092 加波山・足尾山 [Feb 10, 2020]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

このところ、茨城の山歩きが続いている。前回は吾国山・難台山を歩いたのだが、今年初めに登った加波山にも心残りがあった。自由民権運動ゆかりの旗立石も見なかったし、別のお宮を勘違いして加波山頂だと思っていたからである。

ただ、ここに行くとすれば公共交通機関では時間をロスするので、自動車を使える日にする必要があった。ちょうど、風もおさまりそうな日に自動車が空くので、再度加波山を目指すことにした。

2020年2月10日、建国記念日の前日である。まだ暗い午前6時前に出発する。車で山に行くのは久しぶりで、2019年1月に房総の大台山に行って以来である。館山の近くまで行くと2時間以上かかるので、時間的にはむしろ筑波山系の方が近い。往路は高速を使わず、研究学園都市から筑波山麓に向かう。家からほぼ2時間、午前8時前に真壁休憩所に着いた。

真壁休憩所は、昭和終わりまで運行していた関東鉄道筑波線の旧・真壁駅である。筑波線の廃線跡はりんりんロードという自転車・歩行者専用道路となっていて、その休憩所として使われている。駐車場とトイレ(この日は工事中で、仮設トイレも鍵がかかっていた)がある。

前回、加波山から下山した時バスに乗った白井バス停までバス停2つ分、りんりんロードを歩いて行く。犬の散歩をする人や自転車で通学する生徒さん達とすれ違いながら、ゆっくり歩く。こういう廃線跡は、高知の遍路道にもあったことを思い出す。

風景が開けると、グランドレベルからでも日光連山を望むことができる。ぼんやりと霞んではいるものの、上の方は雪をかぶって光っている。あれが男体山、こちらが日光白根山だろうか。家からだと筑波山がちょうどこんな風に見える。筑波山まで来ると、今度は日光の山々が見えるのだ。

見覚えのある郵便局で県道に復帰し、小学校で方向を山の向きに変える。これから歩く加波山から足尾山への稜線が、屏風のように眼前に広がる。結構、高く感じる。

先日下った時はそれほどの坂だとは思わなかったのだが、登るとなると結構な登り坂である。農家や石材店を通って、加波山神社まで来た。まだ1時間経っていない。Google mapで調べたよりも早い。

登山の無事をお願いに本殿前に進むと、こちらの拝礼は二礼四拍手一礼と書いてある。出雲大社や宇佐八幡宮と同じである。どういう謂れがあるのだろうか。

加波山神社から30分で登山口着。身支度を整えて登山道を登り始める。住宅地を歩いている時は急坂だと思ったのだけれど、ここからの登山道は下りの時に感じたほど急傾斜には思えなかった。それほどペースダウンせずにスイッチバックの坂をこなしていく。

さすがに林道分岐まで休みなしという訳にはいかず、五合目と八合目の真ん中くらいで水分補給の小休止。林道分岐のベンチでもう一度休んで、加波山本宮のある山頂まで登山口から90分、真壁休憩所から3時間で着くことができた。

下りと登りとで、それほど時間が変わらない。最近こういう傾向が顕著である。本宮の拝礼方法は書いてなかったので、通常通り二礼二拍手一礼で登頂の無事を感謝する。本宮の足元に三角点もあり、ここが加波山の頂上である。前回も通ったけれど、頂上だと認識していなかった。

と、拝礼が終わるか終わらないうちに、「あら、先に登った人がいた」という声。加波山神社の方から登ってきたシニア夫婦であった。祠の前は何人も一緒にはいられないので、リュックを持って場所を空ける。

「本宮の参道を来られたんですか?」

「ええ、そうです」

「そちらも舗装道路ですか?」

「いえ、ほとんど登山道ですよ」

と話をする。どうやら加波山神社経由の道は舗装道路で、足腰には厳しかったらしい。帰りは本宮参道で帰ろうかと二人で話していた。

さて、私の方は次なる宿題、旗立石の所在を確かめなければならない。


真壁休憩所からリンリンロードを歩く。かつての関東鉄道筑波線の廃線跡である。


加波山に向けて、前回下山した道を登って行く。この日歩く、加波山から足尾山にかけての稜線が屏風のように広がる。


コースタイムどおり、登山口から90分で加波山頂上到着。すぐ後にシニアご夫婦が登ってきたので、場所を空けるためすぐ出発。

 

