020 野良犬 [Jun 24, 2020]

先日近所の里山を歩いていたら、野生のキジと出くわした。千葉ニュータウンは自然がまだまだ残っていて、散歩していると時々こうしてキジと出会うことがある。二十年前には向こうから全速力でウサギが突進してきたが、最近は見ない。

キジ君は私を見てもあわてることもなく、のそのそ畑の中へ遠ざかった。あわてて携帯のカメラで撮影したが、あまりアップでは撮れなかった。生育中のナスの花芽をつついていた。

半世紀前、私が子供の頃住んでいたのは新興住宅街であったが、タヌキは見かけたもののキジやウサギを見ることはなかった。田圃に行けばメダカやタニシ、もちろんアメリカザリガニもそこらじゅうにいた。

それらの生物よりも印象深く記憶に残っているのは、やたらと野良犬が多かったことである。飼われている犬でもロープやリードなしの放し飼いという奴らがいたのだけれど、野良犬は首輪をしていないのですぐ分かる。

子供同士で空き地に集まり、原爆(という名前のボールゲームがあった)や竹馬で遊んでいると、どこからともなく野良犬が現われて、狂暴に吠え掛かるのであった。その頃分譲中の空き地は至る所にあったから、誰かの家というのではない。にもかかわらず、なぜか犬が現われるのである。

いまの時代だと、家で飼われているのはほとんど血統書付きの純血種であるが、その時代は血統書付きなどごく一部の金持ち犬に限られていて、他は例外なく雑種犬だった。避妊手術などしていないので、野良犬がどんどん増えていくのである。

また、現代の犬はペットとして飼われているので、番犬としてうるさく吠え掛かる犬は多くない。犬が吠える場面はほとんどが散歩中に気が合わない犬と遭遇した場合で、人間相手だとたいてい尻尾を振って友好的な雰囲気であることが多い。

ところが当時の野良犬というのは、当然のことながらしつけなどされていないし、友好的でもなく、しかも雑種だから見た目もかわいくない。そういう連中が子供たちを威嚇するものだから、ボール遊びもそこそこに逃げ出さざるを得ないのであった。

現代でも福島の原発付近や沖縄の米軍基地近くには野犬の群れが確認されるらしいが、住宅地で野良犬を見ることはほとんどない。狂犬病予防の観点から全頭に予防注射が義務付けられたとともに、自治体が野犬処分に力を入れたからである。

私の記憶では、1964年の東京オリンピックと70年の大阪万博を契機に、野良犬の数が大きく減った印象がある。サッカーワールドカップで大阪の路上に布団を敷いて寝る人がいなくなったのと同じで、国家的イベントに備えて環境整備が大々的に行われたのだろう。

よく知られるように、犬は狼を家畜化して、番犬や獣害予防のため人間の集落内で飼われるようになったものである。ネコはネズミを捕るという本来の目的がなくなってもペットとして安泰であり、野良猫はいまでもいくらでも目にすることができる。

対して犬の場合は、本来の目的で飼われる犬は少なくなり、介助犬やセラピー犬として生きていかざるを得なくなっている。ネコはありのままでそれほど不自由はなさそうだが、犬の場合は生きていくのが難しそうである。

[Jun 24, 2020]


先日、近所の里山を散歩していて野生のキジを見かけた。そういえば、半世紀前には至る所に野良犬がいたことを思い出した。