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四国札所歩き遍路

850 八十五番八栗寺 [Oct 4, 2019]

この図表はカシミール3Dにより作成しています。

12時半に屋島展望台から登山道を下り始めた。

こちら側の登山道は来た時の参道とは違って遊歩道として整備されておらず、まさに登山道である。ウォーキングシューズより登山靴が欲しいような、足場の悪い急傾斜である。

スイッチバックを繰り返して下りていくと、ほどなく舗装道路に出た。屋島ドライブウェイである。車はほとんど通っていない。私の持っている遍路地図には「歩行禁止」と書かれているのだが、左右を見ても歩いていけないとは書いてない。

とはいえ、ここを下りてしまうと登り始めた琴電屋島のあたりに戻ってしまうので、大きな距離ロスとなる。仕方なく、足場の悪い急傾斜の登山道を引き続き下る。

前日の大雨と違いいい天気なのだが、その分汗をかいてきつい。汗を拭くと顔がひりひりする。腫れているのは間違いなさそうだ。ただでさえ下りはヒザが痛むのに体調もよくないので、転んだら目も当てられない。慎重に足の置き場を確保しながら下る。

30分ほど下ると害獣除けの柵があり、そこを越えると道がよくなった。佐藤継信の墓が案内されていたが、予定より遅れているのが気になって寄らなかった。住宅街を抜け。ようやく平らな道に出る。

ここから橋を渡って五剣山の登山口まで平坦な道なのだが、ここがまた長かった。いつまで歩いても交差点に着かない。下り坂を下ってから平坦な道になると登っているような感覚になることがあるが、まさにそれである。

源平合戦の旧跡があると案内があるがここも素通り。ともかく八栗寺まで早く行ってしまいたい。このあたりでミネラルウォーターがなくなった。市街地なのであまり心配していなかったのだけれど、日差しが強いので消費が早い。

なのに、なぜか自販機がない。ようやく見つけて小銭を用意すると、なんとミネラルウォーターだけが売り切れである。間の悪い時はこういうことが続く。

登山道の下りと同じくらい歩いて、ようやく橋を渡った。目の前にマルナカがある。まだお昼を食べていないし水もない。リュックを置かせてもらって店内に入る。

固形物を食べる体調ではなかったので、元気一発ゼリーとクーリッシュバニラ。それと、汗拭きタオルとミネラルウォーターを買う。ミネラルウォーターはプライベートブランドなので、自販機で1本買う値段で2本買えた。店の外のベンチに座らせてもらい、ゼリーとクーリッシュでお昼にする。少し回復できた。

マルナカのすぐ先が洲崎寺である。ここには「四国遍路道指南」の著者である真念和尚の墓がある。近年まで共同墓地に葬られていた。立派な囲いがある現代的な墓だが、昔からあったのは中心部の自然石の墓石だけで、それ以外は近年になって整備されたものである。

洲崎寺自体は古くからあって、寺としては屋島の戦いの舞台ということを前面に出しているように見えた。例の佐藤継信とも関係あるようで、本堂や庭園にはそれらの資料もあるようだ。

屋島の戦いは12世紀、真念は17世紀だから500年違う。「道指南」「霊場記」には「すさきの堂」として記載されていて、大師御作の聖観音菩薩が本尊とあるが、あるいはこの近辺の札所と同様、八十八ヶ所とは別に観音霊場として古くから信仰を集めていたのかもしれない。

真念和尚にご挨拶して、洲崎寺の先から五剣山に向かって登り坂を進む。遍路シールはあるけれども行先が路地のようなところばかりでたいへん分かりにくい。それよりも、ケーブルカーの駅を目標にした方が分かりやすい。ケーブル駅のすぐ横から登山道が始まっている。

屋島からの下りはまさに登山道で、登りのように整備されてはいない。

ようやく海岸線に近づく。簡易舗装されているが、かなりの急傾斜が麓まで続く。

市街に入って、マルナカのすぐ近く、洲崎寺に真念の墓がある。近年まで共同墓地に墓石だけあったのを移設したので、一般人の墓とあまり変わらない。

五剣山はもともと5つの鋭い峰から名付けられたと言われ、現在でも左の4つはたいへんよく目立つが、一番右の峰は頂上が平らになっている。これは、もともと鋭い峰だったものが地震で崩れたといわれている。その五剣山が、だんだん間近に迫ってくる。

ケーブルカー駅を過ぎると、傾斜が一段ときびしくなる。なかなか足が上がらないのは、屋島を登り下りしたからだけでなく、早起きしてすでに20km近く歩いているからだろう。体がだるい。鳥居のところまで歩いて、たまらず座り込んでしまう。

寺の参道なのに鳥居というのはよく考えると妙だが、神仏習合の時代であれば誰も違和感を持たなかっただろう。この鳥居は聖天様のためと書いてあったと思うが、このあたり体調が悪くてメモも写真もないから記憶違いかもしれない。

屋島の登り坂と違ってきちんと遊歩道にはなっていないが、歩きやすい道だった。急な傾斜で暗い道を登って行くと、いよいよ五剣山が間近に現れる。昔は売店だったような家並みがあって、再び鳥居がある。背後に五剣山があるので、まさしく山そのものがご神体のように見える。