いったん社務所に戻り、一本杉峠の案内に従って林の中の道を下って行く。5分ほど進むと、筑波山の反対側、八郷盆地に向けて景色が開けてくる。そこに自由民権運動ゆかりの旗立石がある。

加波山事件で自由民権運動の活動家達が立てこもったのは、加波山本宮の社務所だったらしい。もちろん、いまのサイディング張り現代建築とは違い、掘立小屋に近かっただろうけれど、ともかく「圧制政府転覆」「自由の魁」等の旗を掲げ、政府の横暴を世に訴えたのである。

歩きながら、加波山事件と浅間山荘の違いについて考えた。自由民権運動と連合赤軍を一緒にはできないが、1960年代には世界同時革命はいまよりずっと現実味があったのだ。

自由民権運動の結果、議会ができて憲法ができたけれども、それでも日本は第二次大戦に突進し惨敗した。現在まかりなりにも選挙で選ばれた政府ができているのは、自由民権運動の成果というよりもアメリカのおかげである。

遠く望むことができる上信越の山々は、連合赤軍リンチ事件の現場であった。自由民権運動にあって連合赤軍になかったものは、山を畏れ敬う気持ちだったと思う。あのような血なまぐさい事件を起こして、山の神が怒らない訳がないのだ。

旗立石を少し下ったところが広く平らになっていて、ベンチが3つ置かれていた。すでに先客がいたし、東屋は風力発電所のあたりと思っていたので、先に進むことにする。進む先は、「駐車場→」ではないだろう。ところが、しばらく笹薮の坂を下った後、ロープが出てきた。

ロープはなくても大丈夫なくらいだったが、その先が斜めっているトラバース道で、霜が下りていて滑りやすい。そして、もし滑ると、その脇は手すりも何もない急斜面が、少なくとも十数m下まで続いている。

道自体はその先の岩場を越えて続いていたけれども、関東ふれあいの道がこういうグレードというのはおかしいし、仮に正規の道であったとしても危なくてとても進めない。それに、南を目指しているはずなのに、何だか西に向かっている。

狭い道を何とかUターンして、ロープ場を登り、先ほど通り過ぎたベンチに戻る。ちょうど先客が出発するところだったので、落ち着いて善後策を考えることにした。

この日は、時間に余裕があるはずだったので、EPIガスを持って来た。お湯を沸かしてインスタントカフェオレを淹れ、ランチパックでお昼にする。いまさっきの撤退は不本意だったが、時間にしたら15分か20分のロスであり、被害は最小限で済んだだろう。それより、どこに進むかである。

行先表示は「←加波山神社 駐車場→」である。こう書いてあれば、普通は加波山神社の駐車場と思うだろう。足尾山に進めず戻ることになる。まあ、さっきの道は進めないし仕方がないとあきらめた。方向からすると、加波山本宮社務所の下の車道が、ここにつながっているのだろうか。

ゆっくり休んで出発。駐車場に向かうという道は、手すりの付いた木段でかなりの高規格である。ひとしきり下って行くと、木立ちの間から風力発電所のプロペラが見えてきた。こちらの道が正規の高速登山道だったのだ。

先ほどの危ない道は、大きな石碑もあったので行道かもしれない。「10時14時に発破があります。石に近づかないでください」などと、登山客向けのようなことを書いてあるからまぎらわしい。滑落事故でもあったらどうするのだろう。

こういう場合は、「関東ふれあいの道→」か、せめて「一本杉峠→」と書いてもらえないと、この山が初めての人には分からない。そして、この後コースどおり歩いたのだけれど、駐車場は山を下りるまでなかった。かといって、加波山神社の駐車場に戻る道も見当たらなかった。「駐車場→」とは、いったいどこの駐車場なのだろうか。

ともあれ、高規格の下り坂を進むと風力発電所の足元に出て、そこから車道が続いていた。10mほど登った所に東屋らしき屋根が見えたが、行ってみると屋根は錆びて穴が開いており、ベンチやテーブルも、案内板もなかった。


自由民権運動の加波山事件ゆかりの旗立石は、社務所から下って八郷盆地を望む高台にある。すぐ下に休憩ベンチがある。


ところが、ベンチ前にある行先表示で進路を間違えてしまう。「駐車場」って、いったいどこの駐車場なのか、謎である。


駐車場と指示してある方向に下ると、丸山の風力発電所に出る。東屋のように見える屋根は、朽ち果ててベンチもない。

 

