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半世紀前の話

200 キャバレー [Jul 30, 2021]

しばらく前に最後のキャバレーが閉店したとニュースになっていたが、私が社会人になった頃にはすでにキャバレーという業態はほとんど存在していなかった。

ではキャバクラがあったかというとそういう時代でもない。クラブというものはあったけれどいまのクラブとは違った業態で、生のピアノ演奏があり着飾ったお姉さま方がいて、接待でたまにお供するくらいで若手社員にはあまり楽しいものではなかった。

キャバレー全盛期というともっと古い時代、例えば力道山とかそういう人達のいた頃である。年代でいうと1960年代前半、まだ田中角栄が「日本列島改造論」を書く前である。

後の時代のクラブとかキャバクラは、いくつかのグループに分かれて飲んだり食べたりするのだけれど、キャバレーは大きな舞台があって、そこで歌があり演奏があり、漫談やコントが演じられたりしていたそうだ。

後の時代に有名になるコメディアンが若い時はキャバレーで演技していた、なんて話も珍しくなかった。もともとキャバレーという言葉自体アメリカから来た戦後のものだから、舶来の、ハイカラな印象があったと思われる。

それが日本独自のキャバレー業態に変化したのは、福富太郎(1931-2018)という実業家の事業展開が大きく寄与している。われわれより少し上の年代には「キャバレー太郎」の異名で知られていた。

若くしてこの業界に入り、26歳で独立。1964年、東京オリンピックの開かれた年に「銀座ハリウッド」を開店。あっという間に全国展開を果たした(2018年に閉店したのはハリウッドの最後の店である)。

当時、いまのように若い女性が働ける場所は少なく、長時間労働でしかも時給が安いという実情があった。子供を連れてひとりで働ける場所はほとんどなかった。

福富太郎は自分の店でそうした女性が働けるように託児所を併設したり、いろいろ工夫した。離婚したりさまざまの理由で自分の稼ぎで生きていかなければならない女性がいきなり水商売というのは、今日的には問題のあることだが、当時はやむを得ない実情があったのである。

こうした状況が変わる節目となったのは、高度成長期からバブルに向かう時期であっただろう。労働需給がにわかにひっ迫し、男女雇用機会均等法が施行された。男女別に職種を限定したり、採用を差別することは原則的に許されなくなったのである。

キャバレーという業態が下降線をたどるのと、女性の働ける場所が多くなるのとは、ほぼ同じ時期であったと記憶している。なにしろ、私の就職した当時、大卒女子の就職はコネでもなければ無理だったのである。いまとは時代が違う。

その頃から、やむを得ず水商売で働く女性というのは少なくなり、適性があって自ら高収入を求めてというケースが多くなった。結果、容姿とか接待の上手下手で差別化が起こり、さまざまの業態に枝分かれしたのである。

いまはそういうことを言わないだろうが、二、三十年前に接待に女性職員を連れて行くと、「ホステスのようなまねをさせるのか」というクレームが諸方面からあった。

おそらくそうしたクレームのもとになったのは、キャバレーに行ったことのあるおじさんとか、話を聞いたことのある女子社員だとかだっただろう。今は昔のできごとである。

[Jul 30, 2021]

キャバレーは平成にも少しはあったけれど、もう地方にわずかにあるかどうかでしょう。名前だけ「キャバクラ」に名残りがあるくらい。横浜Fマリノスみたいと言ったら怒られるか?