カテゴリー
books

031 伊藤薫「八甲田山 消された真実」 [Jul 29, 2021]

「八甲田山」はわれわれ世代にとってたいへん思い出深い映画である。

もちろん、新田次郎の原作もすごいのだが、出演した役者が驚くべき面々だった。東映以外では初の本格的登場となる高倉健、犬になってしまった北大路欣也をはじめ、三国連太郎、加山雄三、小林桂樹、丹波哲郎、緒方拳、大滝秀治などなど。

他にも前田吟、藤岡琢也の渡世(わたせ)組、前千葉県知事森田健作、村人に加藤嘉、花沢徳衛、田崎潤といった名脇役陣。女性陣では栗原小巻、加賀まりこ、秋吉久美子に菅井きんである。よくスケジュールが調整できたものである。

映画「八甲田山」の出来が素晴らしかったため、多くの人はあれが真実だと思っている。しかし、新田次郎の原作が神田大尉、徳島大尉と名前を違えてあるように、本来あれはフィクションである。「仮名手本忠臣蔵」が赤穂事件のノンフィクションでないのと同じである。

だから、こういう題名で本を出すについては、<映画・小説から>消された真実という意味でないと読者には伝わらない。<報告書から>消された真実という意味なら、著者には一大事かもしれないが読者には関心事ではない。

現代の大蔵省だって報告書を改ざんして事実を隠しているのだから、百年前の軍隊で作成された報告書が事実をありのまま伝えているとは誰も思わない。それが問題でないというのではなく、そこをつついても仕方ないだろうということである。

著者はもと幹部自衛官であり、青森第五連隊にも所属していた。だから、われわれ一般人の目にできない資料も見ているはずだし、何しろ版元が山と渓谷社である。かなり期待して読み始めたのだけれど、残念ながら期待外れであった。

その第一の理由は、小説・映画の雪中行軍遭難事件の描き方でどこがよくないのか、分からないということである。

著者はあとがきの中で、「無能な指揮官の命令によって、登山経験のない素人が準備不足のまま知らない山に登山をした」のがこの事件の本質と書いているが、それは映画を見た人、小説を読んだ人の誰もが感じることである。

著者は連隊長(小林桂樹)が一番悪いといいたいのだが、連隊の責任者である連隊長の責任が一番重いのは当り前である。三国連太郎がいちばん悪いと印象付けるのは小説・映画の脚色であって、ひとりのせいで部隊ほぼ全員が壊滅した訳ではない。

(ちなみに、原作者新田次郎は、連隊よりも師団、さらに陸軍首脳部が一番よくないという意味のことを書いている。当然そういう考え方もあるし、著者のいう「(新田次郎の考えは)的を外している」という指摘の方が、私にはよく分からない。)

中隊長(北大路欣也)の計画もずさんなら、大隊長(三国連太郎)が直接指示したのも指揮命令系統を混乱させた。装備や準備が行き当たりばったりなのは映画のとおりで、遭難してからの対応もおかしい。何から何までめちゃくちゃなのである。その最大の責任が、現場にいた将校・兵士ではなく連隊長にあるのは間違いない。

映画・小説では、師団本部の命令ではなく希望ということにされているが、報告書等でも関係者証言でもそれは裏付けられていない。しかし、仮に著者のいうように弘前三十一連隊の八甲田踏破計画を耳にした青森の連隊長が泥縄で命令したとしても、遭難事故の本質は変わらないのではないだろうか。

「八甲田山」はわれわれ世代にとって、たいへん印象深い映画でした。ああいう映画はおそらく二度と撮れないでしょう。ただ、この本はちょっと期待外れ。

もちろん、もと幹部自衛官の考察であり、さまざまな資料を読み込んだ上の著作であるから、小説や映画とは違った点も当然ある。

例えば、3泊4日の大隊行動は連隊長決裁ではなく師団長決裁であり、第五連隊の雪中行軍は1泊2日で計画されたはずだとか、田茂木野で案内人の申し出を断ったというのは新聞の飛ばし記事だったとかは、新たな事実といっていい。

しかし、新田次郎の原作でも師団決裁云々の話は軽くではあるが触れられているし、仮に三本木(十和田市)まで踏破できたとして兵士はともかく橇や荷物をどうやって青森まで戻すのかという疑問がある。著者のいうとおり、もともと田代往復の計画だった可能性が大きいだろう。

しかし、それらは小説・映画を盛り上げるための脚色だったとすれば、事件の本質を大きく変えるものとはならない。確かに、雪中行軍の日に案内人を断ったのは脚色かもしれないが、計画段階で案内人の同行が却下されたことは十分にありえる。

著者はもと自衛官だから、軍隊の行動に民間人を同行させることに否定的だが、今日の感覚を百年前にそのまま通用できるかというと、できないだろう。現に、弘前隊は現地で案内人を手配しているし、この4年後に踏破された剱岳でも、陸軍測量部は案内人(香川照之)を同行させている。(「剱岳点の記」の原作者も新田次郎である。)

物足りなさのもう一つは、山と渓谷社が出しているのに登山としての雪中行軍の問題点をほとんど考察していないことである。

田代温泉への道を発見できず、3日にわたって食べるものもなく吹雪の中凍えていたのだから正常な判断が無理だったのかもしれないが、大隊長のグループ(三国連太郎と加山雄三など)は尾根から下りて沢を下流に向かっている。

