103 昔クリエイターといえば最高の知性だったものだが [Mar 23, 2021]

本当にやるかどうかわからないオリンピックの開会式の担当ディレクターが、あと4ヶ月しかないというタイミングで退任に追い込まれた。これについては、いろいろな考えが浮かんでは消え浮かんでは消えしている。

まず初めに思ったのは、あと4ヶ月しかないのにディレクターをクビにして、ちゃんとイベントができるのかということであった。中止の可能性があるといっても、準備は粛々と進めていなければおかしい。

ただ、よく考えると何年も前から準備している専属スタッフというものが必ずいるはずで、件のディレクターはスタッフ連中と気が合わずに刺されたのだろう。そうでなければ、内々の企画案が外に漏れる訳がない。たとえ物議を醸す内容の企画だったとしても、外部にオープンになるはずがないのである。

次に思ったのは、そもそも人間を犬に例えて成功体験を持つクリエイターが、犬が豚に代わったからと言って遠慮するだろうかということである。

誤解のないように言うけれども、某携帯会社のCMの出来がいいというつもりはない。個人的にあのCMを見て面白くないと思うし、日本を代表する俳優・女優の事務所があの内容にゴーサインを出すのは信じられないと思っていた。

もっと言えば、一部ネトウヨの人達が主張するように、あのCMに日本のケータイ利用者(それは、広告主のお客である)をバカにする意図はおそらくあるだろうと思っている。

だが、公共の電波に乗っているとはいえ一企業の広報宣伝活動であり、多くの人達が喜んで見ているものに文句をつけるのも野暮である。おそらくこのクリエイターの頭の中では、犬がいいのに豚はダメだということは理解できないだろう。

そこまでは思い浮かんだものの、何となくもやもやして片付かない気分だった。ああそうか、と思い当たったのは豚に例えられたタレントの発表した談話を聞いてからである。

この談話が何とも無難で当たり障りなく、常識的なものだった。率直に言って、どちらがお笑いタレントでどちらがクリエイターだか分からない。昔からお笑いタレントはバカではできないけれども、一方で世間的常識がないのが当たり前だったのである。

村上春樹が言うことには、時代によって知性の総量は変わらない。どこに知性が偏って存在するかが違うだけだそうである。TV黎明期・発展期のクリエイターには本当に優れた知性、稀有の才能が集まっていた。

クリエイターという人たちは、スポンサーの意向、時代の趨勢、スタッフの動向等を的確に見極めつつ、加えて自分のオリジナリティを出さなければならなかった。いまの人達のように、仲間内のウケ狙いだけで成功することはできない。

もちろん、クリエイターひとりの責任ではなく、周囲にいる人達、大所高所から全体をみる人間の見識も問われる。ただ、この人物は「統括クリエーティブディレクター」だそうだから、そうした役割も仕事の一部である。私より歳上だというのにこの程度とは悲しい。

本家本元の電通があの体たらくだから、個々のクリエイターの質の低下は疑うべくもない。元総理大臣の親分がああいう辞めさせられ方をした組織で、どうやって身を守るか分からないとしたら、そういう知性の持ち主ばかりがあの世界に集まっているのだろう。

昔あの世界にいた知性や才能は、いまどこに行ってしまったのだろう。

[Mar 23, 2021]


今回のオリンピック開会式騒動、準備がまだ全然できていないことにも驚いたが、これだけ頭の悪いクリエイターがいることにも驚いた。