093 難台山・愛宕山 [Mar 17, 2020]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2020年2月にコロナウィルス騒ぎが勃発、全国の学校が臨時休校となり、公共スポーツ施設も休館となった。現役の方々はやむを得ないが、リタイアした老人が公共交通機関に乗ることは差し控えるべきであろう。

例年であればヒルが出る前に丹沢に行く時期だが、昨年秋の台風の影響が残っていて丹沢だけでなく奥多摩、秩父も難しい。房総は昨秋の台風被害が甚大だしすでにヒルがいるはずだ。となると、車で行ける茨城ということになる。

家に車は1台しかないので、奥さんと調整しなければ山行には使えない。天気の兼ね合いもあるので、候補日はさらに限られる。結局、前回から1ヵ月以上空いて3月17日にタイミングが合った。

茨城で、しかも車ということになると、早めに行っておきたいところがあった。1月に団子石峠からエスケープした難台山ハイキングコースである。前回未達であった団子石峠から愛宕山までと、大きく道間違いした岩間駅までのルートを歩いておきたい。

駐車場は、愛宕山頂近くに大きなものがあるらしい。そこから出発するとなると団子石峠まで前回と逆回りになる。せっかくなので難台山から難台山城を経由して下山、岩間駅まで歩いて愛宕山までまた登るという計画を立てた。

午前5時に出発、もう春分なのですぐに明るくなった。すいている一般道を通ったが、すいすい進んで7時前には愛宕山直下の駐車場に到着した。

ここの駐車場は広いしトイレもあり、東側はすぐに愛宕神社の鳥居なので帰りも愛宕山からすぐのようだ。西側にあるロッジの専用駐車場ではないかと少し心配したが、ロッジの駐車場は少し先に別にある。

ロッジ入口にハイキングコースの案内があり、ロッジが並ぶ丘に沿ってしばらく進む。突き当たった先で道がいくつかに分かれていて、そこが唯一分かりにくいところだった。掲示してある案内地図がたいへん分かりにくいのである(東屋と現在地の位置関係が違う)。

結局、そのまま道なりに進めばよく、吾国山から続く番号付き案内板が復活したので安心する。とはいえ、WEBではここからとんでもない場所に迷い込んだ例があるようだから、里山とはいえ油断できないのである。

駐車場から団子石峠まで顕著なコブが6つあり、その数だけアップダウンがあるのだが、道はきちんと整備されている。吾国山・難台山ハイキングコースの中でも、最もハイキングコースらしい道ではなかろうか。

ただし、この朝は霜が下りていて、時刻とともにそれがぬかるんでたいへん滑りやすい登り坂となってしまった。3つ目のコブが南山展望台で、2階建ての木で組まれた展望台が建っている。

ここまで所要時間は45分、ロッジ出口で迷わなければもう少し早く歩けたかもしれない。展望台からは右下に出発した愛宕山の駐車場が見え、その背後に岩間から石岡・千代田の街並みを望むことができた。10分ほど景色を楽しんで出発。


天狗の森駐車場は広くてトイレ・休憩所もある。愛宕山側には愛宕神社の鳥居が建つ(逆光だったので帰りの撮影)。


駐車場から案内表示に従いハイキングコースに進み、公営の宿泊施設スカイロッジに沿って歩く。


3つ目くらいのコブが南山で、大きな展望台がある。出発した愛宕山を眼下に望む。

 

団子石峠から難台山までは、前回と逆コースである。何回もアップダウンのある急傾斜で登るのはきつそうだと思っていたけれども、案の定きつかった。

最近、下りがつらくてすいすい下れなくなってきていて、登りの方が楽に感じることが少なくない。とはいえ、急登が続くのはさすがに応える。432の三角点ピークまでまず一苦労である。

ここのピークにある木を組んだだけのベンチで小休止の後、いったん下ってまた登る。団子石峠は標高298m、難台山は553m、432だから、まだ半分しか登っていない。

次のピークの手前に下草を刈り取った場所があるのでせっかくだから寄ってみたところ、ここから筑波山・足尾山・加波山の稜線がさえぎるものなく一望できるビューポイントだった。前回は下りだったので、こういう場所があることに気づかなかった。

丸山の風力発電プロペラが間近に見えるし、奥には燕山のアンテナ群も見える。加波山の山腹が茶色く削られているのは、採石場の跡であろう。歩くと結構アップダウンがあるのだが、遠くから見ると本当にゆるやかな稜線である。

展望地のすぐ先に2つ目のピークがあって、そこを下りてからはそれほどの傾斜はない。難台山を下から見ると頂上付近が台地のように見えるのだが、平らではないにせよ団子石峠からのような急傾斜はない。

頂上付近に露出した岩が多くみられるのは、下りの際に気づいたとおりである。獅子の鼻、屏風岩、天狗の庭などと名前が付けられている。筑波山や加波山とよく似た地盤である。別の山になってしまったが、もともとこのあたりは同じような場所だったのだろう。

