761 番外霊場海岸寺 [Oct 1, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

この回の区切り打ちで最も予定通りいかなかったのは、別格霊場海岸寺だった。別のところにも書いたけれど、「郷照寺から2.9km」と遍路地図に書いてあるので、寄り道しても2時間程度だろうと軽く考えていたのである。

台風が沖縄あたりにいて、雨具のいらないうちにできるだけ前に進んでおきたい。この日は少なくとも郷照寺、できれば坂出まで進出したいと思っていた。翌日に白峯まで登ってしまえば、後のスケジュールが大層楽になる。

金倉寺から海岸寺まで一覧できる地図は、遍路地図には載っていない。だから地図を見て判断することが難しいのだが、海岸寺のところには「道隆寺2.9km」と書いてある。弥谷寺から4.1kmとも書いてあるから、道隆寺からの方が弥谷寺よりも近いということになる。ところがこれは大ウソなのである。

まず高速道と並行して国道11号を進む。遠くに見えている山は弥谷山・天霧山である。前回の区切り打ちで登ったところだ。ずいぶん遠くに見えるから、その前に右折するんだろうと思って気楽に歩いていた。

交通量の多い道路なので、車の音がうるさい。そして、信号待ちがたびたびあって、赤信号も長い。1時間ほど歩くとセブンイレブンがあった。イートインコーナーがあれば休みたかったが、なかったので1㍑のミネラルウォーターとクーリッシュを買って歩きながら補給する。

弥谷山がずいぶん近くなって、採石場の削れた岩壁もはっきり見える。それでもまだ海岸寺に着かないのだから、金倉寺から5kmくらいという見通しが全然甘かったのではないかという不安が頭をもたげてきた。

セブンイレブンの先を右折して、今度は弥谷山の山裾を歩く。交通量は減ったけれども道幅も狭くなって、車が来ると避けなくてはならない。それにしても、全然海は見えてこない。もう1時間以上歩いているから、4km以上の距離であることは確かである。

真上から太陽がじりじりと照り付け、いつまで歩けば海岸寺が見えてくるのか見当がつかない。こうなると、別格霊場の不便さが身にしみる。せめて道案内でもあれば間違いでないことを確かめられるのだが、それさえもできない。

歩き始めて1時間半。さすがに疲れてきた。金倉寺からここまで、休憩所もなければベンチの一つすらなく、コンビニにイートインコーナーもなかった。ちょっと座って休めたらいいのにと思っていたら、目の前の高台に東屋のようなものが建っていて、中にはベンチが見える。近くまで行くと幟が立てられていて、中にはポスターが貼ってある。

ここが、多度津・おかのやま遍路小屋であった。八十八ヶ所だけ回るルートからは外れているが、海岸寺にお参りする歩き遍路にとってはありがたいという他はない休憩場所である。荷物を下ろしてやっと一息つく。トイレも水道もない小屋だが、腰を下ろして休めるだけでかなり助かる。

改めて遍路地図を確認する。ここから海岸寺までまだ2km以上ある。ここまで1時間半、6kmは歩いている。本当に道隆寺から海岸寺まで2.9kmだとしたら、金倉寺から道隆寺まで3kmだから道隆寺を経由したとしても着いている計算である。道を間違えたか、遍路地図が間違っているかどちらかである。

しかし、金倉寺からここまでずっと右折だったので、方角的には西と北にしか歩いていない。最短距離でないにしても、全く見当違いの方向に進んだ訳ではないことは確かなのである。

でも、ここまで来たら海岸寺に行かないで戻っても仕方がない。もう時刻は午後1時。2時に道隆寺という当初の予定は、ほとんど無理である。


金蔵寺から別格霊場の海岸寺へ。前方に見えるのは弥谷山・天霧山。削られた山体がどんどん近づいている。


ずいぶん歩いたけれど、海岸寺までまだ遠い。休む場所がほとんどないので、多度津おかのやま遍路小屋はたいへんありがたかった。


遍路地図の道順で行くとたいへん遠回りで、しかも分かりにくい。近くのお店で道を聞いて、ようやく海岸寺にたどり着いた。

 

海岸寺に着いたのは、午後1時半だった。多度津の遍路小屋からも遍路地図のとおりに行くと遠回りで、しかも県道の周辺で道路工事が行われていて道が変わっている。海も見えないし道案内もないので、道路沿いの不動産屋さんで道を聞かなくてはならなかった。

経納山海岸寺(きょうのうさん・かいがんじ)。たびたび引き合いに出す五来重氏によると、このお寺は善通寺の海の奥ノ院だったという。実際に海岸寺という寺号だからもとから海沿いにあったことは間違いなさそうだ。

