881 番外霊場與田寺 [Oct 6, 2019]


この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2019年10月6日の朝になった。八十八番までお参りしてほっとしたのか、前日の日本酒とビールが効いたのか、午後9時から午前6時までぐっすり眠った。起きて顔を見ると腫れがひどいが、本人は見た目ほどつらくないのが救いである。

寝ている間に雨が降ったようで、窓の外は濡れている。区切り打ちの遠征では毎度台風に悩まされたが、ここ数日はいい天気が続いている。いい天気過ぎて、気温が25度を超えて暑いのが逆につらい。

1階の食堂に下りて朝食である。民宿とはいえ部屋にトイレが付いていたので、部屋から出るのは数時間ぶりである。昨日夕飯をご一緒した自転車遍路の方は朝食を済ませて出かけたとのことであった。おかみさんが送って行って、朝食の支度はおばあ様である。

「自転車を送るっていうから大荷物かと思ったら、ちっちゃいの。よくあれで坂が登れたもんだ。」とおばあ様が言っていたので、おそらく組み立て式の車輪の小さいものだろう。私だと、体重が重すぎて乗れないやつだ。

朝食はご飯にお味噌汁、干物と梅干、海苔、ひじきにおひたし、お新香と盛り沢山だった。お昼のおにぎりも、お接待していただいた。

「與田寺に行くんだったら、食べるところはないから。」とのことであった(本当になかった)。

「トンネルを出たら右に折れて、イチョウの木を左。そんなに急がなくても着くはずだから、気を付けて行きなさい。」

7時40分に出発。まず門前に戻って自販機でミネラルウォーターを補充した後、再び八十窪の前を通って先に進む。八十窪の先にも家があったから、おばあ様が言っていたように昔は大きな集落だったのだろう。

すぐ国道に合流する。国道は片側1車線のきれいな道で、大窪寺への遍路道分岐に入るまでの道の続きとは思えない。その先には人家も倉庫も全くなく、森の中をなだらかな坂が下って行くだけである。

10分ほど歩くと新しいトンネルがあった。はらいがわトンネル、2012年1月竣工と銘版に書いてあるから、つい最近できたトンネルである。以前はどんな道だったのだろう。左右を見ると深い谷で、どんな道だったのか想像もつかない。

おばあ様のいうトンネルを出たら右というのは、1時間後に通る五明トンネルのことであろう。しかし、はらいがわトンネルを出たところにも「三番金泉寺→」と右折の案内板がある。西教寺道という遍路道で與田寺の近くを通るが、予定している白鳥温泉経由より遠回りである。

この分岐の近くに、一つだけ木のベンチが置いてあり、上を藁で葺いてあった。一人か二人しか休めない小さな休憩所である。まだ出発して30分足らずなので素通りしたが、この後、1時間以上座れる場所はなかった。八十八番を過ぎているので通る人も少ないだろうに、こうして気を使っていただくのはありがたいことである。

1時間歩いて、ようやく民家がある開けた場所に出た。「長野いこいの家」のバス停がある。水田も畑もあって、1日数本とはいえバスも通っている。八十窪を出てから山の中を歩いてきたけれど、ここまで来れば大丈夫そうだ。

その少し先が、五明トンネルだった。五明トンネルは468mあると書いてあるから、結構長い。そして、トンネルを出たところがT字路になって左右に分かれていて、「白鳥温泉」と「うどん八幡」の大きな看板が立っている。

白鳥温泉はこれから通るところであと3~4kmだからあっておかしくないが、八幡は切幡寺の近くにある民宿兼うどん屋さんで、県境の向こうである。案内看板を置くほど近いのだろうかと思った。


はらいがわトンネルを越えたあたりに、かわいい休憩所がある。ここから1時間以上、休憩所はない。


民宿八十窪で教えられたとおり、五明トンネルを越えて右折し、大イチョウの先で左折する。そのまままっすぐ進むと十番切幡寺方面。


白鳥温泉。駐車場の右手に見える橋を渡ったところに広い公園がある。

 