ほどなく難台山頂に到着、時刻は9時45分。休憩を入れて団子石峠から75分だから、ほぼコースタイムどおりである。前回下りで70分かかっているから、登りでも下りでもたいして時間は変わらないということである。

山頂の祠にご挨拶した後、改めてあたりをよく見回してみると、祠の背後にあたる部分にちょうど腰をかけられる岩があって、そこから加波山方向に眺めが開けていることに気づいた。そういえば、前回このあたりから先客が出発したことを思い出した。

今回は誰もおらず、私ひとりの山頂である。朝方は霜が下りるくらいだったが、日が高くなって暖かく、風もない穏やかな日和である。青い空のところどころに雲が見えるけれども、雨を降らす雲ではない。

岩に腰掛けて、テルモスに入れてきたお湯でインスタントコーヒーを淹れる。このところ、バテたり風が吹いたりしてゆっくりできなかったので、こういうすばらしい景色をゆっくり見るのは久しぶりである。

20分ほどそうしていたら、下からラジオの声が聞こえてきた。後続組が登ってきたようである。この頂上で座れる場所はここしかない。荷物をまとめてそろそろ出発する頃合いである。


団子石峠からは前回通った逆コース。分かってはいたけれどもかなりの急登だ。


432三角点ピークの次のピーク手前に、筑波山から加波山にかけての展望が開けたすごい場所がありました。


前回は気づかなかっただけで、難台山頂上からは展望もあって、ちょうどよく座れる石もあった。

 

難台山頂から下りてすぐ、100mほどのところに難台山城址への下り口がある。登ってきた道からそれて、そちらに向かってみた。

いきなりの急傾斜である。難台山の頂上部は台地になっていると書いたが、そこから先はこれまでの尾根道より急だ。登山道は狭く、これまでのように整備されたハイキングコースではない。地盤も滑りやすく、一度派手に尻もちをついたほどである。

12~13分、おそらく標高差で100mほど下りてきたあたりだろう。「城址内通路→」の立て札が立っている。案内に従って進んでみたけれど城があったような平地は見当たらず、頂上台地と同様の奇岩が斜面に並ぶだけである。

すぐに崖になって進めなくなり、登山道に合流する。難台山城の由来を書いた手書きの看板が地面に置かれていたので、ここが難台山城に違いない。かなり、イメージと違った。(同じ文面が書かれたちゃんとした案内板が、もう少し下にあった。)

南北朝期の山城としては、すぐ近くに宝篋山城がある。こちらは、山頂部分に城郭や空堀の跡があり、スペース的にも建物がいくつか建てられるスペースのある場所であった(現在も、アンテナ塔やトイレ、ベンチのある広場がある)。しかし、難台山城にはそういうスペースすらないのである。

歩きながら、これでは城ではなく隠れ家だなあと思った。隠れ家にしたところで、加波山事件の舞台である加波山本宮社務所よりもさらに狭く、とても百人単位が立てこもれる場所ではない。

難台山城址からさらに10分ほど下り、林道が始まるあたりに「小田五郎碑」があった。笹藪の中、最近誰も手入れしていなさそうな場所に、高さ3mほどの大きな石碑がある。建てられたのは昭和九年、上の看板にも、県の史跡指定が昭和九年と書いてあった。

昭和九年といえば、第二次大戦に向かって日本国中が軍国化しつつあった時期である。当時、南朝正統論が声高に叫ばれており、難台山城もその一環としてクローズアップされたのではないだろうか。

後から調べてみると果たしてそのとおりであった。昭和九年は西暦1934年で、「一部の軍人・神職・歴史家などにより、後醍醐天皇と南朝の忠臣の功績を顕彰する建武中興六百年記念事業が全国各地において挙行され」たということである。

小田五郎が難台山城に立てこもったのは1387年というから、南北朝合一の5年前である。後醍醐天皇や足利尊氏はとっくに世を去り、楠木正成も北畠親房ももちろんいない。小田五郎には幕府や関東公方に反逆する意思はあっただろうが、南朝と連携するつもりまであったとは考えにくいところである。

何よりも、難台山城にそれほどの人数が立てこもれるはずがなく、「南朝最後の激戦」とは言いにくい。関東公方vs豪族の構図では当地を舞台とした50年後の結城合戦が知られるが、こちらの城攻めは結城合戦絵巻が残されていて、かなりのスケール差がある。

おそらく、軍国化の中で何が何でも南朝、何が何でも反室町幕府ということで、昔の人達が無理して探してきた城跡であり事件であったのではないか。当時、岩間町長はじめ千人が参列して小田五郎追弔祭が挙行されたという。

小田五郎碑から少し戻り、集落への近道を下って行く。道はずいぶんきちんとしてきたが、それでも結構な急傾斜である。もう一度林道と合流すると道幅が広くなるが、人里へはまだ遠い。

人家が見えてきたのはこの間通った太陽光発電施設の近く、団子石峠から下る林道と合流するあたりだった。ここまで難台山頂から1時間10分かかった。

参考資料:「小田五郎挙兵難台城址追弔碑について」 笠間市史研究員 萩野谷洋子(広報かさま令和2年2月号)


