880 八十八番大窪寺 [Oct 5, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

長尾寺出発は11時半になった。前日に考えていた時刻より30分遅い。お寺から県道に出たところにあるドラッグストアで、パブロンゴールド1,628円を買った。パブロンで治るとは思わないけれど何もないよりましだし、少なくとも睡眠薬代わりにはなる。用意してきたのは2、3回分だけだったので、すでになくなってしまった。

お遍路歩きのはじめの頃には、何かあってはいけないと常備薬やら傷の手当て用品やらたくさん用意していた。ところが多く用意すればそれだけ重くなるし、予期せぬケガなどもあって用意しきれない。結局は糖尿病の薬とカゼ薬、胃腸薬、痛み止めと、湿布薬、バンドエイドくらいになってしまった。

今回も、あと5泊もあるというのに体調が悪くなり、用意した薬では足りなくなってしまった。医者にかかるのが一番いいのだけれど少なくとも半日はつぶれてしまうし、地方の場合満足いく治療がしてもらえるかどうか分からない。

昔、北海道を旅行していて子供が病気になり、半日かけて医者に行ったのに「放っておけば治りますよ」と信じられないような対応をされたことがある。あれ以来、旅先で医者にかかったことはない。命にかかわることでなければ、早く帰るのが一番である。

これから先は山なので、長尾を過ぎるとドラッグストアがありそうなのは三本松になる。歩く経路にあるかどうかも不明である。ならば、最低限の薬くらいは用意しておこうと考えたのである。

ドラッグストアを出て、山に向かってまっすぐ進んで行く。車道の案内は右折を指示しているが、歩き遍路であればまっすぐでいいはずだ。すぐに商店街はなくなり、住宅街に入る。

30分ほど歩くと太い道と合流し、山に向かって南下する。並んでいた住宅がまばらになり、だんだん山が近づいて来る。長尾寺の前で見た時よりも、かなり大きくなった。

先ほど見た「新四国のみち」の案内看板によると、長尾寺から40分ほどで一心庵という休憩所があるようだ。そろそろかと思って左右を見ると、並行して通っている小道にそれらしきものがある。あぜ道を横切って行ってみると、まさしく「お遍路休憩所」と書いてあった。

この一心庵休憩所が道の駅との中間地点にあたる。リュックを下ろして一息つく。あと距離的には半分だが、傾斜がだんだんきつくなる。道の駅ながおは前山ダムの堰堤にあって、ダムということはかなり山の上に登らなければならないのである。

真念「道指南」に、「是(長尾寺)より大窪寺まで四里。まへやま坂有」と書かれているとおりである。きつい傾斜を歩くとリュックの重みが肩にかかって痛い。両手でハーネス(肩ベルト)を持ち、ウェイトがかかりすぎないようにして歩く。

もう標高差200mくらいは登っているだろう。まだ道の駅は見えないが、女体山登山道との分岐がある。道の駅から大窪寺までは、昔の遍路道を行くルート、女体山を越えるルートとバス通りの3ルートがあるが、女体山越えにはここからダムを渡らなければならない。

安全策をとってバスルートにする。バスルートの距離が車道に案内されている残り距離のはずなので、多少遠回りでもこれが一番安心である。

ようやく左手に水面が見えてきた。向こうに見える建物群が道の駅ながおに違いない。時刻は、もう午後1時である。


長尾寺からさらに南下する。遠くに見えていた山がだんだん近づいてきた。


急傾斜の坂を登って前山ダムへ。残り距離と時間が気になる。


道の駅ながおの少し前に、女体山登山道との分岐がある。

 

11時半に長尾寺を出て6kmの登り坂を1時間半ちょっとで歩き、自分なりにがんばっているのだが、あと4時間で着くだろうかとたいへん不安になる。結局、道の駅ながおでは食事もとらず、お遍路サロンにも寄らずに先を急ぐ。午後1時20分、道の駅長尾を出発。

道の駅を過ぎてすぐ「大窪寺11km」の案内板があった。郵便局や農協の建物があるけれども、平日の昼間なのに営業していないように見えた。

ここからしばらく登り坂が続き、農家が点々と続いている。ダム池はすでに過ぎ、川沿いに畑があるのが見える。左の谷側に道が分かれ標識に名前が書いてあるから、この奥にもまだ集落があるらしい。

舗装道路とはいえ、かなりの急傾斜を登って行く。途中でコミュニティバスに抜かれたので、なるほどここはバス通りなのだ。日差しがきつくて汗がしたたる。㌔ポストでもあれば目安になるのだが、何もないのはつらいところである。

なんとか「大窪寺10km」の案内看板まで到達した。ここは分岐点となっており、左折すると「←昼寝城」の立て札がある。名前からして、昔話か何かだろうと思っていたが、帰って調べると正真正銘の山城であった。

