029 石井あらた「山奥ニートやってます」 [Feb 18, 2021]

たまたまこの本のことを知り、図書館で予約したのが回って来たので読んでいたら、NHK朝7時のニュースで採り上げられたのでびっくりした。こういう本が受け入れられる世の中になるのは、すばらしいことだと思う。

まず私個人のことを言うと、いま考えるとアスペルガーで適応障害だったのは間違いないと思うけれど、半世紀前はそういう言葉がなかった。癇の強いつきあいにくい子供で、20歳を超えてもその性格は変わらなかった。

職場を変えつつ何とか60近くまでサラリーマンを続けてこられたのは、幸運という以外なかったように思う。早々にリタイアして再就職もせず毎日を暮らしているが、ひとつ間違えばかなりの確率でニートと呼ばれただろう。

本の話に戻って、山奥ニートの人達は、最寄りの市街地から車で1時間半離れた和歌山の山奥で共同生活をしている。家賃はタダ、食費・光熱費・交通費(ガソリン代)として、月各自1万8千円を負担する。

彼らは生活保護を受けている訳ではない。少ないけれども所得があり、年金も健康保険料も負担している。なぜそれで生活が成り立っているかというと、衣類は全国から送られてくるし、食事は自炊、おカネを使うような場所が近くにないからである。

好きな時間に起きて、交代で作る食事をとる。気が向けばリビングでみんなで過ごすし、一人でいたければ個室に戻る。リビングにはTVやゲームがあるし、wifiが通じているので個室でもネットは使える。都会と暮らしはほとんど変わらないと彼らは言う。

食費の足しにと鶏を飼っているし、家庭菜園で野菜を栽培する人もいる。畑を荒らすシカやイノシシが悩みだが、狩猟免許をとって駆除かたがたジビエ料理の材料にする人もいる。

こうした環境は、誰かがニート支援のために用意してくれた訳ではない。最初は地方在住の篤志家が始めたNPOだったが、最初のニート達が住み始めて数日でその篤志家が急死。その後はニート達が自主管理して今日に至っている。

現在住んでいるシェアハウスはもともと廃校であったものを、障害者福祉施設として個室を整備した場所である。生活用品も揃っていたのだが諸般の事情により移転となった。おそらく、3~4年前に相次いだ豪雨災害による福祉施設孤立化が影響しているのだろう。その施設を譲り受け、住居として再利用しているのである。

その月約2万円の個人負担を彼らは短期のバイトで賄い、それ以外の日を好きに過ごす。手付かずの自然が周りにはたくさんあるし、仲間でゲームをしたりカラオケを楽しむこともある。まるで子供の頃が続いているようだ。

彼らの住む集落には人口が数人しかおらず、平均年齢は80代だという。都会にいれば30代だとむさくるしいが、地域の人達にとって孫のようなものである。地元名産の梅の収穫や山仕事を手伝ってバイト料を稼いだり、野菜などのお裾分けをいただいたりする。

地元住民だけでは困難になりつつある神社の掃除や手入れも手伝ってもらえるので、大変助かっていると評判である。


「貧乏神髄」以来、久々に読んだBライフの傑作。人里から遠く離れた廃校跡に集団生活する元ニートの皆さんの物語。常々思うのだけれど、みんながみんなサラリーマンをする必要はありません。

 

この本を読みながら、ニートって何だっけとまず思った。

ニートとは、”Not in Education, Employment or Training”の頭文字をとったもので、学生でなく、雇用されておらず、職業訓練中でもないという意味である。もともとイギリスの行政政策から20世紀末に出てきたお役所言葉である。

だから、専業主婦が定義上含まれてしまうことは当時から問題とされてきたし、日本では、フリーターとかいわゆる「引きこもり」とほとんど区別されないで使われてきた。

しかしよく考えると、生活が成り立っていればみんながみんなサラリーマンをする必要はない。どこかで書いたことがあるけれど、家族の収入で暮らすことが問題とされる時代など、いましかないのである。

「山奥ニート」と自称する彼らは、生活に必要なわずかな収入を、短期間のアルバイトや、地域の農業・林業の手伝いや、おそらく家族からの支援で賄っている。みんながサラリーマンや金儲けに向いている訳ではないので、それで何が問題なのだろうかと思う。

この本の中に、こんなに便利で豊かな世の中になったのに、すべての人が時間に追われて働かなければ暮らしていけないのはおかしいという意味のことを書いてあるが、まさにそのとおりだと思う。

一方、こうした共同生活に適応できるのは、ニートとされる人達の中でも限られた一部だと思った。「働かないふたり」でいうところのエニートである。

NPO運営者のひとりでもある著者は、山奥ニートになる前は東日本大震災のボランティアをしていたし、共同生活でも中心的な役割を果たすなど、定職がないということだけで普通の社会人と大きな違いはない。

そもそも見も知らずの人達との共同生活で、四六時中他人と一緒にいることが耐えられなかったり、地域の人達とコミュニケーションをとることが苦手という「引きこもり」の人はたくさんいるだろう(私がそうだ)。

ネットでの情報収集が苦にならないとはいっても、数あるジャンク情報の中からニート支援に関係ありそうな情報をピックアップし、関係者に連絡を取って会いに行くことも、それなりのノウハウと対人スキルがないと難しい。

著者は、共同生活の初期からブログやYouTubeで情報発信し、山奥ニート生活を始めてから結婚したくらいの人だから、エニートの中のエニートかもしれない。共同生活している仲間には、鶏を飼ったり農作業をしたり、狩猟免許をとる人達もいる。

そして、著者も書いているし共同生活者の誰かも言ったことなのだが、10年先とか遠い将来のことを考えても仕方がないのである。将来のためにいま現在楽しくなければ意味がない。

彼らが暮らしている元廃校の宿舎も、林業の衰退で裏山を誰も管理していない。台風や大雨で崩れてしまうかもしれないが、そうなったら仕方がないと著者はいう。人間誰だって、いつかは死ぬ。心配したらきりがない。

思えばわれわれの人生、安心して住めるマイホームを確保するために莫大な借金をし、安定した暮らしのため長時間労働・長距離通勤に耐え、老後のために年金を納め貯金をして数十年窮屈に過ごしてきた。それが本当に意味のあることだったのか、答えは簡単に出ない。

繰り返しになるけれども、みんながみんなサラリーマンをしなくたっていい。便利で豊かな時代なのだから、週に1日2日だけ働いてあとは自由に過ごすことだって、できないはずがないと思う。

[Feb 18, 2021]