五明トンネル出口のT字路を右折する。ところどころに民家が見えるまっすぐな道を10分ほど進むと、八十窪のおばあさまに言われたイチョウの大木があった。

大窪寺にあったイチョウの木に似ているなあと思ったら、説明書きにこの木も大窪寺の木もいずれも「いちょうさん」と呼ぶとあるから、昔の人も似ていると思ったに違いない。大坂夏の陣の残党がこの木の下で切腹したとあるから、400年前にも大木だったということである。

左に折れると與田寺への道で、まっすぐ進むと切幡寺に出る。すぐ先が県境で、切幡寺まで約15km。ここから歩けば午後には着くので、なるほど看板が出ていておかしくない。とはいえ、今回は與田寺なので左折する。

ここからの道は少し細くなるけれども、舗装道路なので心細くはない。2時間近く歩いたのでそろそろ休みたいと思っていたところ、道端にお遍路さん休憩所と書いてあるベンチがあったので腰を下ろす。時刻は9時半だった。

木を切って周囲を囲い、屋根を掛けただけの簡単な造りだったが、休むだけならこれで十分である。考えてみたら、はらいがわトンネルの近くで見た一人用休憩所以来、はじめての休憩所だった。

10分ほど休んで出発する。休憩所の先が長尾峠で四国のみちも通っているが、ちょっと覗いたところ左右から雑草が生い茂っていたので、遠回りだけれど舗装道路を進む。ちょっと暗くてカーブの多い道だったが、ほどなく平らでまっすぐな道となった。

10時半過ぎに白鳥温泉着。温泉施設の前が大きな駐車場になっていて、その隅にベンチがあった。少し早いけれど、接待していただいたおにぎりをいただく。なるほど、何もない道である。温泉施設の中に入れば食堂はあるだろうが、歩いているだけでは食べ物を調達できる場所がない。あるのは自販機だけである。

午前11時に白鳥温泉発。朝に比べるとかなりゆるやかになった坂を下って行く。20分ほど下って、遍路地図にある三宝寺への道に入ろうとすると、なんと通行止の大きな看板が立てかけられている。令和元年9月17日からというから、始まったばかりである。間の悪いことである。

指示されている迂回路は2kmほど遠回りすることになるが、仕方がない。時間には余裕があるし、お昼は食べたばかりである。下山(しもやま)というところまで坂を下り、三宝寺まで登り坂を歩いて、遍路地図のルートに復帰する。

この先が星越峠で、峠道となる。標高110mというからたいしたことはないと思っていたら、予想外に長くてきつい登り坂であった。峠の先にはダム湖があったから、標高も高く水量もある場所ということであろう。

ダム湖の脇を下りていくと、ようやく「與田寺4km」の表示があるT字路に突き当たった。すでに時刻は午後1時近い。白鳥温泉から遍路地図では4kmほどのはずだが、2時間近くかかった。通行止の迂回があったにせよ、予想外に時間がかかった。

そして、ここまでお昼を調達できる場所はなかった。お接待していただいたおにぎりで、かなり助かったのである。

ここからは、高速の高架下を抜けて1時間ほど。自動車用の案内標識のとおり歩いたら、お寺の周りをぐるぐる回るような経路に誘導されてしまったようだ。午後2時前に與田寺に到着した。


遍路地図に記載された三宝寺への道は通行止め。大きく迂回しなければならなかった。


星越峠を越え、與田寺まであと4km。


與田寺までの順路はたいへん分かりにくく、午後2時前にようやく着いた。

 

真念「道指南」には、大窪寺を打った後は十番切幡寺まで歩くことになっているが、これが四国一周を完結するためなのか、一番霊山寺までお礼参りをするという意図なのか、大坂に帰る者の多くが使う経路であったのか、原文を読むだけではよく分からない。

道指南冒頭の四国入りの船便には、大坂から阿波・徳島と、大坂から讃岐・丸亀、高松の経路が例示されている。「客が一人ないし男女一人ずつでは船は出ません」と書いてあるから、そこまで混雑する航路ではなかったようである。

