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なんとなく思うこと

129 生きていても仕方がないという人が増えているらしい [Dec 1, 2021]

この前図書館で本を読んでいたら、いまの若い人の中には生きていても仕方がない、できれば早く死んでしまいたいという人が増えているということが書いてあった。

だから、早く安楽死(尊厳死)ができるようにして、苦しまずに死ねるものならそうしたいそうだ。死刑になりたいから歩行者天国に車で突っ込んだり、保育園に乱入して園児を無差別攻撃しようという輩が現れるのも、そういう傾向によるものという。

私は、安楽死(尊厳死)は認めるべきだと考えている。病気でずっと苦しい思いをしなければならなかったり、ケガで体が不自由になったり、精神的に追い詰められてどうしようもないといったケースは現実に存在するからである。きれいごとだけでは済まない。

インドのウパニシャッド哲学には、生きることは苦であるという基本的な考え方がある。もともと仏教は、そうした苦しみから逃れるための「解脱」を目指すものであった。「四苦八苦」という言葉も、生きていてもつらいことばかりだという意味である。

仏教が日本に入ったのは中国経由なので、道教や儒教の影響が加わって、現世利益や先祖供養の宗教になってしまった(日本に来て、マルチ商法の要素すら加わった)。いま「葬式仏教」と揶揄されるのはこのためで、もともとの仏教にそうした考え方はない。

生きていたくないほどつらい日々を送る人達は本当にお気の毒と思うし、世の中にはそこまで追い詰められることもあるとは思う。幸い私はそうなっていないけれども、だからといってこれからもそうである保証はない。

そうなるかもしれない自分に対する予防線が半分と、そういう立場になりかけている人達につぶやくことができるとすれば、以下のことである。口幅ったいようだけれど、追い詰められないために個人的に重要と思っている事柄である。

1.やりたくないことはできるだけしない。

やりたいことをするためにはおカネも時間も必要で、そこに重点を置いていたらストレスもたまるし精神的にも充たされない。やりたくないことをなるべくしない方にシフトすれば、少なくともストレスが格段に減ることは間違いない。

5年前にアーリーリタイアして、やりたくないことをしないでよくなって、精神的にどれだけ楽になったか分からない。経済的には余裕がなくなったけれども、それには代えられないと思っている。

熟年ブログをみると、年金のお得なもらい方とか副業とかアフェリエイトとかおカネのことばっかりだが、私はそういうことに時間をかけたくない。必要最低限は考えなくては仕方ないけれど、あとは少ない収入で何とか回す方に頭を使う方がいい。

2.他人と自分を比べない。

世の中の多くの人がストレスフルな毎日を送っているとしたら、その大きな要因は他人と自分を比べて「相対的な」優劣を競っているからではないかと思っている。

他人はどうあれ、自分はこうしたい。おカネと時間はこう使いたいという「絶対的な」指標で考えるようにしたら、楽になるのではなかろうか。他人の評価、見る目なんてものも、当然意味のないことである。

会社を辞めて、他人と自分を比べることがほとんどなくなったのは、心身の健康のためにたいへんよかったとしみじみ感じている。会社の中で偉くなる、より多くの分け前をとるなんてことは、人生においてほとんど意味のないことではないだろうか。

3.脳も肉体も、体の機能といわれるものをなるべく頻繁に使うようにする。

歳とってきて最近特に感じるのは、脳にせよ手足・内臓にせよ、体というのはなるべく使うようにすると気分がいいということである。

動かないでじっとしていると鬱っぽくなるのは、本来、脳も体も自分達の機能を十分に使ってもらいたいからではないかと思っている。健康とは、病気でないというだけでなく、脳や体が十分に使えるということである。

[Nov 30, 2021]

p.s. この記事は神田沙也加さんの事件が起こる前に書いたものです。

生きていても仕方がないという人が増えていて、それで自暴自棄な犯罪が増えているという。