120 模型飛行機 [Jan 19, 2021]

子供の頃のことを思い返すと、いまよりずっと多かったのは駄菓子屋である。たいていおばさんが一人でやっていた。ずいぶん歳に見えたが、いまの私より若かったのかもしれない。

もう一つ、当時多かったのは模型屋だった。模型屋という名前が正しいかどうかは分からないが、子供たちはそう呼んでいた。子供たちといっても、行くのはもっぱら男の子である。

模型屋に売っていたのは、プラモデルやおもちゃなのだが、結構なスペースが模型飛行機に割かれていた。プロペラと車輪だけがプラスチックで、あとは木と紙である。100円くらいからあったように記憶している。

現代だとスマホやコンピュータが子供たちにとっての先端技術なのだが、昔そんなものはない。プラスチックの部品を組み合わせて作るプラモデルや、木と紙を組み立てて作る模型飛行機が先端技術であり、ものづくりであったのである。

当時は空き地がどこにでもあったので、模型飛行機を組み立てると空き地に行って飛ばした。動力はゴムである。プロペラを手で回すとゴムがねじれて、それを極限までやると十秒くらいプロペラが回る。地面から走らせたり最初から空中に飛ばしたりした。

空を飛ぶというのは当時の子供たちにとって特別のことだった。まだアポロ計画に先立つジェミニ計画の時代だったが、宇宙遊泳の映像を飽きずに見ていたものである。日本でも種子島からロケットを飛ばしていたが、ホリエモン級の成果しかあげられなかった。

いま思うと、プロペラやゴムで得られる動力などたかが知れていて、そんなものは除いて軽量化を図り、グライダーとして飛ばすのと大して変わらないような気もするのだが、わずかとはいえ自前の動力があるという建前が大事なのであった。

模型屋にはもう少し値が張るものとして、鉱石ラジオなど初歩的な機械も売られていた。値段的にプラモや模型飛行機までしか手が届かなかったけれど、もう少しおカネができればいつか買いたいものだと思っていた。

こちらは、おもちゃとしてだけでなく、中学になると技術・家庭の授業で組み立てさせられた。そのくらいの歳になると、ちゃんと受信できる製品があるのにわざわざ手作業で作らなくてもいいのにと思ってしまうのは悲しかった。

技術の授業があるのは男だけで、その間女子は家庭科で料理や裁縫を勉強していた。男女均等の世の中になったので、いまの中学校だと男子でも料理を勉強できるらしい。今から考えると、その方が役に立ったといえなくもない。

[Jan 19, 2021]


木と紙と、わずかなプラスチックとゴムで作る模型飛行機。昭和30年代の子供たちにとっては、たいそうハイテクなのでした。