810 八十一番白峯寺 [Oct 3, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2019年10月3日の朝になった。この日は4時起きの予定だったが3時半に目が覚めた。天気予報では、日本海を北上中の台風の影響で午前中雨が残るけれども、午後は晴れると言っている。できるだけ早く止むことを祈るだけである。

前の晩にセブンで買ったコロッケパン、飲むヨーグルトいちごと、インスタントコーヒーで朝食にする。台風が近づいているので自分なりに急いで来たものの、結果的には当初予定どおり国分寺まで打って高松市内まで移動することとなった。

できれば前日のうちに白峯まで登って坂出に下りることができれば(バスの時刻表も確認していた)、時間的にも体力的にも余裕があったのだが、今更どうしようもない。何とかやりくりするしかない。

そうなると、この日の歩き始めはできるだけ早くということになり、午前7時からのホテルの朝食を食べている時間はなかった。また、根香寺から別格札所の香西寺に下りて、そこから一宮寺という予定にしていたけれども、香西寺に寄るのも難しいかもしれない。

そういえば1年前に善通寺の近くで、「この先はしばらく平坦で楽だよ。次の登りは白峯寺だな」と教えられたことがあった。実際、この後の厳しい登り下りと悪天候にスケジュールの厳しさが加わって、体調を崩す原因となってしまった。

午前5時過ぎにホテルを出て、JR高松駅まで歩く。雨は降っていない。もう雨雲が過ぎてしまったことを期待する。5時半に駅に着いて、42分発の普通電車に乗る。駅には誰もいなかったが、電車の中には結構人がいる。さすが四国第一の都市である。

香西、鬼無と過ぎて国分駅で下りる。いま電車で通ってきたあたりは、この日の午後根来寺から一宮寺へ行く途中で歩くことになっているが、まだ暗くて何も見えない。6時前に国分駅に到着。

この日は同じホテルに連泊なので、リュックは置いてデイパックである。しかし、水と行動食、上下のレインウェアと納経帳を持っているのでデイパックは一杯である。前日歩いた道を国分寺まで引き返す。

国分寺の山門脇に注意書きがあり、白峯寺へは山門をそのまままっすぐ進み、ホテルがあるからそこを左へということである。門前町というより普通の住宅街を進み、ラブホの前を左に折れる。五色台の方向へはなだらかな舗装道路で、切れ込んだ谷のあたりまで民家が見える。

登り坂をゆっくり登る。まだ雨は降っていない。上の方から軽トラや普通車が下りてきて、道が狭いのでそのたびに道端によけなければならない。このあたりは高松市内までいくらも距離がないので、通勤している人もいるのかもしれない。

30~40分かけて、最上部の民家まで到達する。振り返ると、低層の民家が山すそからずっと向こうまで広がっていた。


午前5時にホテルを出て、42分発の琴平行で国分に向かう。高松駅にもまだ人通りはほとんどない。


国分寺を過ぎ、いちばん山側の集落まで坂道を登る。これから、2つの山の間にある谷を詰めて行く。


白峯登山道はこういう感じで歩きにくくはないが、心配していた雨がいよいよ本降りになってきた。

 

最奥の民家から少し先で舗装道路がなくなり、登山道が始まっていた。道幅はかなり広く、傾斜はそれほどでもない。雨は降ったりやんだり。それほどの勢いではないので、レインウェアの上だけ着て傘は差さずにフィールドアンブレラをかぶって登る。

30分ほど登ったところに、こんなに立派なと思うほどのトイレと休憩ベンチがあるが、まだ休むほど登っていないので通り過ぎる。その少し先に石鎚神社と書かれた柱が立つ分岐。奥に石鎚神社の分社があるのだろう。

石鎚神社分岐を過ぎると、急に雨が勢いを増した。フィールドアンブレラでは間に合わないので、傘を差して進む。下もレインウェアに着替えたいけれども、こういう時に限ってベンチも東屋もない。スイッチバックの坂をがまんしながら登る。

この登りでありがたかったのは、道標が頻繁に出てきて残り距離が分かりやすかったことである。距離が3km、標高差が350mほどだから1時間半くらいと見当はついていても、残り1kmとか500mと示されると元気が出てくる。雨でつらい登りになれば尚更である。

登山道に入って1時間、一本松で林道に合流した。ここからは五色台の上を走る舗装道路になるので、足元はかなり楽になる。しかし、休んで身支度を整える場所がない。仕方なく、そのまま傘を差して歩き始める。

しばらくすると、左手にフェンスが続く道となった。「立入禁止 自衛隊演習地につき立入を禁止する」とものものしく書いてある。あるいは、休憩所がないのも自衛隊と関係しているのだろうか。家にほど近い習志野にも自衛隊の駐屯地があるが、こんなにしつこく立入禁止と書いていない。フェンスはもっと高くて立派だが。

雨はますます強い。舗装道路の途中で、白峯寺への近道らしき分岐があったが、この大雨で登山道を歩くより舗装道路の方が遠回りでも安全だろうと考えてそのまま進んだ。道はゆるやかなアップダウンとカーブを繰り返しながら進む。ようやく「白峯寺2km」の標識が現われて、ホテルニューサンピアの前を通り過ぎる。

ニューサンピアの少し先を右折すると、白峯寺はすぐである。駐車場のようなスペースが続き、神社の末社のような祠がある。立派なトイレの建つ白峯寺の山門前まで来ると、空が明るくなって雨が止んだ。午前9時少し前に、白峯寺に到着。JR国分駅から3時間弱。ほとんど休まないで歩いたためだろうか、思ったより早く着いた。

