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なんとなく思うこと

143 キャンプ場で思う・悪意ある人間は必ずいる [Jun 2, 2022]

村上春樹の小説の中に、世の中には無抵抗の猫の足を万力でつぶすような意味のないことをする奴が必ずいて、世の中はそうした悪意で満ちているという場面がある。

私も還暦をずいぶん前に迎えたけれど、まったく同感である。自分がそういう人間でないことは自信をもって言えるが、そういう人間が一定の確率で存在することもまた確かなのである。先日、改めてそう思ったのでそのことについて。

あるキャンプ場でのことである。普通の登山者は遅くとも午後3時くらいにはテントを設営して4時頃には食事、翌朝早いので5時頃には静かにしている。(南アルプスのある山小屋では、午後3時を過ぎて到着すると怒鳴られるという有名な話がある。)

ところが、その日現れた7~8人のグループは5時過ぎてから現われ、大騒ぎしながら設営、そして宴会を始めたのである。

若い人がオートキャンプと間違えているのだろうと思うかもしれないが、いい歳の連中である。しかも、「昔の山岳部では先輩に荷物を持たされた」なんて話をしているから、もと山岳部だった連中が少なくとも何人かはいたのである。

なげかわしいことだと思ってトイレに行くと、そのうちの一人が挨拶もなしに話しかけてきた。

「ここにはキツネが出るから気を付けてね」

見ず知らずの他人、しかも自分達より早く着いている明らかに年上の人間に、挨拶抜きのタメ口。しかも群れをなして大騒ぎしている奴らである。相手にしないでいると、さらにしつこく話しかけてきた。

「何か持っていかれたら困るでしょう。困るよね」

「俺には盗癖があるし、他人が困ってるのを見るのが大好きだから、気を付けてね」と言っているように聞こえた。わずか数メートル先にこんな不審者がいるのはたまったものではない。その夜は身辺に気をつけなければならなかった。

翌朝5時過ぎに出発する時、連中は出発どころか朝食もとっていなかったので、まあそういう奴らである。昔は山岳部だったのかもしれないが、登山の基本もできていないのである。

だから、山の本に、山岳部や山岳会で基本を身につけてなどと書かれているのは、まったく当てにならないと思っている。現に、大きな遭難事故はほぼグループ登山である(単独行は見つからないだけという話かもしれないが)。

私が窮屈な一夜を過ごしたことを取り越し苦労とか被害妄想と思う人もいるかもしれない。しかし、そうやって性善説に立って何度も痛い目をみている。疑うべきを信じるのは、信じていい時に疑うよりずっとリスクは大きい。

「他人が困るのを見るのが大好き」な人間は、確率的に数十人に一人必ずいる。「他人が困っても構わない」から「他人が困るのを見るのが好き」までの距離はたいへん短い。

(数百人に一人と思いたいが、運転していたり会社勤めしたり、昨今の世界情勢をみてもそのくらいの確率が妥当なように思える。)

そして、そういう人間にありがちな特徴として、妙になれなれしい、礼儀知らず、群れをなして動くなどがある。それらの条件を踏まえた確率は、数人に一人にハネ上がる。

そういう人間に例えば登山靴を持っていかれて、十メートル先の林に投げ込まれただけで発見は困難である。下山できないことはないにせよ、かなり困る。そういう人間はそれを想像するだけできっと楽しいのである。

この日はシカの数十頭の群れを見たし、サルでもテンでも野生動物はいくらでも見る。アクシデントで、何か持っていかれる可能性はゼロではないだろう。しかしそれよりも心配すべきは、数メートル先にテントを張っている悪意ある人間である。

ある意味、相部屋よりも怖いかもしれない。だから、すいている平日を選んで登っているのに。

[Jun 2, 2022]

山を歩いていると野生動物を見るのは珍しくない。しかし、何か持っていかれるとすれば、心配しなければならないのは数メートル先の悪意ある人間である。