想像はつく。

けれども、仮にも宗教を名乗る施設が、自らを不要不急とみなしていいのだろうか。困った時に神様仏様を頼るのは、江戸時代でも認められた庶民の心のよりどころである。寺社は、レジャー施設でもないし観光名所でもないと私は思っている。

百歩譲って、納経所や宿坊を閉めますというのは仕方ないと思う。しかし、参拝しないでくださいというのは、信仰は不要不急で仏様は鰯の頭だとお寺が自ら認めたようなものである。お大師様ならどう思うだろう。仏様は実在しないからお願いしてもムダだと言うのだろうか。

一般参拝者はお断りとはいっても、檀家が墓参りに来るのを止める訳にはいかない。畢竟、葬式や法事は「感染対策を万全にして」対応することになるのだろうし、そうでなければ檀家はますます離れていく。でも、仏様に一般と檀家の区別はない。区別してカネ勘定するのは寺の事情である。

個人個人と神様仏様は寺や神社を経由してつながっている訳ではない。あえて言うならば、「場」を経由してつながっているのである。その「場」に寺や神社があるから参拝するのであって、祠だけだとしても拝む人は拝む。

もちろん、寺の方で「ここで拝んだところで効果はありませんよ。家で仏壇を拝んでください」と言うのは自由である。しかし、その「場」だから神仏とのつながりが保たれると思っている個人に、たまたま百年ほど土地の私有を認められているからといって、寺がここに入るなと言えるものだろうか。

お百度参りにせよ禊祓いにせよお籠りにせよ、費用対効果では効果を実証できないだろう。しかし、少なくとも二千年近く続いてきた神仏への祈願という行為が、たかだか非常事態宣言などという人的要因によって、価値を貶められるものではないと思っている。

イスラム圏の場合は、多くの信者が一日に何度も3密のモスク内に集まって、クラスタになるおそれが大きいという要因があるのでいまのご時世では仕方がないかもしれない。それでも、信者が自分一人でメッカの方を向いて礼拝することまで禁じてはいない。

行政がどうこうというかもしれないが、本来、国や地方自治体と宗教団体とは別の価値観で動くべきものだ。でなければ、なぜ宗教法人は原則非課税なのだろう。費用対効果とか収支相償うとかいうなら株式会社のように税金を納めるべきだろうし、自治体と一緒ですというなら各宗派は平成の大合併のように統廃合したらいい。

明治になって神仏分離、廃仏毀釈運動が起こった時、いくつかの大きい寺で昔から伝わる仏像・仏画をはじめとした貴重な文化財が焼却された。鹿児島県には、古くから続く寺はほとんどない。その理由の一つが、寺が幕府や藩と一緒になって庶民を統制していたからだと推測される。寺が政府と一体になっても、いいことはない。

似たような話として、ゴールデンウィークになっても来ないでくださいといくつかの県が言っている。普段から観光客は呼びたくないと思っているのなら首尾一貫しているが、きっとコロナがなければ是非来てくださいと言うのだろう。事態が平静化しても行くものかと思う。

日本の場合、会社に行くのはよくてそれ以外は不要不急という区分である。セールスだの会議だのどう考えても不要不急でも、会社で給料をもらえるならやっていいことで、心のよりどころである宗教施設は参拝を遠慮せよという。なんだかおかしい。

本当に接触8割減にしたいのなら、その前にやらなければならないことはたくさんある。電車やバスを平日ダイヤで走らせる必要などないし、ガソリン税も臨時で上げたらいい。宅配料金も値上げすれば不要不急の通販など利用しなくなるだろうし、目障りな通販番組も減る。

[Apr 28, 2020]


四国八十八ヶ所霊場会が参拝自粛を呼びかけ、多くの札所が本堂や納経所閉鎖の措置をとった。多くの論調はやむを得ないというものだが、私には違和感がある。