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四国札所歩き遍路

890 高野山奥ノ院 [Oct 8, 2019]

この図表はカシミール3Dにより作成しています。

2019年10月8日の朝になった。前日は8時に寝てしまったので、5時前に目が覚めてしまったのはやむを得ない。民宿なので、なるべく音を立てないように着替える。他のお客さんはまだ寝ているはずである。

外国人ご夫婦の予定は分からないが、シニア女性は今日から歩き始めるという。すでに亡くなったおばあさまの遺品から昭和初めの古い納経帳が出てきて、それを見て歩きたくなったと話していた。この日は別格霊場の大山寺までお参りするということだから三番か四番までだろうか。

私はというと、鳴門西パーキングからハイウェイバスで大阪に向かう予定である。この日のうちに奥ノ院にお参りするには午前中に南海難波に着けばいいから、ハイウェイバスには9時前に乗ればいいことになる。まあ、余裕だろう。

午前6時半に朝食。ご飯にお味噌汁、焼鮭、卵焼き、ウィンナ、サラダ、香の物がきれいに盛り付けられている。これから歩く人もいるから、パンよりご飯にしてあるのだろう。私の場合はバスと電車だから、カーボローディングしなくても大丈夫である。

部屋にいても仕方がないので、7時半過ぎに宿を出発して近くを散策する。このあたりに第一次大戦後のドイツ軍捕虜収容所があって、日本で初めて第9が公演された場所ということで、「第9の里」という道の駅があり、それにちなんだいくつかの場所がある。そのあたりを歩いていたら、携帯に電話がかかってきた。

何と、いま出たばかりの宿からで、「部屋の鍵をお持ちになっていないでしょうか」とのこと。探したら、ポケットの中にあった。部屋の鍵など使わなかったので、チェックインの時以来そのままだったのである。

取りに来てくださるというので、県道沿いに戻って受け渡し。それにしても、ハイウェイバスに乗ってからでなくてよかった。

受け渡しをして、高速の高架下からバスストップに向かう。あまり通る人がいないのか、荒れた道である。クモの巣がびっしりで、まるで遍路道のようであった。通る人はお遍路だろうということだろうか。まあ、地元の人であれば車で行く場所である。

10分ほど歩いてバスストップに着き、来たバスに乗る。「次回から、予約してください」と言われる。その割に、空席の方が多かった。こういうことを言われるのは、このバスは乗合ではなく貸切の扱いなのだろうか。それとも、高速なので定員以上乗せられないから念のためだろうか。こちらは、満員なら次のバスで構わないのだが。

隣の空席にリュックを置いて、目をつぶる。足を動かさなくても目的地に近づけるのは、何日ぶりのことだろう。ここ数日の疲れが残っていて、9時間寝たのにまだ眠い。そして、急に胃が痛くなった。太田漢方胃腸薬を飲んで目をつぶる。ここ2~3日、急にちゃんとした食事をとったせいだろうか。それとも、毎日水を飲みすぎたせいだろうか。

淡路島を過ぎる頃には、雨が降って来た。神戸に入り、いったん高速から出て、再び高速に入る。あまり見慣れない風景である。海沿いを通っているようだがどこだろうと考えて、私が関西にいたのはもう30年前だったことを思い出した。

バスの終点である南海難波まで乗っていたのは、私だけであった。ビルの中を南海難波駅まで下りる。時刻表を見ると、高野山直通の特急は2時間ほど先で、急行が先に着くが橋本で乗り換えとなる。難波でリュックを背負ってうろうろしても仕方がないし、胃が痛くてお昼はとらない方がよさそうだったので、橋本行に乗る。

かどや椿荘の朝食。和食なのですが、おかずは鮭とお新香と、洋食風ワンプレートでした。

高速鳴門西に向かう通路は、へんろ道もびっくりのハードさ。蜘蛛の巣もびっしり。

1時間と少し乗って橋本に着くと、私同様に高野山まで行く人達が乗り換えでホームに降りたのだが、驚くべきことにすべて外国人旅行客であった。まさかすべて仏教徒でもないだろうし、仏教の聖地はインドだろうからわざわざ高野山というのも首をひねるところである。

首をひねったところで、実際に結構な人数が高野山に向かっているのであった。高野山へは昔一度行ったことがあるが、その時はこんなに多くなかった。もっとも、その時は南海特急を使ったから、特急でなければこうだったのかもしれない。

その状態は、上り電車の待ち合わせで長時間止まった極楽橋までのいくつかの駅も、高野山に登るケーブルカーでも、高野山町内へ向かう乗合バスでも変わらなかった。

奥ノ院への参道で見る国内客はたいていバスの案内旗の後に続くツアー客だったので、国内客はツアー、外国人客は個人で電車・乗合バスという棲み分けになっているようであった。

高野山町内に向かうバスに乗ると、すでに雨は本降りであった。山の上なので、すでに雨雲の中だったのだろう。レインウェアを着て、リュックにはカバーをつける。

このバスは十数年ぶりだが、車窓からの景色はまだ覚えていた。南海電車の駅からしばらく森の中を走り、やがて街はずれのお堂が見えてくる。交差点を曲がると市街の中心部で、ここに金剛峯寺や多くの宿坊がある。ここで乗客の半分以上が下りたが、今回は終点の奥ノ院まで乗る。

終点でバスを降りると、すぐに参道が始まっていた。企業の集合墓と江戸時代の大名墓が混在する不思議な墓地で、「白アリの墓」という妙なものもある。立派な墓石や五輪塔は、御三家とか前田家のような大大名である。それほど大きな家でもないのに、浅野内匠頭の墓が目立つところにあるのは、やはり忠臣蔵の影響だろうか。