加波山から足尾山に向かう林道で、たいへん目立つのは「←石岡市 桜川市→」の案内看板である。少なくとも二十以上ある。関東ふれあいの道の行先案内かと思って近づくとこれなので、とてもがっかりする。

行政にとっては、市の境界を示す重要な看板ということになるのだろうし、境界が入り組んでいるのでこんなものを立てるのだろうが、登山客にとって何の情報にもならない。林界標のように目立たなくしてほしいものである。

一本杉峠まで下ると、交差している車道のいくつかに「通行止」のゲートが置かれている。そして、関東ふれあいの道の案内にしたがって進むと、林の中で道がV字型に戻ってきて、再び林道脇に出てくる。たいへん分かりにくい道である。

そして登山道は、始めはガレ谷をさかのぼるような道であったものが、次第に尾根に登る急登となり、かなり息が切れる。休みたいなと思ったところに東屋が出てくる。一息ついて再び急登で、そろそろ頂上だろうと思うとまた林道と交差する。

次に林道と分かれるのは「足尾山頂→」の案内板である。急登をひいこら言いながらクリアして、あそこが頂上だろうと思って近づくと、そこは肩である。さらに標高差30mほど登って、ようやく頂上に達する。

足尾山頂は苦労して登ってきただけのことはある絶景である。きれいに石組みが積まれて、その上に石造りの小さな祠が置かれており、「葦穂山」と彫られている。足尾神社奥宮である。祠の背後には通ってきた加波山や風力発電所のプロペラが見える。

そして、左手には、筑西から栃木県、上信越の山々に至る広大な風景が広がっている。ちょうどその景色が望める位置に、ベンチ代わりに平らな石が置かれている。

せっかくなので、腰を下ろして眼下の眺めを楽しむ。この絶景を独り占めできるのはうれしい。どこからか話し声が聞こえるのだが、ひとの来る気配はない。おやつに用意したミックスフルーツを食べる。

山頂は風があると長居できないのだが、幸いなことに風もない。2月半ばではあるが、風もなく日当たりがいいのでうれしくなるくらいの暖かさである。しばらく景色を楽しんでから、古びた石段を下ると足尾神社の拝殿がある。

WEBで探すと足尾神社のホームページがあり、そこに載っている山頂奥宮は崩れかけたこじんまりしたものだが、現在はもっときちんと整地されている。下った場所にある拝殿、社務所、草鞋奉納所もホームページより実際の方が新しいので、最近になって改築されたのだろう。

草鞋奉納所には多くの靴やスポーツシューズが納められている。このお宮は足の病に霊験あらたかで、古くは醍醐天皇が快癒を祈願して効能があったという。

醍醐天皇といえば、醍醐と呼ばれる牛乳の発酵食品(今日のチーズケーキか?)が大好物で、「醍醐」とおくり名された平安時代の天皇である。たいへんおいしいという意味で今日も使われる「醍醐味」は、ここから採られた言葉である。

発酵食品だけでなく、醍醐天皇は多くの妻妾を持ち皇子皇女もたくさんいた。当時、清和天皇-陽成天皇の皇統から、遠縁である醍醐天皇の系統に変わる時期であり、多くの子孫を持つ必要もあったのだろう。のちに後醍醐天皇が「後」醍醐とおくり名せよと遺言したのは、そういう意味合いもあったのかもしれない。

ともあれ、美食、多くの妻妾で足が痛いということになると、醍醐天皇の足の痛みは痛風だったのではないかという疑いがかなり濃くなってくる。

そうすると足尾神社のご託宣は、「好きなものを絶ち、朝晩私を拝みなさい(運動しなさい)。さすれば、足の痛みは遠のくであろう」というものであったかもしれない。きっと効果があったはずだ。

拝殿からは簡易舗装の道が林道まで続く。落ち葉の積もり方からみて、それほど前に造られた道ではなさそうだ。おそらく、拝殿・社務所の改築時に簡易舗装されて、重機やトラックがここまで登ってきたのだろう。


一本杉峠までは舗装された林道、そこから足尾山までは舗装道路と登山道を交互に歩く。足尾山の肩までは急坂。


足尾山頂には足尾神社の奥宮が祀られている。背後には、加波山と丸山のプロペラ発電がよく見える。


ベンチ代わりの石に腰掛けると、目の前に筑西から栃木県にかけての景色が広がる。この日一番の絶景である。

 