三本松への船便は「道指南」には載っていないが、江戸後期には発達したようだ。淡路島西岸を通るならば、大阪から徳島や丸亀・高松に行くよりもずっと近い。そして、実際に多くの人が三本松から四国遍路に入ったようで、與田寺は四国総奥ノ院と呼ばれている。

ということで、往時はお遍路の多くが訪れた與田寺であるが、今日八十八ヶ所をお参りした後にここまで来る人は少ない。現在では、「厄除けの寺」が與田寺の代名詞のようで、仁王門の表札にもそう書いてある。駐車場はかなり広かったが、初詣に来る人が多いのだろうか。

仁王門の先に山門があって、参道は石畳が整然と並べられている。両脇に並んでいるベンチは、札所でよく見るローソク屋さんの名前入りだ。山門からまっすぐ進むと本堂である。一斗樽が積まれているところは初詣ご用達の寺っぽいが、お遍路用の納札箱も置かれている。

大師堂は、山門の方に戻って塀の奥にある。こちらでも読経して、参道脇、大師堂向かいの位置にある納経所へ。広い境内でお参りしているのは私だけなのに、納経所にはちゃんとお坊さんがいてご朱印をいただいた。

さて、先ほどから気になっているのは本堂の右手に見える鳥居と、そこから続いている石の階段である。普通は、高い場所にあるのは格の高いお堂で、札所であれば本堂か大師堂であることが多い。

だが、本堂も大師堂もグランドレベルにある。しかも、鳥居付きである。この位置関係で思い出すのは龍光寺だが、あそこの場合はもともとの札所が稲荷神社なので本堂に準じると考えていい。しかし、ここの場合はどうなのだろう。ともかく登ってみる。

石段の数は「男女六十一」と書いてある。厄年の数である。踊り場があって、さらに登ると平らな場所に出る。建っているのはお堂というよりも、昭和三十年代の住宅のようだ。

矢印に沿って家の側面に回ってみると、「お大師様はこちらを向いていらっしゃいます」と書いてある。家の板壁が見えるだけで、中にいらっしゃるお大師様を見ることはできない。

そういえば、出雲大社にこうした拝所があった。出雲大社では、オオクニヌシノミコトは正面からみると横を向いていらっしゃるので、ミコトに正対する方向から拝む場所がある。似ているといえば似ているけれど、出雲大社本殿ではなくて普通のしもた屋なのである。

でも、せっかくなので手を合わせて「南無大師遍照金剛」と唱える。納札箱は置いていないので、お遍路がお参りすることは想定していないようだ。ここが、厄除大師の奥ノ院ということになるのだろうか。

お参りを終えて、與田寺を出る。ここから先は、三本松市街に続く住宅地である。国道11号バイパスを抜けて、国道11号で右折する。この日初めて、交通量の多いにぎやかな通りをホテルAZに向かう。


與田寺境内。右手に小さく写っている鳥居の先に石段があり、山の上に厄除け大師がいらっしゃる。大師堂は左手の壁から入る。


與田寺本堂。一斗樽が初詣っぽい。


こちらが厄除け大師。大師堂は別にある。

 

與田寺からホテルまでの間に、もう一つ行きたい所があった。向良神社(こうらじんじゃ)である。

向良神社は、薩摩から来たお遍路がこの地で倒れ、助けてもらったお礼にサトウキビを伝え、それが今日の和三盆になったという故事に基づく。和三盆といえば、和菓子に使われる最も高級な白糖として有名であり、お遍路が伝えたというのである。

真念「道指南」にも経路として掲載されておらず、今日また訪れる人の少ない道ではあるが、この故事は江戸時代に盛んに歩かれたことを示している。ということで、一番霊山寺に戻る途中、向良神社にお参りすることにした。

あらかじめGoogle Mapで調べたところ、向良神社は国道11号から焼肉店の角を右に入るらしい。ホテルに向かうまで探したのだが、それらしき店は見当たらない。とうとうホテルAZに着いてしまった。

