092 日本人と二重行政 [Nov 11, 2020]

先週、大阪都構想を採り上げた際、別に思いついたことがあったので書いてみたい。二重行政についてである。

若い頃大阪で働いたことがあって、中小企業が銀行から借り入れをする時に利用する信用保証協会が、「大阪府信保」と「大阪市信保」の2つあった。大阪市に本社を置く会社は両方使うことができるが、両方とも上限いっぱいにはできなくて、2つ合わせていくらまでと決まっていた(細かいことは忘れた)。

本来別法人であるから、それぞれの基準でやっていればいいように思えるが、実際に貸し倒れが起こった時困ることになる。だから、「府」と「市」で調整して、そういうふうに決めていたのであろう。

東京には東京信用保証協会しかないので、おかしいではないか。合理化すべき、とは誰も考えなかった。そういうものであり、それに合わせて使う側が工夫すればいいとみんな思っていたのである。

道路には国道、都道府県道、市町村道があるが、誰も不思議には思わない。広域農道やスーパー林道など、行政で管理している道路は他にもある。それぞれ役割分担は違っているけれども、用途はほとんど一緒である。

道路を作るにせよ保全するにせよ、窓口が分かれていては非効率ではないか。一緒に発注した方が安くできるはずだというのはその通りだが、わざわざ手間暇をかけて一緒にするまでのことはない。いまあるものはそのままでいいとほとんどの人は思っている。

府民ホールと市民ホール、同じようなものを作るのは無駄だと橋下氏が最初の頃言っていたと記憶しているが、大阪市民にとっては2つだけれども堺市民や岸和田市民が大阪市の施設を使う際には制限があり、府の施設もあった方がいい。

同様のことは公園や学校、図書館、スポーツ施設についてもいえる。大阪府大と大阪市大が両方あるのはムダだとか、公園は市町村で整備すべきで県がやるのはどうかとか、思っている人がいたとしても少数派だろう。

住民サービスの向上につながることは、基本的にどこがやってもいいのである。公営住宅は県と市で両方あった方が、より多くの人が利用することができるし、福祉サービスも同じである。公明党や共産党の口利きに使われる懸念があったとしても、それで助かる人が一人でも多い方がいいに決まっている。

もしかすると、これは日本人のDNAに組み込まれたものではないだろうか。

江戸時代には、幕府があって、藩があって、村があった。飢饉といえば幕府や藩がお助け小屋を作って救済したというのが教科書に書かれているが、村でも当然やっただろうし、余裕のある人は個人でもやっただろう。それは誰の仕事だとか、同じことをいろんな人がやるのは非効率だとか、どうでもいいことである。

もし、二重行政で大阪府と大阪市が両方10%税金を取っているのであればまずいだろうが、地方税は合計10%でそれ以上取らない。それを府と市で割り振るのだから、おカネの算段がつくところができることをしたらいいというのが普通の考え方である。

先週も書いたとおり、大阪都構想は橋下・維新の野望の第一段階で、行政改革を果たすことで国政へ進出することが最終目的だった。

しかし、仮に大阪市を整理することができたとしても、それで税金が下がるのでなければ、住民にメリットはない。府と市の仕事をきっちり仕分けできたとして、可能なのは公務員の削減・合理化だけである。

企業の収益改善には結局リストラだというのと同じ発想である。行政改革イコール公務員の削減だとすれば、行きつくところ行政サービスの低下にしかならない。繰り返すけれど、いいことはいろんな人がいろんな場所でやっていいのである。

[Nov 11, 2020]


公園や図書館、学校、公民館、道路や住宅など住民サービスのための施設は、県がやろうが市がやろうが(国がやろうが)多くの人は気にしない。