さて、白峯寺に着いた時に雨が止んで、お参りはほとんど傘なしでできたのだが、これで雨も上がるだろうと思ったのが大間違いだった。何しろこの日は四国各地で大雨になり、高知県のどこかで鉄砲水が出て全国ニュースになったほどである。

わが身についていうと、白峯寺にいる間にレインウェアの下だけでも穿いておけば、この後の難儀は多少でも和らいだはずなのだが、まあ、そんなことはこの時には分からない。

白峯寺の山門は間口2~3間のこじんまりしたもので、四天王や仁王様がいらっしゃる訳でもない。簡素な山寺といった趣なのだが、山門をくぐると寺域は広大である。

山門を入ってすぐに納経所の建物があるのだが、参道はそこから左折してしばらく進み、右折して長い石段を登り、ようやく本堂・大師堂に達する。途中には鐘楼や護摩堂、阿弥陀堂などなど多くの伽藍がある。

石段の登り口で右折せずに直進すると白峯寺の山門より立派な門があり、札所によく見られる大きなわらじが納められている。頓証寺殿と書いてある。こちらは、崇徳上皇の廟所であり、上皇が祀られている。


一本松で県道と合流してからは舗装道路で歩きやすいが、傘を差さなければならない。身支度しようにも座る場所が全くない。


へんろ小屋や休憩ベンチが全くないのは、あるいは自衛隊の敷地に隣接していることが理由か。左手にはずっと立入禁止のフェンスが続く。


国分駅から約3時間、なんとか白峯寺に到着。屋根があるベンチは、矢印の先にある県が設置したトイレのところだけ。

 

綾松山白峯寺(りょうしょうざん・しろみねじ)、山号からは五色台の青峰を連想するが、青峰は根香寺の近くでちょっと離れている。あるいは、白峯寺周辺のピークの一つがこの名前なのかもしれない。山麓に、崇徳上皇を荼毘に付した煙が漂ったとされる青海神社がある。

真念「道指南」には、白峯寺の縁起として稚児ヶ嶽について書いている。18歳の雲識が弘法大師の捨身ヶ嶽の故事を見習って捨身行をしたところ、黄色い衣を着た僧が現れて受け止めたとある。崇徳上皇のことには触れられていない。

ただ、WEBでは、崇徳上皇をしのんで村人たちが稚児行列を行っていたところ一人の稚児が落ちたけれども、松の木の上に落ちたので助かったという話になっている。弘法大師を中心に書くか、崇徳上皇を中心に書くかで内容が変わってくるようで興味深い。

いずれにしても、弘法大師は崇徳上皇より300年前の人だから、白峯寺が崇徳上皇以前からあった霊場であることは確かである。だが、崇徳天皇陵が白峯に置かれたこともあって、現在では白峯全山が崇徳上皇の本拠となっているように見える。

本堂まで登って読経。本堂の隣に大師堂がある。お参りしているのは私しかいない。ツアー遍路では善通寺に必ず泊まるだろうから、白峯寺・根香寺は翌日の午後にお参りして高松市内に宿泊するケースが多いだろう。だとすれば、この時間に白峯寺というのはあまりいないかもしれない。雨だからという訳ではないかもしれない。

山門こそこじんまりしていたが、参道の奥には頓証寺殿の立派な仁王門があり(後で調べたところ、扉の奥に源為義と為朝が控えていたようだ)、本堂・大師堂までは多くの伽藍が並ぶ。崇徳天皇社と白峯寺は明治神宮と明治天皇陵とはかなり違うんだなあと思った。

納経所でご朱印をいただく際に、天皇陵への行き方を尋ねる。参道を途中から左に入るようだ。聞かないと分からない道で、寺の境内と離れて森の中をしばらく進む。雨降りでなくても深くて暗そうな道を抜けると、宮内庁様式の天皇陵があった。

例の宮内庁名の看板は参道のずっと下にあるのか見えなかった。寺の施設とは独立した宮内庁の管理下にあり、もちろん賽銭箱も納経箱も置いていない。二礼二拍手一礼で参拝。

現在では、こうして別管理で白峯寺と天皇陵があるが、明治以前にはこうではなくて、白峯寺の一角に頓証寺殿と天皇陵が一体化してあったに違いない。だから高松藩の殿様は白峯寺と頓証寺殿の復興に巨額の支出をしたのだろう。

ちなみに、頓証寺の扁額は後小松天皇の揮毫という。後小松天皇は南北朝合一の際の北朝の天皇で、現在の皇室のご先祖にあたる。太平記が書かれたすぐ後の時期にあたるので、あるいは太平記も読んでいたかもしれない。

この日の経過
JR国分駅 6:05 →[3.5km]
7:30 一本松県道出合 7:35 →[4.1km]
8:50 白峯寺 9:50 →

[Jul 25, 2020]


白峯寺本堂。白峯寺の境内は広く、本堂・大師堂は納経所エリアから参道を進み、石段を登った先にある。


本堂の隣に大師堂。まだ9時過ぎのこの時刻では、私の他にお参りしている人はいなかった。


納経所まで戻る途中に崇徳天皇陵への参道があり、5分ほど歩くと天皇陵。畿内と東京以外にある天皇陵は珍しく、崇徳天皇を含めてすべて政争の敗者である。