新展開に向かう

ごあいさつ
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定年が1年半ほど先に迫っているのだけれど、それを待たずに新たな生活に踏み出す機運が日に日に高まってきているのを感じる。

身の処し方として私が理想としているのは、「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンである。宿敵ジャべール警部に追われてパリ市街を逃げ回り、偶然に修道院の敷地内に逃げ込んだジャン・バルジャンは、そのまま十数年を修道院の下働きをして過ごすのだ。

その修道院には偶然、昔、ジャン・バルジャンが馬車の下敷きになっているところを助けて、たまたま修道院の下働きをしていたフォーシュルバン爺さんが働いていたのである。爺さんはジャン・バルジャンを「弟」と偽って、修道院の下働きとしてかくまったのである。

ジャン・バルジャンはその修道院で十数年を過ごし、フォーシュルバン爺さんが死んでから、「一人でこの仕事を続けるのは体がつらいから」という理由で修道院を出た。転機というものは、そうやって向こうからやってくるもののようである。

職場なんて、自分の持ち物でない以上は、いつかは離れていくものである。いる間はベストを尽くして組織が優れたパフォーマンスをあげられるよう努力するけれども、自分がいなくなってどうなろうとそれは組織の自由である。いずれにせよ、不滅の組織なんてものはない。いつかは滅びる。

村上春樹はそのことを「曲が流れている間は、踊るんだ。足が止まってしまったら、おいらにはどうすることもできないからね。」と言っている。私も、自分で嫌にならない程度には踊り続けることができるだろうか。

[Jan 18, 2016]