055 年金生活雑感 ほとんどの組織は所詮ゼロサムゲーム [Jan 27, 2021]

この間、里山を散歩しながら考えていて、何年か前リタイアの時期に悩んでいた自分がこれを言ってもらえたら助かったなと思うことがあったので、忘れないうちに書いておく。

このまま残っていたら大海で沈没する船と同じことになると理屈で分かっていても、リタイアに踏み切るのは容易でない。それは、自分がこれまで費やしてきた時間や労力が、まったく無駄になってしまうという未練である。

具体的には、たまった休暇であり、保証された給料や待遇であり、おおげさに言えば社会的地位である。しかし、間違いなく言えるのは自分の精神的肉体的健康がもっとも大切だということであり、それ以外は優先順位が落ちる。

改めて考えると、世の中のほとんどの組織は新たな価値を創造しているのではなく、自分の資産や体力、時間を賭け金にゼロサムゲームを戦っているようなものである。(「組織」というのは株式会社だけでなく、公的セクターもそうだと思うからである)

ゼロサムゲームなのだから、自分が取るか他の誰かが取るかのトレードオフで、分け前の総量は各自が賭けている資産、体力、時間の総合計を上回ることはない。自分の取り分を増やすためには、誰かを陥れる必要があると考える人がいても仕方がない。

振り返ると、社会人になってからリタイアするまで、数限りなく他人の悪意に直面してきた。自分に敵意を向ける人は、こちらからもそういう電波を送っているという説があるが(@内田樹先生)、おそらくそうではない。組織というのは、そういう場所なのだ。

若い頃から、会社の仕組みを農業や狩猟のアナロジーで考えていたので、より多くの収穫、より多くの獲物を獲得するためにみんなで協力するものだと思っていた。数十年経ってみると、その考えはナイーブに過ぎたのである。

社会人になって、数多くの人達に敵意を向けられ、意地の悪いことをされ、窮地に追い込まれてきた。なぜそういうことをするんだろう、収穫が減るのにと思っていた。しかし、ゼロサムゲームであれば、そういう人がいて不思議でない。というより、それがデフォルトなのかもしれない。

所詮ゼロサムゲームであれば、長く勤めていたところでいつかは負ける。そうであるならば、ある程度のチップを手にしたところで引き上げるのが賢い身の処し方であり、残れば残るだけ身ぐるみはがされるリスクが高まる。

他人の足を引っ張ることばかりしている連中もそれなりの末路が待っているだろうし、そういう連中がほとんどである組織だって、長く生き残れるはずがない。驕れる者は久しからずである。

今の世の中、公共の福祉のために存在しているはずの組織でさえ、誰か特定個人の利益のため、カネのために動いているように思えてならない。そういう組織で社会全体のためと思って働いても、おそらく浮いてしまって私と同じ目に遭うだけであろう。

だから、そういう連中と関わり合いにならないことが、残された数十年を健康で過ごすために最も大切である。もっといい待遇、もっといい収入、自他ともに認める成果なんてものは、リタイアしてしまえばほとんど何の意味もない。というより、リタイアする前から意味がなかったのである。

いま、リタイアしてできなくなったことといえば、海外旅行と外に飲みにいくことくらいだけれど、両方ともコロナでやりたくてもできない状況になってしまった。たいして不便を感じないことからすると、本当はなくてもよかったのである。

[Jan 27, 2021]


ほとんどすべての組織はゼロサムゲームで、新たな価値を創造している訳ではない。他人を陥れて分け前を増やすのはデフォルトである。気づくのが遅かった。