すでにチェックインのできる時間だったので部屋に入り、iPadで調べてもう一度行ってみる。確かに焼肉店の角だったが、大きなチェーン店ではなく普通の家だったので見逃したようだ。

そこから田圃のあぜ道のような細い道を進むと、それらしき建物が見えてきた。予想していたよりも新しく、まるで集会所のようだ。国道からは逆側が正面になり、建物に向かって右に、大きな「向山周慶翁顕彰の碑」がある。

たいへん細かい字で細かく経緯が書かれているが、向山翁はこの地でも砂糖を生産したいと思いいろいろ努力してきたが、どうしてもうまく育たない。ある日、湊川(與田寺から来ると渡る川で、神社のすぐ近くである)の河原で、病で苦しんでいるお遍路を見つけ、親身に介抱したところなんとか回復した。

このお遍路が奄美大島から来た当盛喜という者で、盛喜は助けてもらったことに感謝し、再びお遍路に来た時、領外持ち出し禁止であったサトウキビの種を弁当箱に隠して当地へ持ち込み、これによって讃岐にも製糖事業が根付いたという。

こうしてできた砂糖が大坂に出荷されたのが寛永年間というから、江戸時代も後半に入ってからである。薩摩良助というのはこの盛喜が高松藩主からいただいた名であり、向山周慶と薩摩良助の功績により当地の和三盆糖ができたことから、二人の名をとって向良神社ができたのである。

歴史が新しいとはいえ当地の神様であり、二礼二拍手一礼でご挨拶する。よく考えると産業スパイだが、薩摩藩も密輸で富を蓄え倒幕したのだから、どっちもどっちと言えなくもない。ホテルから往復で1時間ほど、帰ってコインランドリーで洗濯している間に午後6時、夕飯の時間になった。

ホテルAZは、以前内子で泊まったことがある。設備が新しいのに値段は安く、しかも食事が付いているという大変ありがたい宿である。この日も1泊2食税込みで6,240円という格安のお値段で、部屋は新品同様でWifiも完備していると言うことなしであった。

バイキングは品数こそ多くはないがボリューム満点であり、ビールと焼酎だけにせよ900円で飲み放題である。もちろん飲み放題にして、今回遠征で不足していた肉を中心に食べる。

肉といってもこの値段だから鶏肉とひき肉で、鶏からあげの上にマーボー豆腐を乗せて、肉団子も何個かとってたんぱく質を補給し、野菜の煮物、グリーンサラダといったビタミン類でバランスをとった。

この日は比較的早めに宿に着いたこともあり、1日2日前よりずいぶん体調がよくなったような気がする。顔は腫れていて見た目ひどいことになっているが、歩くのはあと1日の辛抱である。

ビジネスホテルにしては広いユニットバスにゆっくり入って、翌日の作戦を練る。実はこの段階でもどのコースを歩くか決めていなかったので、WEBでいろいろ調べた。とはいっても連日の疲れが残って遅くまで起きていることはできず、午後9時にはベッドに入った。

この日の歩数は53,087歩、GPS測定による移動距離は28.9kmでした。

この日の経過
八十窪 7:40 →[6.6km]
9:35 中尾峠前休憩所 9:45 →[3.5km]
10:45 白鳥温泉(昼食) 11:05 →[10.3km]
14:00 與田寺 14:35 →[5.5km]
15:50 ホテルAZかがわ 16:15 →[1.5km]
16:35 向良神社 16:45 →[1.5km]
17:10 ホテルAZかがわ(泊)

[Jan 30, 2021]


ホテルAZ東かがわ。内子の印象がたいへんよかったので選んだ。日の高いうちに着いたのは今回の区切り打ちでは珍しい。


いったんチェックインした後、WEBで地図を確認して向良神社を探す。


向良神社は地元の集会所のような外観。「向」は当地の医師・向山氏、「良」はお遍路の良助からとっていて、彼らは当地に製糖技術を普及させた。現在の和三盆である。