阿波の三好三兄弟と対抗した豪族・寒川氏の拠点で、16世紀に攻防戦があったということである。阿讃山脈は屋島の合戦で義経が平家の軍勢を急襲したルートだから、戦国時代にも重要な戦略拠点であったということである。

さらに登る。道の駅から1時間くらい歩くと、遍路地図には記載がないけれどもところどころに東屋とベンチを見つけた。水分補給と行動食でHP回復。

朝、志度のコンビニで買った2㍑のいろはすはすでにすべて消費して、ペットボトルは道の駅に捨てさせてもらった。道の駅で補充した500mlのミネラルウォーターも、この1時間であらかた飲んでしまった。どこかで補充したいと思っていたら、休憩所のすぐ先の道端に水場があって勢いよく水が出ている。

ひしゃくや漏斗がたくさん置いてあるので、地元の人も利用する水場のようだ。「弘法の清水」と説明書きがある。さわってみると、とても冷たい。大汗をかいているので、顔を洗って天然の水をごちそうになり、ペットボトルに補充した。

「弘法の清水」から少し登ると額峠のバス停であった。峠というだけあってここからバス通りは下り坂になっている。大窪寺へまだ登らなくてはならないだろうが、ずっと登りだと思っていたので一時でも下り坂になるのはありがたい。残り7kmの標識も出て、足が軽くなった。

1時40分くらいに残り10kmまで登ったから、あと1km20分のペースでも5時前に大窪寺に着く。山登りと同じで、ペースは遅くても歩き続けることが大切だ。大きなカーブをきりながら舗装道路を辛抱強く歩く。

遍路地図によると、道の駅から登ってくる旧へんろ道とはこのあたりで合流する。ここまで1時間ちょっとで登って来れたので、おそらくへんろ道を通るよりも早かったのではないかと思う。

真念「道指南」にある「がく村」とは、このあたりの集落を指していると思われる。額峠から坂を下ったあたりは家も多く学校や農協もあって開けており、集落というよりも街である。

このあたり、遍路休憩所や河川敷の公園があって、一休みする場所には困らない。廃校になった学校の校庭に作られた休憩所で小休止して出発。どうなるかと思ったが、残りはあと5km、時間は2時間以上あるのでようやく目途がついてきた。

背後の山が道指南にある護摩山で、ここで阿讃山脈を越えてきた国道377号線と合流する。国道といっても、道幅はこれまで歩いてきた県道とたいして変わらない。工事中の地点を通り過ぎて、これまでの下り坂から再び登り坂となった。

ただ、思ったよりゆるやかで、㌔15分くらいで歩けている感触である。山の中の道になるが、アップダウンはそれほど苦にならない。再び景色が開けて、竹屋敷の集落に着いた。


道の駅ながおに着いた時には午後1時を回っていた。昼食もとらず、おへんろサロンにも寄らずに先を急ぐ。残り11km。


バス通りは急傾斜が続くが、遍路地図に載っていない休憩所があるので助かった。


冷たい水を消費した頃に現れた大師の清水。八十窪のおばあさまによると、「あれは工事してた時に出てきた水で、弘法大師は関係ない」とのこと。

 

竹屋敷には旅館野田屋竹屋敷があり、計画段階ではここに1泊して翌朝大窪寺ということも考えた。ただ、長尾寺から16kmなら歩ききれるだろうと思って、八十窪泊まりとしたのである。実際には、体調悪化もあって、長尾寺からの登りは楽ではなかった。

ここに着いたのは午後3時半だから、この日のスケジュールはここまでにするのが本来である。旅館野田屋竹屋敷は静かないい場所にあって、道沿いには休憩ベンチや自販機もある。ここは国道なのだが、県道よりもさらにローカルな風情であった。

すぐ先が、遍路道との分岐だった。あと2km半。まだ時刻は午後3時半を回ったばかりだから、どうやっても間に合う。道の駅から8kmほどを2時間で歩いた計算になるから、登り坂ではないようなペースである。かなりほっとしたのは確かである。

遍路地図によると大窪寺への遍路道は谷沿いの登山道のような印象だが、実際には舗装された生活道路である。何百m置きに農家もあって、歩いていたら農家のおばさんから、「もうすぐですよ」と声をかけられた。三相三線の電線もずっと続いている。

しばらく歩くと、左手に山が見えてきた。あれが女体山に違いない。女体山遍路道はあの山を越えてくる訳だから、かなりハードな道のりである。時間が限られた今回のスケジュールでは、とても無理なコースであった。

