カテゴリー
なんとなく思うこと

115 資本主義は終わるのか [Jul 3, 2021]

最近、資本主義は終末に向かうという本が多く書かれているようだ。そのうち何冊かを図書館で借りて読んだのだけれど、正直言ってあまり感心しない。だから書評で取り上げることはしないで、なぜ感心しないのか書いてみる。

最初に言っておくと、世の中のひずみや不公平を資本主義のせいにして、もうすぐ資本主義は終わり△△の世の中になるという論法は、半世紀前のマルクス経済全盛期に嫌というほど聞かされた。言ってみれば、先祖帰りである。

私の学生時代は紛争華やかなりし時代の後だけれども、授業中に訳の分からない連中が乱入してきて、授業を中断させて世の中の矛盾について討論するなんて風潮も残っていた。当時は危ないと思ったから、黙って聞くしかなく苦痛だった。

労働者と農民による世の中も来なかったし、計画経済などまったく機能しなかった。首領様の独裁制は予想以上に長く続いているけれども、資本主義の終わりを主張していた連中も、ああいう世の中になればいいと本気で思っていた訳ではあるまい。

さらにいうと、資本・資源・労働力のボーダーレス化が進むとともに経済成長の余地がなくなり、国民国家や通貨管理体制が成り立たなくなるというのは、資本主義の命脈が尽きることとは別の話である。

資本の論理の行き着くところ、関税とか為替とか(そもそも税金とか)、政府による金融・財政の管理まで含めて人為的な制限はなくなる方向に進むのが必然であり、それでどうして都合悪いのかと思う。市場がもっとも効率的に資源を利用するというのは、経済学の基本である。

資本主義は「主義」という言葉が付いているので政治的な主義主張のような印象を受けるけれども、基本的には経済の言葉であって、分配や交換の仕組みを現わしている。

だから、「民主制」や「独裁制」、「貴族制」「無政府主義」まで含めた政治信条を表わす「主義群」とは性格をほとんどまったく異にする。むしろマルクス主義経済学は政治的な主張である。あれは、本当のことを言えば、「独裁制」の「計画経済」だったのだ(だから破綻した)。

資本主義が終わるということは、昔の実物経済、共同体による分配に戻るか、もしかすると計画経済か、さもなければまったく新しい経済の仕組みが適用されるということである。市場を経由しない効率的な分配方法は、いまのところ誰も提案していない。

単純化してしまえば、市場(マーケット)が価格をもとにして資源(ヒト・モノ・カネ)を再配分するというのが資本主義なのである。富が一極集中して格差が広がるとか、貧乏人がさらに暮らしにくくなるというのはマーケットが悪いのではなく、そこに参加している人が悪いのである。

資本主義は経済成長に結びつくことが多いけれどもイコールではなく、貧富の差を少なくすることも意味しない。実物経済がそれらを意味しないことと同様である。格差社会がけしからんというけれども、人類の歴史で格差がなかった社会が実現したことはない(老荘の理想社会は、あえて言うまでもないが現実ではない)。

だから格差社会や貧富の差があるのは仕方がないというのではない。それを経済や社会のせいにして解決したつもりになるのは、かつてマルクス・レーニン主義を掲げて授業を妨害した連中と本質的に変わらないと思うのである。

六十何年生きてきて思うのは、社会はよくなっている面もあるけれども旧態依然として変わらない面もあり、昔の嫌な動きがそのまま復活するような傾向も、得てして起こりがちだということである。

社会を一足飛びに改善することはできないし、そうした無理な動きは社会をより悪くすることは、ここ半世紀のいろいろな事象が証明しているように思う。

[Jul 3, 2021]

最近、資本主義が終わるというような本が出ているようだが、半世紀前に同じようなことが言われていたし、社会の不公正を一足飛びに改善することは難しい。(写真は記事とあまり関係ありません)