昔の記憶では奥ノ院はずっと石段を登ったように覚えているのだが、それほど上でもなかった。奥ノ院に近づくと「撮影禁止」の看板が目立つようになる。お大師様はそこまで堅苦しいことは言わないと思うが、管理する人が言うのだから仕方がない。

奥ノ院には少しだけ入ることができる。壁際には位牌が多く置かれているのと、奥の方に金剛界・胎蔵界の曼荼羅が掲げられ、お大師様の肖像画もある。奥ノ院のさらに奥にはお大師様がいらっしゃる部屋があり、いまでも朝晩のお食事を運んでいるということである。

こういう厳かな場所で、私ごときが読経させていただくのは畏れ多いことだが、八十八の締めくくりなので謹んでお参りさせていただく。納経印はここではなく、いったん外に出て別の建物になる。窓口がいくつかあるのは、さすがお大師様の本家本元である。

5年前に霊山寺前の売店で買った納経帳の最初のページには、奥ノ院のご朱印をいただくようになっている。そのせいか、結願の後は高野山にお参りするものだと思っていたら、これは近年のやり方らしい。もっとも、八十八番から一番に戻って四国一周を完結させるというのも、江戸時代はなかったという。

ともあれ、奥ノ院のページにご朱印をいただく。特に何も言わなかったが、日付も押していただいた。「令和元年拾月八日」、めでたく結願である。

「お姿はどうなさいますか?有料になりますが。」と尋ねられたが、せっかくなのでお願いする。札所でいただくよりもずいぶん大きなお姿である。絵柄は納経帳や納札に描かれているものと同じだが、「弘法大師御影 高野山奥ノ院」と書かれたた半紙で包んである。ありがたくいただいた。

納経帳をリュックにしまっていると、外国人シニアのご夫婦が私のかぶっていたモンベルの遍路笠風フィールド・アンブレロを見てえらく感心し、カメラに撮ったりした後で、「これはすばらしい。どこで売っているのか」と聞かれた。「これは四国遍路の店で買ったもので、ここでは売っていない」と返事したのだが、通じただろうか。

難波から南海線で高野山へ。極楽橋からのケーブルカーは、8割方が外国人旅行客。

奥ノ院前までバスに乗り、参道を歩く。雨だったけれど、ようやく秋らしく涼しい気候になった。

高野山奥ノ院。このあたりから撮影禁止の看板が出てきたので、写真はここまで。

 

帰りは奥ノ院からの参道と並行して通っている一の橋への道を下って行く。苔むした古い墓石が、本降りの雨にたいへんよく似合っている。その中をゆっくり歩いていく。興味深い墓石や五輪塔もあったのだが、さきほどの「撮影禁止」がどこまでか分からないので遠慮した。

ゆっくり歩いて、一の橋に出た。ここから市街が始まっている。すぐのところにお土産屋さんがあったので入り、奥さんに頼まれていたお線香を見る。さすがに高野山だけあってえらく高いものもあったが、千円前後のものを何箱か買う。それでも、ホームセンターの4~5倍はするだろう。

そうこうしているうちに4時近くなったので、宿に向かう。密厳院という宿坊で、地図で見ると一の橋から近いのだが、実際すぐ近くで、苅萱堂という旧跡のすぐ横であった。

受付で名前を言うと、「今日は離れをお使いいただきます」と案内された。予約の際に「できれば団体客のいない宿坊で」とリクエストしたので、気を使っていただいたようだ。他の客室とは離れていて、居間と寝室の2部屋あり、トイレと洗面も専用に付いている。1泊2食11,000円では申し訳ないくらいの部屋を一人占めである。

時間が早かったので、お風呂も一人占めだった。団体客も入れる大きなお風呂にゆっくり手足を伸ばす。この区切り打ちでは、最初と最後が大浴場だった。

お風呂の後は、精進料理の夕食である。ごま豆腐と、こんにゃくのお刺身、野菜の天ぷら、野菜の煮付けなどなど野菜三昧である。もちろん、麦般若もいただいた。遠征最後を締めくくる、豪勢な夕食であった。昼食を抜いて調整したので、胃腸の調子も悪くなかった。

夕飯が終わって、今回の区切り打ちについていろいろメモする。この日書いたメモに、「昨日までは夕飯を食べると何もする気が起きなかった。今日はこうして、これまであったことを振り返る余裕がある」と書いている。それだけ、前日までのお遍路歩きは体力を消耗したのであった。

翌朝のお勤めでは、夕方には顔を合わせることのなかった団体客のみなさんと一緒だった。シニア男女で三十人くらいいる。前回の善通寺を思い出した。そのグループと一緒に般若心経を唱える。四国お遍路締めのお勤めであった。

前日の雨はすっかり上がり、すがすがしい青空であった。金剛峯寺と壇上伽藍をゆっくり歩いてお参りする。

屋島寺で、「またお遍路に来たいですか」と尋ねられたことを思い出した。現時点では、何とも言えない。ともかく、今回の区切り打ちは天候も体調も厳しかった。今は、ゆっくり休みたい。後のことは、後から考えればいい。

「終わりよければすべてよし」という言葉を思い出した。こうしてのんびりお参りできるのも、足掛け5年間一生懸命歩いてきた賜物なのである。

この日の経過
かどや椿荘 8:00 →[2.0km]
8:40 高速鳴門西(→南海難波 → 高野山)→高野山奥ノ院

[Mar 20, 2021]

奥ノ院をお参りした後は宿坊で一泊。お世話になったのは、苅萱堂の本院である密厳院。

遠征最後の夜をしめくくる精進料理の夕食。翌朝は大勢の団体客とお勤めをご一緒した。

翌日はすっきりとさわやかな秋晴れ。壇上伽藍をお参りした後、帰途についた。