それにしても、なかなか山門が見えてこない。そして、1日の、というよりは連日の疲れが出てしまったのか、ヒザが上がらずリュックがひどく重い。右に谷を挟んで国道が見える。あちらを回ったらちょっと遠回りだっただろう。

「大窪寺700m」の案内板を見て、どうにも足が進まなくなった。ベンチも何もない道の真ん中にリュックを下ろし、その上に腰掛けて休む。よく見ると道はずっと登り坂であった。疲れるのも当り前である。

ひと休みして最後の700mに挑む。坂道を登ると農家が見えてきた。その向こうに一段高くなっているのは、間違いなく大窪寺の仁王門である。やっと着いた。午後4時20分到着。道の駅からちょうど3時間であった。

仁王門は最近できたもののようで、まだ新しい。「医王山」の扁額が掲げられ、金剛力士像も新しい。仁王門をくぐると手水場だ。八十八番目のお参りを前に、両手をすすいで身を清める。

この時、八十八ヶ所回ったという感慨は全くなくて、40分前に着いたのでちゃんと読経してから納経印がいただけるな、とほっとしたことを覚えている。


午後3時半過ぎに竹屋敷到着。旅館野田屋竹屋敷は静かないい場所にある。国道沿いにお遍路が休憩できるようベンチが置いてある。


旅館野田屋竹屋敷がある他はいたってのどかな農村である。この道は国道377号。


いよいよ大窪寺への最後のへんろ道に入った。左が女体山。ここを越えてくるのは大変だ。

 

医王山大窪寺(いおうさん・おおくぼじ)、医王は薬師如来のことで、この山号を持つお寺はいくつかある。八十八ヶ所目の札所であり、「結願寺」とも呼ばれる。

手水場の先は左手が高くなっていて、登った先が大師堂である。そこからもう一度下がって本堂エリアに達する。まだ時間があるので、まず本堂にお参りする。本堂前は広くなっていて、回向柱と六地蔵、不動明王もいらっしゃる。本堂の背後に多宝塔があり、その後ろは深い森が広がっている。

本堂の扉は二重になっており、内扉の上に「結願所」と墨で書かれた額が掲げられている。具合が悪くてぼんやりしていて、歩き遍路が金剛杖を奉納するという場所もどこにあるのか分からなかった。

霊場会HPによると、本堂の奥にいらっしゃる秘仏のご本尊薬師如来は、薬壺を持つ通常の形とは異なり、ほら貝を持たれているという。病を吹き飛ばすということであろうか。いただいたお姿では絵が小さすぎて、蓮の花を持っているように見える。

長尾寺から約5時間歩いた先にあり、実際標高も445mと白峯寺や根香寺よりずっと高いのだが、何だか山の上という気がしない。おそらく竹屋敷から歩いてきた道が、山の上というよりも普通の農村を歩いてきたような感じだったからではないかと思う。

仁王門の方に戻って大師堂で読経。これで88ヶ所すべてで納経が終わった。本堂横に引き返して納経所でご朱印をいただく。「薬師如来 大窪寺」と墨書された上に、他のお寺なら寺号印が多いところ、「結願所」となっているのが特徴である。八十八回った記念のどうこうとかセールスされるかと思ったら、何もなかった。

お参りが終わって、ちょうど午後5時前であった。八十窪へ行くには仁王門に戻らず、本堂側の山門から出ればよい。本堂前から石段を下りていくと、目の前に巨大なイチョウの木が現われた。四方に広がった枝々が夕日に輝いている。背後に見える山並みは阿讃山脈である。

この景色を見たとき、とうとう八十八ヶ所を歩き通したのだなあと初めて思った。これから一番まで戻らなければならないものの、八十八ヶ所をこれですべてお参りしたのである。

山門を出て下って行くと、お土産屋のおばさんに「八十窪さんですか?こちらに行ってすぐそこですよ」と案内される。このおばさんには、翌朝出発する時また会った。お土産屋さんにも寄りたかったが、さすがに疲れていて早くリュックを下ろしたかった。

大きな駐車場の先が、民宿八十窪だった。HPの写真を見るとずいぶん山の中にある一軒宿のように見えるのだが、実際には普通の二階建てである。すぐ近くにお土産屋さんがあり、大窪寺の門前でもあるので寂しい場所では全くない。

ただ、前にある駐車場がたいへん広くて、こんなに埋まることがあるのだろうかと思わないこともなかった。とはいえ、大窪寺に車で来るとここしか駐車できる場所がないから、見込まれる最大駐車数で作らざるを得ないのだろう。家の近くの成田山も、正月三が日でもない限り駐車場がいっぱいになることはない。