足尾神社の簡易舗装から先は、きのこ山までちゃんと舗装された林道である。距離は3km弱あるが、さほどの傾斜もなく平地と変わりなく歩くことができる。

ここからきのこ山の間にはパラグライダーのゲレンデがある。足尾山の頂上で、私の他に誰もいないのに話し声が聞こえたのは、上昇気流に乗って声が聞こえていたようである。何人か筑波山側・八郷盆地側両方に待機して、風待ちしていた。

足尾山頂から見ると、筑波山までいくつものピークが連なっている。1/25000図ではきのこ山の他は無名のピークで、歩いている林道の左手にもピークがある。林道はそこまで登らずにトラバースしてくれるので、疲れてくる午後にはかなり助かる。

きのこ山ピークに三角点があるはずだが見つからず、東屋の掲示板に「きのこ山」と書いてあるので、関東ふれあいの道としてはここがきのこ山ということだろう。すぐ下が林道と登山道の三叉路で、登山道が真壁休憩所への帰り道である。

きのこ山から真壁休憩所までこの登山道で下山すると、WEBで探してきた桜川市ハイキングマップには65分で着くと書いてある。でも、そんな時間では着かないだろうとは歩く前から見当がついていた。

そもそも距離が3kmほどあって、標高差が500mある。いかに高速登山道とはいえ、平地と同じように歩けないのは道理である。少なくとも、標高差で45分、距離で45分の合計1時間半かかるはずと考えていた。

パラグライダーゲレンデ横から、行先案内のとおり高速登山道・関東ふれあいの道に入る。高速登山道と私が勝手に呼んでいるだけあって、歩きやすい道である。傾斜の急な場所には手すりがあり、加波山直下で迷い込んだような危険個所はない。

ただ、道案内はやや不親切である。途中の「伝生寺・真壁駅→」の看板では、矢印方向に進むと「この先通れません」と注意書きがあって、進める道には「みかげ→」と書いてあるだけである。土地の人でなければ、みかげと言われてもどこなのか分からない。

さらに、憩いの森という公園に入ったところで、関東ふれあいの道がどこに続くのか行先表示をみても案内がない。安全策をとって「車道(市街方面)→」に進むが、どうやら正規の道は公園内を進むものであったようだ。

それでも、舗装道路になってからも急傾斜の下りが続いたので、距離はロスしたかもしれないが時間のロスはあまりなかったと思う。住宅地に入った時はほっとした。市街の中心は、コメリの看板が見える方向だろう。

公園のあたりで遠回りしたと思っていたので、真壁休憩所はどのあたりだろうと思って歩いていた道の右左を確認すると、真壁城跡だった。なんと、最後はコースどおりに歩いていたのだ。

ところで、加波山中の謎の案内表示「駐車場 →」の示す駐車場は、いったいどこのことだったのだろう。パンフレットによると憩いの森の中に駐車場はあるものの、いずれにしろ麓で、案内看板からは3時間歩くだろう。まだ加波山神社に戻る方が早いが、そんな道はなかった。

真壁休憩所に着いたのは午後4時過ぎ。きのこ山からは、見込みどおり1時間半かかった。この日の計画ではもう少し早く着くはずだったが、加波山で道間違いした分だけ遅れたことになる。とはいうものの、風もなくおだやかな1日だった。この回の山歩きも、翌日以降に足が痛むことはなかった。

この日の経過
真壁休憩所(49) 8:00
8:50 加波山神社(88) 8:55
9:15 登山口(253) 9:25
10:30 林道交差点(618) 10:40
10:55 加波山山頂(706) 11:00
11:20 休憩ベンチ(644) 12:00
[道間違い15分を含む]
12:35 一本杉峠(492) 12:35
13:25 足尾山(627) 13:40
14:25 きのこ山(527) 14:35
16:05 真壁休憩所(49)
[GPS測定距離 17.2km]

[Apr 27, 2020]


足尾山からきのこ山の林道は、パラグライダーのゲレンデがある。


きのこ山から真壁までは、高速登山道の面目躍如。ただし、憩いの森から先は案内標識が怪しくなる。


真壁休憩所に戻ったのは夕方になった。下りてきたきのこ山方面を振り返る。