かつては弘法大師出生地を善通寺と争ったという。当寺のHPによると、経納山とは弘法大師が法華経を納めた山で、本堂から100mほど離れた奥ノ院のある場所という。そのためか、寺では本堂エリアを山号を使わず屏風浦海岸寺としている。

位置的には善通寺よりも弥谷寺に近く、観音寺方面から弥谷寺に登りそのまま海側に山を下りると海岸寺に達する。実は、弥谷寺にお参りした時にその経路を予定したのだが、暗くなりそうだったのでJRみの駅へ引き返した経緯にある。

道路沿いにまず見えてくるのは、山門と庫裏である。それから、4階建てくらいの鉄筋コンクリートが登場する。これがユースホステルであろう。いまやっているのかどうか分からない。

別のところに書いたことがあるが、私が大学生の頃がユースホステル全盛期だった。民宿でも4千円ほどかかった頃に、1泊2食2千円ほどで泊まることができ、全国津々浦々にあった。ちょうど、団塊の世代が日本中飛び回っていた時期である。

その後、オイルショックとインフレが来て、その値段ではとても1泊2食を提供できなくなった。さらに、バブルで若い世代の関心が国内よりも海外に向かったことによって、ユースホステルのブームは急速にしぼんでいくのであった。

そうした外部要因はともかくとして、ユースに泊まればみんなで歌を歌ったりフォークダンスをしたり、よく分からない連中が偉そうに指図したりする雰囲気が、ユースホステルから宿泊者を遠ざけたのではないかと私は思っている。

でも、いずれにしても40年前のことである。いまや、ドミトリーの日本版としてユースホステルが見直されてきているらしいし、ともかくこうしてユースの看板を掲げているところはあるのである。

海岸寺に話を戻すと、山門と並んだ県道沿いに仁王門がある。普通、仁王門と言えば金剛力士なのだが、こちらの仁王門は力士は力士でも相撲の力士である。立派な銅像で、琴ヶ濱と大豪と四股名が書かれている。昭和30~40年代の力士で、琴ヶ濱は観音寺、大豪は丸亀の出身である。

仁王門の奥に本堂がある。お寺の敷地そのものは大きいのだが、なにしろユースホステルの建物が多くを占めているのでちょっと手狭である。輪袈裟を掛け、教本を出して読経。すぐ横が納経所である。大師堂が離れた場所にあるので、気になったけれど先にご朱印をいただく。

いったん仁王門を出て、県道を100mほど進む。左手に、立派な多宝塔が見えてきた。何だか、本堂があるエリアよりもお寺らしい雰囲気だ。しかし、車通りがない分ひと気がなくて寂しい。

山門の扁額には「経納山」の扁額が掲げられている。経納山は海岸寺の山号であるが、寺では奥ノ院を指しているようで、本堂エリアを指す場合は屏風浦海岸寺といっている。境内には、一番奥に大師堂、その前に弘法大師が産湯を使ったという井戸もある。

大師堂は、周囲が開けているせいか、本堂よりも大きく見える。読経して脇の建物をみると、こちらにも納経するためにご住職が待機されている。別に納経所があるので、気にすることはなかったのだ。1ヶ寺で2つになるが、せっかくなのでご朱印をいただく。

あとでご朱印帳を見ると、本堂でいただいたものには「四国別格第十八番 弘法大師出化初因縁之霊蹟 屏風浦海岸寺」とあり、大師堂(奥ノ院)でいただいたものには、「弘法大師誕生所 讃岐白潟 屏風浦海岸寺奥之院」とある。海岸寺自体が善通寺の奥ノ院だったとすれば、奥ノ院の奥ノ院ということになる。

金倉寺を出たのは11時だったのに、もうすでに午後2時である。どう考えても4kmや5kmじゃなかったと思いつつ、歩きながらスケジュールを再検討する。遍路地図によると道隆寺まで2.9kmだというが、かなり疑わしい。今回のお遍路は、始まって早々に厳しいことになった。

この日の経過
金倉寺 11:00 →[5.5km]
12:45 多度津へんろ小屋 12:55 →[2.2km]
13:30 海岸寺 14:05 →

[May 2, 2020]


山門と並列に、県道に沿って仁王門がある。置かれている銅像は琴ヶ浜と大豪。ともに地元出身の力士のようだ


海岸寺の本堂エリアには庫裏やユースホステルがあるが、本堂自体はこじんまりしている。むしろ、200mほど離れた奥ノ院の方が大きい。


奥ノ院まで歩く。ここには、弘法大師が産湯を使ったとされる井戸がある。