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032 岡南「天才と発達障害」 [Aug 3, 2021]

いろいろ不満な点はあるのだが、最近読んだ中では、もっともインスパイアされた本のひとつである。

人間の認識・思考はいわゆる五感を通じて行われるが、その中でも情報量の多いのが視覚と聴覚である。大部分の人は聴覚が優先され、認識したことを脳内で言語に変換して考える。だが、視覚が優先され、映像で認識して思考する人もいる。

著者がまさにそのタイプで、記憶も思考も映像で行うので、言語で説明するのが苦手という。建築家として活躍しているのだが、この思考回路は三次元の空間把握に長けているので、建築家だけでなく、服飾・デザイン、外科医、パイロットなどに多いという。

一方、聴覚が優先され言語で考えるタイプの人は多く、学校教育も社会の仕組みもそれを前提に作られているので、社会適応がしやすい。学校で優等生とされるのはこのタイプである。

しかし、聴覚に偏りすぎた結果、視覚認識が十分にできずに空間の把握ができなかったり、他人の顔があまり区別できなかったりすることがある。顕著なケースとして、「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルが挙げられている。

われわれは基本的に自分を基準として考えるから、なぜこんなことができるのだろうとか、逆になぜこんなことが分からないのだろうと思うけれども、人それぞれで脳内の仕組みも体の使い方も違う。持ち点100点を攻撃力40守備力20すばやさ20運の良さ20に割り振る人もいれば、全部25の人もいる。運の良さ100あとは0だっているかもしれない。

著者はガウディとルイス・キャロルを例にあげるから、行き過ぎると発達障害と紙一重という結論になるけれども、必ずしもそうとはいえない。というのは、昨年読んだある本に、精神病といわれる病気の本質は、「心」の病気でも「脳」の病気でもなく、脂質の代謝異常という「体」の病気であるという仮説が示されていたからである。(こちら)

認識あるいは情報処理が視覚に(映像に)偏っているか聴覚に(言語に)偏っているかは確率・分布の問題であり、発達障害はそれとは別の要因によるように思われる。ガウディが考え事に集中すると注意力が散漫になって、それがもとで路面電車に轢かれたというが、それは映像思考の人に限らず言語思考の人だってありえる話だろう。

そうした反論はあるけれども、この本を読んでよかったのは、「考える」とはどういうことなのか改めて考えさせられたからである。(「考える」を考えるとはちょっと妙ですが)

「考える」を学校のテストの類推でとらえると、まず「質問」があってそれに対する適切な「答え」を出すことになる。しかし、学校やテストがない頃から、人は考えていたはずである。

この本で述べられている例からとると、「言語思考」の人にとって「しりとり」が、「映像思考」の人にとっては「積み木」が、考えることの本質ではないかという気がした(あるいは、「積み木」もそうだが「あやとり」)。

さて、不満な点について述べると、この本はたいへん読みにくいのである。

具体的に項目をあげると、言葉の使い方(「間違える」の名詞形は「間違え」ではなく「間違い」)、接続詞の使い方、句読点の違和感、断定と推定の使い分けがおかしい、例の挙げ方が適当でない、論理展開が唐突などであるが、とにかく読み進めるのが苦行なのである。

著者と同じく視覚で考える人(映像思考)であったガウディ(建築家。サクラダ・ファミリアを設計した)には、綴りが違っているとか引用する場所を間違える癖があったというが、まさにその実例を見せられている印象である。

本当は、編集者なり出版社がそれを校正して読める本にして出版すべきところ、そのまま校正なしで出版されている。読書する人はたいてい言語思考だから、かなり違和感がある。あるいは、著者が手を入れるのを嫌がったのかもしれない。

[Aug 3, 2021]

題名と中身は異なり、認識と思考方法の違いについて書かれた本です。この題名は編集者に付けられたかな?