これは登山の道迷いでは絶対にやってはいけないことで、大隊長以下が救助されたのはたまたまである。そして、加山雄三(のモデルになった将校)は、川を下れば青森に着くはずだと言って、いかだに乗せて伝達者を川から流したという。

その伝達者は、下流で遺体となって発見された。滝もあるし崖もあるのだから当然そうなる。このことは映画にはないけれども、小説にはちゃんと描かれている。

こうした事実はもっと掘り下げていいはずだが、著者にとって「命令はあったのか」「生存者が部隊の動向を把握していないのはなぜか」「組織上、中隊長と同行しているはずの将校・兵士が大隊長と一緒にいる」ことの方が関心事なのである。

そして、自力下山の直前まで達したのは尾根を進んだ北大路欣也グループだけで、三国連太郎・加山雄三のグループは、5日後に救助されるまで谷に入り込んで身動きがとれなかったのであった。

私がもっとも疑問に思ったのは、大隊長(三国連太郎)が同行せず北大路欣也の中隊が40人程度でやったとして、この計画は成功したのかということである。

200人近い死者は、今日に至るまで世界雪山事故のトップを独走する大事故であるが、30人だってぶっちぎりの国内記録である。指揮命令系統の混乱がなく、案内人を雇ったとしても、遭難をまぬかれたかどうか私は非常に疑わしく思っている。

というのは、新田次郎の原作にあるように「雪の中では地図が役に立たない」からである。この本の著者は当時の25万分の1地図では1kmが4㎜と書いているけれども、仮に25万分の1が25,000分の1だったとしても、迷うときには迷うのである。

「ホワイトアウト」の怖さは今日でもたびたび指摘される。コンパスを持っていても現在地が正確に分からなければ進路決定には役立たない。それでも、食料と燃料を十分持っているのだから、早めにビバークしていれば余力があったはずである。

そして、田代温泉というと大層な温泉地を想像するかもしれないが、実際には家族で経営する小さな宿で、200人の兵隊が全員泊まれる宿ではなかった。大部分の兵士は計画通り田代温泉に着いても野営せざるを得ず、田代まで行ったところで状況はほとんど改善しなかった。

つまり、遭難の最大の原因は「命令だから田代温泉までどうしても行かなければならない」というところにあって、結果夜間まで行動して田代への道は見つからず、夕食の配給が真夜中になってしまった。ちなみに、酒の配給もあったけれど変質して飲めなかったという。

「命令だから」が最大の原因だとすると、大隊長だからダメで中隊長なら大丈夫という理由は見当たらない。そして、案内人を雇ったから見つけられるかというと、それも疑わしい。7人の案内人を雇った弘前隊も田代温泉に達することはできず、八甲田山麓を強行突破するしかなかったのである。

それだけ、この日の風雪は激しかったということだし、行動すべきではなかったということである。そして、仮に案内人が「吹雪がひどすぎて無理だ」と言ったとして、指揮官がはいそうですかと演習をやめるかということである。

もちろん、ホワイトアウトの中、闇雲に前進させた大隊長の責任は重大だし、装備が全然なっていなかった(実は、カイロすら持っていなかったらしい)ことも大きい。しかし、雪洞を掘るなら地面まで掘り進めなければ焚火などできないことは分かりそうなものだし、それこそ事前に準備すべきことだろう。

また、部隊が四分五裂して脱走兵が続出したことに著者は憤っているけれども、映画を見て緒方拳が「俺は自分の歩きたいように歩く」という場面で、「敵前逃亡だ」と思う観客がどれだけいるだろうか。自衛官が疑問に思うことと、一般人が思うことは違う。山と渓谷社は自衛官向けに出版しているのだろうか。

徳島大尉(高倉健)の逆回り雪中行軍も、著者の評点は辛い。その最大の理由は、行く先々で天皇陛下直々の演習だと偽って援助を強要したこと、八甲田で案内人を先に歩かせ、青森が近くなるとあとは自分達で帰れと見捨てたことにあるようだ。

ただし、案内人への態度については映画でも小説でもきちんと表現されているし、渡した金額が少ないと著者が非難する意味が分からない(当時の日当5日分である)。確かに民間人を軍事演習に同行させるのは問題かもしれないが、4年後の剱岳で案内人を雇っていることは触れたとおりである(現在の国土地理院は当時の陸軍測量部)。

まして、山中で遺体や放置された武器等を見ているのだから、「けっして口外してはならない」と強く言ったり、自分達だけで到着したように偽装することはやむを得ない。むしろそう言わなかったとすれば、将校としていかがなものかという話である。

確かに、功名心があって目立ちたがりのところはあったのだろうが、それを人格的問題のように非難するのはかわいそうである。軍隊という組織内で上の階級を目指すため努力するのは、現代でいえば営業がセールス実績を上げるよう努力するのと変わらない。

そして、仮に著者のいうとおり高倉健のスタンドプレーで企画された雪中行軍だったとしても、それを認可した段階で責任は連隊なり師団にある。当初の企画意図がどこにあろうと、命令が出れば万難を排して実行しなければならないのは、当時も現在も変わらないのではないだろうか。

読み進めて思ったのは、山と渓谷社は元自衛官に書かせるのではなく、やっぱり羽根田さんに書かせるべきだったということである。

資料をもとに事実を考察し再構成する能力において、新田次郎と著者ではレベルが違う。せめて、山岳事故の観点を強調するとか考察の側面を替えないことには、この遭難事故について世に問うことは難しいだろう。

[Jul 23, 2021]