休業中の売店だと思われた家並みの一角に「営業中」の札が下がっていた。ここが岡田屋旅館で、歩き遍路がよく利用する宿として有名である。かつては、参拝客や遍路客でにぎわったであろう門前も、いま営業しているのはこの岡田屋旅館だけのようだ。

鳥居をくぐって境内に入る。境内は広く、入ってすぐの一角に本堂と聖天堂がある。本堂の真後ろに五剣山が聳え立っているのは壮観である。午後3時10分着。麓から1時間かかった。

五剣山八栗寺(ごけんさん・やぐりじ)。山号は寺の背後にそびえる五剣山からとられている。寺号より山号の方がしっくりくる札所はいくつかあるが、この五剣山もその一つである。見るからに山岳信仰の霊場で、弘法大師以前から修験道の行場であったと思われる。

本堂の斜め前に聖天堂がある。本堂より一段下に建てられているが、大きさは同じくらいである。石鎚山も聖天が祀られていたが、同様に山岳信仰と関わりの深い神様として、古くから重視されてきたのであろう。真言宗だけの信仰であれば、聖天堂の位置には大師堂がある。

では大師堂はどこにあるかというと、多宝塔や五剣山を模したオブジェとともに、本堂エリアから少し奥に進んだ一角にある。この一角がまさにすがすがしい雰囲気である。幸いベンチがいくつか置いてあり、静かな時間を過ごすことができる。

すぐ下りてしまうのがもったいない気持ちがして、ここで30~40分座っていた。ケーブルカーから本堂に来る参拝客はなぜかこのエリアにはあまり来ず、奥の方から何人か歩いてきた(後から気づいたが、奥に駐車スペースがある)。外人さんらしき姿も見たが、軽装だったのでお遍路歩きかどうか分からない。

ここまで来てしまえば、あと宿までは6kmだから1時間半、午後4時に出発すれば暗くなる前に着くことができるだろう。それにしても疲れた。せっかく八十八ヶ所お参りするのに、こんなに急いではいけないと改めて思った。スケジュールはもっとゆったり計画しなくては。

五剣山が近くなった。一番右側の頂は、江戸時代に地震で崩れたという。

八栗寺はまさに五剣山の直下にある。鳥居は聖天様のためということだが、五剣山そのものを祀っているようにみえる。右の建物が岡田屋旅館。「営業中」の札が下がっていた。

八栗寺本堂。左手のお堂は聖天を祀っている。

午後4時になったので、重い腰を上げる。境内の地図を見ると、志度寺へは奥にこのまま進めばいいらしい。林を抜けると、こちらにもかつて旅館や売店であったと思われる建物があった。もう数十年も営業していないらしく崩れかけているが、自販機が置いてあったので持ち主はちゃんといるらしい。

こちらの山門を抜けたところに、自動車が何台か止まっていた。どうやら、車でお参りする人はこちらの道で上がって来て路肩に駐車するようだ。そこから、きれいな舗装道路が下に伸びていた。登る時に通った道より、傾斜もかなり緩やかである。

しばらくして農家の倉庫らしき建物があったが、それ以外は何もないところだった。きちんと舗装された緩やかな坂道が続く。何度か振り返るたびに、五剣山が遠のく。しばらく坂道が続いて、少し切り立った場所を通ると、なんと、麓までかなり高低差がある。

傾斜が緩やかだとその分距離が長くなるというのは当り前だが、かなり歩いたのにまだ先が見えないのはつらいものである。体調がよくないからなおさらである。下り坂なのに、なかなか足が前に出ない。

1時間近くかかって、対岸に学校のグランドらしきものが見え、次いで大きなため池が現われた。ここが二ツ池親水公園だろう。遍路地図によると2.5kmほどのはずだが、4km近く歩いたような気がした。

親水公園のあたりで道が右から左から合流し、気が付くと遍路シールも矢印も見当たらなくなっていた。一つ前の分岐まで少し引き返すと、そちらの方向に「志度寺」の行先表示があり矢印が続いていた。片側一車線の道から細い道に分かれるので油断したのだが、ここを進むらしい。

帰ってからGPSで経路を確認すると、私の通った遍路シールのある道は遍路地図には示されていない道で、逆に遍路地図が推奨するルートには何の案内もなく、私が行きかけた道であることが分かった。いつもながら、遍路地図はたいへん迷いやすくなっている。

遍路シールで示される道は、親水公園から住宅街を抜け、県道36号を通って琴電志度線の塩屋付近で踏切を渡る。丁石や古いお地蔵様も点在していて、こちらが古くからの遍路道であったことは間違いない。なぜ遍路地図で、この古い遍路道を推奨していないのか、よく分からない。

踏切を渡るとほどなく国道11号に合流する。屋島寺に登るために別れて以来、数時間ぶりの再会である。ずいぶん長い距離を歩かされているような気がした。

左手に道の駅を見ながら、歩道を歩く。もう午後5時を過ぎて、あたりは薄暗くなってきた。八栗寺からの下りが距離以上に長く感じられて、ひと休みしたいのだが時間も遅いし、道の駅に寄る余裕がない。