玄関を入ると、きびきびしたおかみさんに案内された。部屋は前日に続き2階、リュックを持って階段を登るのがつらい。部屋に金剛杖の置き場所があるのはユニークだった。


納経時間に40分ほど余して大窪寺到着。仁王門だが、風神雷神のように見える。


大窪寺本堂。山門からすぐの位置に本堂があり、仁王門から入ると行ったり来たりしなくてはならない。


大窪寺大師堂。本堂エリアより少し高い位置にある。こちらに金剛杖の奉納所があるらしいが、残念ながら見逃した。

 

リュックを下ろし、汗まみれの白衣とインナーを脱ぎ、部屋着にしているVENEXのリカバリーウェアに着替えてようやく人心地ついた。ついさっき門前の自販機で買ったコーラを開けて、窓の外を眺める。もう10月に入って5日目だが、山の上なのにまだ暑い。

窓の外は先ほど見た大きな駐車場で、その向こうにトンネルの出口が見える。そこを国道が通っているのだろう。後方は阿讃山脈で、すでに日が落ちて薄暗くなっている。ここを越えるのは翌々日のことになる。

お風呂をいただいて洗濯機をかけると、夕食の用意ができていた。この日の宿泊は3人で、私以外も中高年の単独行である。一人はまだ着いていないらしい。

すでに食べ始めている先客の向かいに座っているのは、WEBで有名な八十窪のおばあ様である。やや耳が遠いということだが、話す内容はしっかりしている。夕食中のお客さんと、お茶を飲みながらお話するのが通例のようだ。

夕食はお刺身、天ぷら、煮物に小鉢が付き、結願祝いの栗入りお赤飯とそうめんが名物である。1泊2食6,500円でここまでしていただけて大変ありがたい。あるいはこの日に大窪寺まで歩けないかと思ったが、なんとかクリアしたご褒美にビールとお酒をお願いする。

心づくしのご馳走とお酒をいただきながら、先客とおばあ様の話を聞く。先客は自転車でお遍路をしていて、ここから自転車を宅配便で家に送って、歩いて大滝寺をお参りするという。自転車は歩きより楽なようだが、山の上ともなると話が違う。大窪寺まではかなりきつかったはずだ。

八十八ヶ所に加えて別格二十の合計百八を回るということで、大滝寺まで歩いて行くということである。大滝寺へは尾根道を歩いた方が早いということで自転車でなく歩きにして、大滝寺からどこまで下れるかという話をしていた。

先客の話が終わって部屋に引き上げた頃、ちょうど私も食事が終わって、おばあ様と話をすることができた。どこから来たかとか、今日はどの道を登ってきたとかデフォルトの話題があって、バス通りを登って来て弘法の清水で助かったという話をすると、

「あれは向こうの山を工事した時に出てきた水で、お大師様は関係ないんだ」ということであった。そして、

「山を越えてくる道も今は遍路道ということになっているけれども、女体山はもともと女人禁制の山で、私が小さい頃には入れなかった。道路ができて、今更そんな時代でもなかろうということで遍路道もできたけれども、昔はあのあたり女は歩けなかった」とのことである。

「昔の遍路道は道の駅まで下りていく道で、私らも学校の行事とかあると麓までよく歩いて下ったものだ。小学校にもたくさん生徒がいたから、大勢でぞろぞろ下りたもんだよ。」

このあたりも、麓に下りた人達が多くいてずいぶん家が減った。どこに下りるかって?やっぱり長尾が多いねえ。三本松でも距離はあまり変わらないけれども、昔から行き来していたのは長尾だから。」

「明日はどこに下りますの?ほう、與田寺?あそこはいいお寺だよ。集まりで何度かお参りしたけれども。」

他にもいろいろ話をしたのだけれど、ちゃんとメモをとらなかったので思い出せない。乾燥機が終わったのを機に部屋に帰って鏡を見ると、顔の発疹と腫れがひどいことになっていた。気休めにパブロンを飲んで午後9時には布団に入った。

この日の歩数は45,226歩、GPS測定による移動距離は25.7kmでした。

この日の経過
長尾寺 11:30 →[3.3km]
12:15 一心庵休憩所 12:25 →[2.5km]
13:05 道の駅ながお 13:20 →[3.8km]
14:20 県道脇休憩所・弘法の清水 14:30 →[7.5km]
16:20 大窪寺 → 八十窪(泊)

[Jan 2, 2021]


民宿八十窪は、本堂からイチョウの木を越えて東側にある。当日の写真は西日で光ってしまったので、これは翌朝の撮影。


民宿八十窪から、山門前を振り返る。これも翌朝の撮影。與田寺に下りる場合、この自販機を逃すと長野いこいの家のバス停までない。


結願祝いの栗入りお赤飯がつく夕食。この他に温かいそうめんがつく。