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なんとなく思うこと

148 この子供達が私の歳になる頃、私はもういない [Oct 10, 2022]

夏休みの頃、日中暑くて出歩けないので朝早くに公園まで散歩した。まだ午前6時前だというのに、子供達の姿を見かけることが珍しくなかった。きっと子供も、炎天下は暑いのだろう。

わが千葉ニュータウンも計画より四十年遅れで開発が進んでおり、これまで放置されていた荒れ地にも工業団地が建設されつつある。鉄骨が組み上がった5階建て6階建ての巨大な物流倉庫を見ると、計画ではとっくにできていたんだろうなと思う。

そうした日々の移ろいを見てふと思うのは、この子供達が私の歳になる四十年後には、私はもうこの世界にいないんだろうということである。

なんだか寂しいと思わなくもないが、それほど怖いとか不安だとか感じない。それについて思い出すのは、子供の頃太陽が膨張して地球の軌道をいずれ飲み込むと知った時に、たいへん恐ろしく思ったことである。

太陽の寿命は基本的に他の恒星と同じで約100億年。現在約48億年経過していると推定されるので、約50億年後には寿命が来る。寿命が来ると太陽は膨張して赤色巨星となり、その後爆発して白色矮星となる。宇宙の中には、そうした星々がいくつかある。

膨張して赤色巨星となると、太陽は火星軌道よりもさらに大きくなるので、地球など問題なく飲み込まれてしまう。すべて高温で溶かされてしまいあとかたもなくなる。

それまでに科学が進歩して、ワープできるようになるだろうか。宇宙空間で生活することはできるだろうかと、とても心配だった。それから四、五十年経って、どうやらワープなどできないようだし、よほどのカネ持ちでなければ宇宙に行けないことも分かってきた。

とはいえ、カネ持ちがカネ持ちでいられるのは貧乏人がいるからだし、アマゾンだろうがグーグルだろうがカネ持ちだけしかいなければ経営が成り立たない。それ以前に、人間が栄えていられるのもそれほど長いことではないだろうと思う(せいぜい数千年だろう)。

だから、太陽が膨張する時代のことなど心配しても仕方ないし、そもそも数十億年後のことである。仮に見込み違いで数億年になったところで、大勢にほとんど影響はない。

数億年後か数十億年後かはともかく、不思議なのは、小さい頃は未来のことがすごく心配だったのに、この歳になるとたいして心配ではなくなっていることである。

心配というのは脳の機能なので、脳の持ち主がいなくなってから後のことは脳にとってほとんど意味がない。まして自分以外の、「家」とか「民族」とか「社会」のことを心配しても仕方がない。残り時間が少なくなると、そんなことを考えてしまう。

[Oct 10, 2022]

太陽の寿命が来る数十億年後、地球の軌道は太陽に飲み込まれるのでその頃地球はなくなる。子供の頃それがたいへん怖かったが、この歳になるとたいして怖くないから不思議だ。