044 年金生活雑感 年金生活に向く人・向かない人 [Aug 27, 2020]

毎朝自分のブログの更新状況を確認したり、前日のアクセス数を調べたりする。ついでに、他の人の書いたブログを読んだり、最新ニュースをチェックすることもある。

他の人のブログを読んで参考になることもあれば、あまり参考にならないこともある。おおまかな傾向として、断定的な物言いをする人の書いたものはあまり参考とならないことが多い。

この間、題名につられて読んだブログでは、アーリーリタイアには意味がないと主張していた。なぜかというと、時間ができてもやることがないからだという。そりゃ<あなたは>やることがないかもしれないが、私にはいくらでもある。

どういう話題にせよ、「これこれが正しい。なぜかというと私がそう思うからである」と主張する人が多いのは困りものである。なぜ、少し違った角度、違った視点から考えてみないのだろうと思う。

そういう人達というのは、おそらく、自分は優れているが読者は考えが足らない。だから私が啓発(昔は啓蒙といった)するのだという空気を感じる。いわば、ブログを通じてマウンティングをしているのだ。

私がブログを続けている理由のひとつは、以前、WEBからの知見に助けられ、会社とか学校、地域では知り合えないような多くの人達と知り合い、たいへん楽しい時間を過ごしたからである。こうしてブログでいろいろ書くことで、なにがしかの恩返しができたらと思っている。

だから、想定読者は二十年前の自分である。もしその頃に現在の知識があれば、もっとスムーズにリタイア生活に入ることができただろう。もっと効率的に準備できただろうと思うからである。

そうした観点からすると、「アーリーリタイアには意味がない。生涯現役が理想」という意見を二十年ほど前の私が読んだとしたら、これほどネットに深入りしなかったと思う。そういう意見は、本や雑誌を探せばいくらでも書いてあるからである。

いまは少しましになったが、老後の指南と称して、月30万の収入が必要だとか、年金の運用法とか、副収入をいかに多く確保するかなどという情報を提供する人達がいる。たいていは、銀行や保険、証券会社の手先である。

リタイアというのは、そうした俗世間の価値観から一歩離れて、ある意味、自分がこの世から静かにフェイドアウトするための準備期間である。そうしたことばかりに頭を使う人達は、永遠に生きるつもりなのかと思ってしまう。

もちろん、そうした人達はそうした価値観でやっていただいて差し支えないのだが、私から言わせるとそれはリタイアではなく、定年後も会社に似た何者かに属して、サラリーマンに似た何かをしているのである。

リタイア後は地域社会やボランティアで社会とのつながりを保つことが大切だと書かれていることがあるけれども、私はそれにも疑問を持っている。つまり、そういうことを言ったりなるほどと思ったりする人達は、結局のところリタイアに向かないのだろう。


盛夏の里山を歩く。長梅雨で心配したけれど、8月に入ると連日猛暑で、今年も豊作間違いなしです。

 

リタイア後にどういう時間を過ごすのか。私のイメージを少し書いてみたい。

先日は、少し日が陰ったのを幸い、いつもの里山歩きに出かけた。20分も歩かないうちに、電柱も建物もひとつも見えない田園地帯になるのは、千葉ニュータウンの最もすぐれた点のひとつである。

セミの声を聞き、鳥の声を聞き、虫の声を聞く。木々をわたる風を感じ、森の姿、山の形を眺める。あぜ道を下りてゆくと、稲穂が出揃った水田である。梅雨寒で心配したが、今年も豊作間違いなしだ。

きっとこの景色は私が生まれる前から変わらなかったし、私がフェイドアウトした後も変わらないだろう。いろいろ見て歩いて考えながら、この世界は生きて時間を過ごす価値のある世界だと確かに感じることができる。

自由にゴルフをしたり時間の制約なく旅行するためにリタイアするのではない。これまで抱えてきた重い荷物を少しずつ下ろして身軽になり、もしかするとすぐ来るのかもしれないテイクオフを準備する時間だと思っている。

テイクオフまで、平均寿命的にあと20年。1年以内にその日が来る可能性は現状50分の1だが、これから先どんどん高くなる。ポーカーを集中的にプレイしてきて、出てはいけない1枚のカードが実にしばしば出るのを見てきた。1枚のカード、約50分の1の確率である。

幸いに、リタイアして心穏やかに過ごすことができている。多くの偶然に恵まれ、家族のバックアップに助けられ、わずかながら自分でも考え努力してここまでやってきた。

いま本当にすべきことが何かということは、もう持ち時間があまりないことを念頭において考えるべきだろう。

やることがないからリタイア先延ばし、生涯現役という人達は、当分50分の1のカードを引かない自信があるのだろうけれど、私はそこまで引きが強くないし、いずれ遠からずカードを引くことは間違いないのである。

「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍、萩尾望都)に、未来社会で人間の記憶が一枚のデータチップに還元されてしまうという場面がある。静的なデータに還元されてしまうのは寂しいが、再びハードウェアに実装されれば活動することができる。

残りの時間は決して長くはない。いつまでも他人との関わりの中に自分を位置付けていないで、自分のチップにできるだけのソフトウェア、できるだけのデータを記憶させることの方が、私には魅力的である。

リタイアの意義は人それぞれではあるが、いつまでも会社の延長のような生活を送ることに私は魅力を感じない。

[Aug 27, 2020]