100 チッキ [Dec 9, 2020]

半世紀前にまだ国鉄があった頃、手荷物を送るチッキという制度があった。

Wikipediaによると、チッキの語源はcheckとticketの2説あるようだが、私は切符に付属したサービスだからticketと理解していた。いずれにしても、現在でも航空便や遠距離バスで当り前のように提供されているサービスである。

それらとの大きな違いは、飛行機やバスは当該便の貨物室に積んで行って下車する際に受け取るのに対し、チッキは駅で預けて人とは別便で輸送されることであった。鉄路の場合は乗り継ぎしなければ目的地に着くことは難しいので、一緒の便では無理である。

そのため、遠路の場合は翌日とか翌々日に駅まで取りに行くのが普通であった。親が東北だったので小さい頃よく利用していて、私も引換証を持って駅まで取りに行ったことがある。

現代の感覚だと人間が鉄道で行くのはいいとして、荷物はトラックで高速道路を使った方が早いと思うかもしれないが、半世紀前には高速道路網は全国各地に整備されていなかった。

いまだに忘れないのは、社会人になってすぐ、東名高速道路でどこかに行こうという集まりがあって、新宿に集合して一般道で東名に向かったことである。首都高はあったのだが、まだ東名高速とつながっていなかったのである。

東名でそんな程度だから、東北道などまだまだ全然である。1970年代に段階的に整備されつつあったものの、東北各地と首都圏を結ぶにはほど遠く、特に山形・秋田など裏日本から東京に来るのは大変だったのである。

そういう時代に、国鉄の貨物輸送はたいへん手軽であった。台風や大雪による遅延はあるにせよ渋滞というものがないので、基本的には決まった時間に品物が到着する。あとは荷主にどうやって渡すかだけなのである。

トラック輸送にしても、当時から日通はあったものの大口輸送のみであり、一般顧客の荷物を輸送するという発想はなかった。宅配便もまだできていない。

そんな状況だったから、鉄道利用者の手荷物配送は、郵便小包にするかチッキで行われていた。そして、国鉄は経営者よりも労働組合が強いことで有名であった。定時配送を行うための労働強化など、とてもできる状況ではなかったのである。

チッキが早くになくなったのも、国鉄職員の仕事をできるだけ少なくしようという発想ではなかったかと考えている。本来あっておかしくない(というより当然あるべき)サービスがそういう理由で削られたとしたら、悲しい話である。

[Dec 9, 2020]


国鉄があった頃には、受託手荷物(チッキ)で送ることができた。画像は1970年時刻表の国鉄営業案内。