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147 安倍元首相国葬終わる [Sep 29, 2022]

27日、安倍元首相の「国葬儀」が行われた。

さきに行われたエリザベス女王の国葬と、当然だけれどあまりの格差に歴然とした。これがいまの英国と日本の国力の違いと言ってしまえばそれまでだが、国葬とはエリザベス女王のような存在でなければしてはいけないのである。

そもそも、日本の国家元首は天皇である(第二次大戦に負けたので象徴ということになってしまったが)。天皇以外はすべて臣下であり、天皇と臣下は違う存在である。「国葬」は本来天皇だけで、臣下を天皇と同等の扱いをすべきではない。

岸田首相が聞き慣れた「国葬」という言葉を使わず、「国葬儀」で通したのは、これは「国葬」とは違うというサジェッションだったのではないかと勘繰っている。あるいは「国葬偽」ということだろうか。

国の予算を使って葬儀を行ったというだけで、バンクホリデーにもならないし、外国から要人が多く来ることもない。これで安倍に義理は果たせたと思っているかもしれないが、国威なんてものが日本にあるとしたらガタ落ちになっただろう。

わが市役所も(どこかはあえて言わない)、てっぺんから85%くらいの位置に半旗が掲げられていた。「控えめな弔意」を示すよう申し送りがあったのだろうか。やるならやるで中途半端に掲揚していると、小学生が半旗はああいうものだと思ってしまうかもしれない。

警察だけは、普段がらがらの関係者駐車場に、ものものしい数のパトカーが並んでいた。こちらは、非番返上で全員に動員がかかったようだ。警備に不手際があったことがそもそもの発端だから、奈良県警でなくても断れない。

やる仕事がないものだから、道路でも何台かすれ違った。余計なことはするなと指示されているだろうから取り締まりはしないだろうが、気持ちが悪かった。

多くの人が献花したり手を合わせたりしていたけれど、バスに放置されて亡くなった園児だって同じように多くの人が手を合わせた。日本人の心の奥底には怨霊信仰があるので、非業の死には何はともあれ手を合わせることになっている。(成仏してくださいということである)

それを安倍元首相に対する弔意と勘違いするから、フライングして国葬という話になる。ところが、統一教会に対する追及はまったく衰えず、オリンピックの贈収賄事件もどこまで拡大するか見当もつかない。

アベノミクスだ史上最長の在任期間だといっても、カルト教団と深い関係を持ち、巨悪を追及させなかった政治家が、国民全体の弔意で送られるにふさわしいかどうか。少なくとも、田中角栄や中曽根康弘と比べて、どちらが首相として仕事をしたかは誰が考えても明らかである。

岸田首相が聞き慣れた「国葬」という言葉を使わず、「国葬儀」で通したのは、これは「国葬」とは違うというサジェッションだったのではないかと勘繰っている。

戦前も国葬は行われたが、明治維新や日清・日露戦争の功労者である。明治維新まで日本の主権者は将軍だったから、天皇に権力を取り戻した、いわば「準皇族」としての扱いである。

在位期間が長かったことが業績とされるのも妙な話である。藤原忠通は道長よりずっと長く摂政関白を務めているし、実は五摂家は彼の直系子孫なのだが、先祖の藤原道長、あるいは息子の九条兼実、天台座主慈円と比べると存在感が薄い。

上皇陛下・天皇陛下はお使いのみの参列で、臨席は秋篠宮ご夫妻だった。やはり皇室も、エリザベス女王とちゃんと区別しているのである。(宮内庁の誰かが、臣下の葬儀にお出ましになるのはいかがかと言ったに違いない)

自民党だって、統一教会と縁を切らないと次の選挙には出られないらしいし、オリンピック贈収賄では総理大臣経験者周辺にも捜査が及んでいるという。公文書改ざんやモリ・カケも復活するかもしれない。

そうした「まともなこと」がなぜこれまでできなかったかというと、安倍一強ですべて自分の思い通りにしてきたからである。本人は祖父の岸信介路線を継承しているつもりだっただろうが、時代が違う。

前にも書いたけれど、今回の狙撃では外れてもおかしくなかった銃弾が当たって致命傷となった。その結果「まともなこと」が行われるようになったとすれば、「やっぱり殺されるだけのことをしたんだ」という受け止め方が大勢を占めるようになるのも仕方がない。

そうしたことが徐々に明らかになって、岸田首相が当初意図したのとは逆の方向に進んでいるような気がしないでもないが、とにかく名前だけでも国葬で、安倍元首相を送ったのは悪いことではなかったかもしれない。

というのは、統一教会やモリカケ、桜を見る会はともかくとして、元首相が「非業の死」であることは間違いないからである。そして、直系の後継者もいない。昔風に言えば、「怨霊」となる条件にぴったりあてはまるのである。

祖父である岸信介、大叔父である佐藤栄作と安倍晋三。明治維新の長州閥に遡る権力に対する深い執着、暗い怨念、長州閥の特色ともいえる身内尊重、公私の(カネの)区別がつかない伝統は、彼をもって途切れることになる。

怨霊となってこれ以上災いをもたらさないために、日本武道館を借り切るくらいは仕方ないのかもしれない。

[Sep 29, 2022]