040 年金生活雑感 縛られるもの [Jun 11, 2020]

お遍路歩きや山歩きをしていて、いろいろな土地でいろいろな人が生活しているのを目にする。最近、そういう時にしみじみ感じるのは、受け継いだ田畑とか資産がなくてよかったなあということである。

若い時は、お金持ちの家に生まれていれば、もっとやりたいことができただろうと思ったこともあった。ちょうどバブルの時期にあたり、土地であればカネになるという時代があった。その期間はいまにしてみればたいへん短かったのだが、先祖代々の土地を受け継いでいる人は生きていく上で有利だと感じたものである。

その後、平成の30年間は経済的にほぼ停滞した時代であった。給料が増えることもなく、地価も株価も上がらず、消費は停滞したまま一世代が過ぎ、日本の総人口は減少に転じた。これから先、私の生きている間に再びバブルが来ることはなさそうだ。

こうなってみると、田畑を持っていたり、土地を持っていたり、工場その他の産業基盤を持っていたとしても、それらは行動の自由を制限するけれども、持っているからプラスになるものではなさそうである。固定資産税を払うだけ損ということである。

いろいろな場所を歩いていると、田畑を耕している人がいて、家畜の世話をしている人がいて、家業に精を出している人がいる。お遍路では瓦製造の街を見たし、山歩きではかつて石材で栄えた場所も歩いた。

田畑(第一次産業)や工場(第二次産業)でなくても、状況は似たようなものかもしれない。私の小さい頃は医者が最高の花形職業で、美人は開業医の妻を目指すとされたものである。いまや、医者の就業環境がブラックであることは知れ渡っているし、ドクターXでもない限りそんなに高収入でもない。

それらの例から考えると、平成・令和の時代に花形とされているIT長者が、あと30年経って引き続き花形であるかどうか分からない。経験則からすると、ない可能性の方が大きい。

もちろん、田畑を耕したり家畜の世話をしたり、人々の病気を治すことはそれ自体すばらしいことであり、生き甲斐である。しかし、私の性格からいうと、それらの仕事に縛られることはおそらくストレスとなるのではないかと思う。

いまの生活のようにストレスが少なく、おカネには不自由するけれどもほとんどの時間を好きに過ごすためには、どういう形であれ縛られるものがあるのは私にとってマイナスである。

田畑があればその土地から離れることは難しく、気に入った場所を探して住むことはできない。工場だろうが、サービス産業だろうが、生産基盤を持っていれば仕事に縛られて時間に自由は利かない。

何も持たずに生まれてきたということは、いま考えるとそれほど悪いことではなく、むしろよかったことなのではないかと思えるようになった。

[Jun 6, 2020]