027 上田秋成「雨月物語」「春雨物語」 [Sep 9, 2020]

上田秋成の「雨月物語」は受験に出てくる江戸時代文学の代表作の一つだからもちろん名前は知っていたし、「菊花の約」はいろいろなところで引用されるから読んだことがあった。ただ、イメージ的に「南総里見八犬伝」に近いので、やたら長くて厚い本なのだろうと思っていた。

ところが実際には、雨月物語は短編9作、春雨物語は11作(上下に分かれた作品があり実質10作)であり、日本古典文学全集1冊にも満たない。それほど気負わなくても読める作品だったのだ。

図書館が再開したら読もうと思ったのは、もちろん村上春樹「騎士団長殺し」の影響である。この作品では騎士団長出現の直接の原因として、春雨物語に出てくる「二世の縁」がモチーフとして出てくる。

その「二世の縁」も、上田ワールドというか、妖しい世界感満載なのであるが、今回読んでみて思ったのは、騎士団長自身が、まさに雨月物語に出てくる黄金の精霊そのものだということである。つまり、「騎士団長」という作品は「雨月」「春雨」が本歌だったのだ。

登場する精霊は翁の形をとって現れるが、自分は「神にあらず仏にあらず、もと非情の物なれば」と言うからほとんどイデアである。主人公の侍に、豊臣に付くべきか徳川に付くべきか問われて、「それは人間の世界のことであって、私が知るべきことではあらない」と答えるところなど、まさしく騎士団長である。

しかし、その問いに対して、「百姓は家に帰る」と句を詠んで消える。公的言語と私的言語のぎりぎりの一線、と言うべきであろう。

おそらく村上春樹は「雨月」「春雨」を読んで、「二世の縁」はこう書かれるべき物語ではないかと考えて騎士団長を書いたのではないかと思う。「二世」では即身成仏した僧は生き帰って普通の人になるが、あまり腑に落ちない結末である(騎士団長なら、ぐいっと飲み込むべきものだ、と言うかもしれない)。

雨月の「浅茅が宿」には黒沢映画の「七人の侍」にそっくりな描写が出てくる。だが、井沢正彦氏によれば刀狩り以前の農民は武装しているので、あの映画に描かれているようなやわなものではないそうだ。そして、村落共同体が堅固だったから、「浅茅が宿」のような、のちの核家族のような生き方はできなかった。

しかし、そういう場面を書いてしまうということは、上田秋成自身が商家の育ちなので、後のサラリーマン家庭とよく似た環境に育ったからであろう。いまのようにTVも新聞もインターネットもないから、自分の育った以外の社会は想像しにくい。

上田秋成の境遇とよく似ているのは、フィクションではあるが「巷説百物語」の語り手として設定されている山岡百介である。そもそも、百物語そのものも雨月物語現代版のような作品であり、京極堂も意識して書いているのかもしれない。

[Sep 9, 2020]


「騎士団長殺し」に出てくるのは、日本古典文学全集で「雨月」「春雨」が掲載されているということなので、昭和48年の小学館版のことだと思われます。あまり借りる人もいないのか、古い本という感じではなかったです。