そのまま国道をまっすぐ歩く。なかなか志度駅の表示は出てこない。国道付近はそれほど建て混んでおらず反対側のJR線路まで見える。左は琴電の線路で、その風景がずっと続く。

八栗寺から志度寺まで遍路地図では6.5kmなのだが、もう1時間半歩いているのに志度駅にも着かない。だんだん足が上がらなくなってきた。ここまで㌔ポストのある国道を歩いてきたが、並行して通っているへんろ道に戻ろう。

そろそろ志度だと思って左折して側道に入ると、そこはまだ一つ前の原駅だった。まだ歩くのかと思った。原から志度まで古い商店街のような通りである。平賀源内関連の旧跡がいくつかある。あたりはどんどん暗くなる。それでもまだ宿には着かない。

もうすっかり日が暮れて足元が見えづらくなった頃、地蔵寺の前に出た。志度寺の奥ノ院にあたる大きな寺である。お参りしたいがもう納経時間はとうに過ぎている。遍路地図によるともうすぐ琴電志度駅に着いてしまうのではと思った頃、ようやく「たいや旅館」に着いた。もう午後5時55分、八栗寺から2時間かかった。

八栗寺大師堂は、本堂から少し離れて建っている。志度寺へは、この奥へ進む。

大師堂の傍らに建てられた五剣山のオブジェ。やはりこの霊場は、五剣山そのものであるように思う。

八栗寺から志度寺への下りは、緩やかな舗装道路が1時間ほど続く。

「お風呂の用意できてますよ」と宿のご主人に言われたのだが、「まだご飯食べてないんで、ちょっと食べてきます」と答える。この宿は夕食がないので、外に食べに行かなければならないのだ。部屋に荷物を置きに行く。2階まで階段を上がるだけでしんどい。白衣から普段着に着替え、鏡を見る。顔が腫れて発疹ができている。

やっぱりか、と思う。こうなると最低1週間は不調が続くのだ。皮膚科に行ければいいのだが、旅先なので簡単には見つからない。昔、北海道旅行中に娘が同様の状態になり、1日つぶして小児科に行ったが埒が明かず、結局帰るまで診察は受けられなかった。

この日を入れてあと5泊、日程は半分残っているというのにこの状態である。救いがあるとすれば、翌日から1泊2食の宿が続くので、これまでのように冷たい食事を食べなくて済むということだけである。

出発前にGoogleで調べて、志度駅周辺に食べるところはガストしかないことは分かっていた。名物の魚とか牡蠣の店はあるのだが、体が求める温かくて消化のよいものを食べられるのはガストだけである。

宿から少し歩くとメイン通りに出るが、下調べどおり適当な店はなかった。琴電志度駅にあるのも自販機だけで、結局JR志度駅を抜けてさらに先にあるガストまで、数百m歩かなければならなかった。

混んでいたけれど幸いすぐに座ることができた。すき焼きご膳と生ビールをお願いする。普段の体調であれば、もう一品フライとか唐揚げを頼んだと思うのだけれど、揚げ物は心配で、すき焼きとご飯だけにする。

温かい割り下と牛肉をご飯に乗せて食べると、何日かぶりでまともなものを食べたという気がした。遠征初日にカレーうどん+ライスを食べた後、3日間はコンビニ弁当とパンしか食べていない。これで朝から晩まで歩いては、体調を崩すのも当り前である。

生ビールも一杯だけで引き上げる。JR駅前にコンビニはあったのだが、寄って甘いものでも買おうという元気もなかった。

宿に帰ってお風呂に入る。それほど大きな旅館ではないのに、お風呂は4、5人入れるくらい広いお風呂である。3日ユニットバスで、特に高松の2日間はシャワーかと思うくらいの狭さだったので、思う存分手足を伸ばし、足ツボマッサージをして長湯する。

あとは洗濯である。ご主人に「コインランドリーはありますか」とお聞きすると「やっておきますからお風呂場の籠に入れておいてください。アイロンまではかけませんけどね。」

なんとご接待である。うれしくて、体が楽になった。もうすでに午後8時近く、これから洗濯していたら寝るのは10時になることを覚悟していた。ご接待のおかげで、この日は午後9時には床に就くことができた。

この日の歩数は52,961歩、GPS測定による移動距離は27.8kmでした。

この日の経過
屋島寺 12:30 →[3.4km]
13:50 マルナカ・洲崎寺 14:10 →[2.6km]
15:10 八栗寺 16:00 →[7.3km]
17:55 たいや旅館(泊)

[Oct 31, 2020]

志度寺までのコースは、遍路地図と古いへんろ道とが違っている。遍路道は、古い道標にしたがって琴電塩屋付近で国道11号に合流する。

琴電志度駅付近まで達する頃には、またもや日が暮れてしまった。これは翌朝のたいや旅館。

夕食はつかないので、近くのガストまで行ってすき焼きご膳。温かい肉料理は今回の区切り打ちで初めてでした。