039 誰かと比べてではなく [May 14, 2020]

若い時から、誰かと比べて<相対的に>どうということよりも、自分がどうなのか<絶対的に>考えるのが大切だと思っていた。かれこれ半世紀そう思っているから、この先変わることもないだろう。

例えをあげるならば、お腹がすいている時に重要なのは、おいしいものをお腹いっぱい食べることだとしても、誰かより多く食べることではない。そういうことである。

だから、誰か特定個人を「ライバル」として意識することはなかったし、そういう考え方は自分の伸びしろを少なくすると思っていた。それよりも、自分がどうしたいのか、どうなりたいのかが大切だった。

こういう考え方は実社会では受け入れられないようで、社会に出てからいろんなところで目の敵にされた。ノルマとか競合他社などという概念をそもそも何とも思っていないので、嫌われるだけの理由はある。

そのおかげで、サラリーマンとしての生活はかなり悲惨なものであったが、私生活においてはわくわくするような経験がたくさんあった。おそらくそれは、他人と比べる生き方をしていたら手に入らなかっただろう。

私とほぼ同じ立ち位置から出発した中には、総理大臣になった政治家もいるし、大会社のCEOもいるし、大学教授もたくさん出た。それらの人々と比べて私に努力が足りないのは確かだが、代われと言われても代わりたくはない。彼らはそういう時間の使い方をしてきたし、私は違う時間の使い方をしてきたからである。

彼らがいまの立場を確立するために費やしてきた多くの時間で、私は海外のカシノに通ってポーカーやバカラで胸はずませる時を過ごし、いろいろなところを歩き、いろいろな本を読んだ。いままた、心置きなくNFLや将棋の中継をリアルタイムで楽しむことができる。

そして、プライバシーが公開されていないから、どこの山を歩いていても「△△さん、今日は休暇ですか」と声をかけられることもなければ、「△△がXX寺で受付と口論していた」などと晒されることもない。名乗る必要がなければ無名の年金生活者でいることができる。

社会的に成功した彼らが、いまから私のような経験ができるかというと、きっと難しいだろう。もちろん資金的には問題ないとしても、精神的肉体的な体力が若い頃と同じではないからである。

加えて、その時だけのタイミングというものがある。サンズ以前のマカオは、今からでは経験することができない。四国お遍路だって、遍路宿が次々廃業しており、コロナでますます加速するだろう状況で、いつまでいまの環境があるか分からない。

この先どれくらい心身の状態が保てるか分からないが、おカネや社会的地位で老化をとどめることができないのは始皇帝が2千年前に証明済である。話は最初に戻るが、誰かと比べるより自分がどうしたいのかを考えて残りの日々を送りたいものである。

[May 14, 2020]


その時その時でやりたいことをしてきたので、自分の時間の使い方には後悔することは少ない。