難台山城址を歩くけれども、奇岩が並ぶだけで平らな場所がほとんどない。城跡というより隠れ家だったのではと思った。


城址から相当下り、小田五郎顕彰碑からもかなり歩いてようやく案内看板に到達。


麓から見た難台山(右の峰)。難台山城は山頂からかなり下った場所にあり、下からは見えなかっただろう。

 

前回は岩間駅への道を間違えてひどい目に遭ったが、間違えた場所は「大型通行止」で曲がったからだと分かっていた。ここを直進するとすぐに交差点に出て、近くにヤオコーが見えた。ヤオコーの先が駅前通りである。

そうやって間違えずに歩くと、林道合流点から岩間駅までちょうど1時間だった。団子石峠からだと1時間半ということであり、前回かかった3時間弱はいったい何なんだということである。

駅前のベンチで一休みして、愛宕山に戻る最後の登りである。駅前通りを引き返し、住宅地を抜ける。現在は営業していない結婚式場や、よく分からない宗教施設の少し先で登山道に入る。さんざん下ってきた後の登りは、さすがに厳しい。

林の中をひと登りすると、朝方車で通ったスピンカーブの道に出る。車道の脇に鳥居が立っていて、河津桜が植わっている公園の急傾斜を登る。ここもさすがにきつい。

再び車道と合流してしばらくは楽になったが、3たび道が分かれて愛宕神社の参道になる。石段がどこまで続くのか分からないくらい上まで続いている。1日歩いた後のこの最後の登りは、さすがにつらかった。

標高300mくらい大したことはないと思っていたが、とんでもない思い違いであった。愛宕神社着は13時30分、岩間駅からちょうど1時間のコースタイムどおりである。ずいぶんきついと思ったのだが、その割には善戦している。

石段は、参道の「日本火防三山の一」石碑から300段くらいあった。手水鉢があり、さらに十数段登ってようやく本殿である。本殿正面には天狗のお面が飾られている。いろいろなところに描かれている神社の紋も、天狗の使う羽団扇である。

愛宕信仰と天狗は結び付きが強い。伝説では、役行者が京都愛宕山で八大天狗の太郎坊に遭遇したのが愛宕信仰の始まりといわれる。さらに飯縄信仰とも結びついて、室町から戦国時代には多くの信者を集めた。

上杉謙信は兜に飯縄権現像を飾ったし、上杉景勝の家臣直江兼続の兜の「愛」は、愛宕権現である。上杉家だけでなく、室町幕府管領で「半将軍」と呼ばれた細川政元も愛宕・飯縄信者として有名である。

しかし、愛宕山周辺で「天狗の森」「天狗通り」があるのは愛宕神社があるからだけではない。ここは、江戸時代の国学者・平田篤胤が天狗少年から話を聞いた「仙境異聞」の舞台なのである。

平田篤胤は国学者・神道家として多くの弟子を持ち多くの著作を残したが、ある時期から超能力とか死後の世界に深い興味を持った。

天狗少年は子供の頃行方不明になって何年か後に帰ってきたが、その間天狗に連れられて外国や異世界を訪れたという。篤胤は天狗少年から聞いた話を文章や絵に残し、神仙の住む世界があることを確信したのである。

天狗少年の述べたことが本当なのかどうかよく分からないが、愛宕・飯縄信仰では修行によって天狗のように空を飛んだり、戦をすれば負けることがないと信じられたという。天狗少年のイメージの背後に、そうした信仰の影響は間違いなくあるだろう。

愛宕山の頂上を探して本殿の背後の一段高くなっている奥宮のあたりを歩いたのだが、よく分からなかった。もともと、愛宕山頂上には三角点はないので(標高差で30mほど下にある)、山名標もないのかもしれない。

登ってきた石段から右45度の方向にきちんと組まれた参道があり、そこを下って行くと駐車場の大鳥居に出る。休憩所が開いていて、アイスクリームと三ツ矢サイダーを買った。日帰り入浴は自粛中でどこもやっていないので、車の中で着替えて家に向かった。幸いなことに、この回も足腰が痛むことはなかった。

この日の経過
天狗の森駐車場(260) 7:05
7:50 南山展望台(382) 8:00
8:25 団子石峠(298) 8:30
8:50 432三角点(432) 9:00
9:45 難台山(553) 10:05
11:15 林道合流点(103) 11:15
12:15 JR岩間駅(32) 12:30
13:30 愛宕神社(293) 13:45
13:55 天狗の森駐車場(260)
[GPS測定距離 14.8km]

[May 25, 2020]


いったん岩間駅に戻り、引き返して愛宕山に向かう。


登って下った後、麓から登りはさすがにしんどい。そして、最後の石段は三百段くらいあり、とても一気には登れない。


愛宕山にある愛宕神社本殿。愛宕権現の使いは天狗だが、加えて平田篤胤の天狗少年の舞台でもあることから、天狗がフィーチュアされている。