情報入力を絞ってストレスの少ない生活

ごあいさつ
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節約記事で書いた通り、新聞の宅配をやめた。TVも決まったもの以外はほとんど見ないので、メールとかWEB以外からはニュースも入って来ない。そんな生活をすでに4~5ヵ月送っていたら、いつの間にかストレスが減っていたことに気が付いた。

現役の時には通勤があり、電車の車内広告や駅売りの新聞の見出しもあるし、そもそも会社の回覧でいろいろ回ってくるから見ないという訳にはいかない。そうやって望むと望まざるとにかかわらず情報が入ってくるのは避けられなかった。われわれ自身の生活にはほとんど関わりないとはいえ、知れば感想を持つのは仕方ないし、いろいろ考えが発展するのは脳の構造上やむを得ない。

それがどんなにストレスになり、心身の健康を損なう要素となっているかリタイアするまで分からなかった。しかしこうしてそういうことから離れてみると、なんと余計なことに心身をすり減らしていたんだろうと改めて感じる。

最近のことを言えば、大相撲の騒動なんてものにはまるっきり興味がないし、ついでに時々見ていた大相撲中継も見るのをやめてしまった。だからと言って何も困ることはない。モンゴル部屋が仲間内で暴力沙汰を起こそうが、誰が責任をとってやめようが、そんなことは知ったこっちゃない。相撲と大相撲はレスリングとプロレスくらい違う。大相撲は前の天皇陛下が個人的にお好きだったから、国技といっても誰も文句を言わないだけだ。

韓国のどこぞでやっていた冬のオリンピックも全く見なかった。古くからやっている競技は歴史もありスポーツとして見る価値があるとしても、ショートトラックあたりからおかしくなった。モーグルだのスノーボード、カーリング、スケート団体競技の金メダルが、アルペン3種目やアイスホッケーと同じ価値があるというのは、米ドルと途上国通貨を1対1の為替レートにするくらい馬鹿げたことだ。

つい最近、家から半径500mくらいの近くで殺人事件があり、ワイドショーやら何やらで大騒ぎしていたそうだが、奥さんがスポーツジムのサウナで聞いてくるまで夫婦とも知らなかったのには笑った。ご近所にとって笑い事では済まないことだが、家から出なければ知らなくてすむことである。治安の悪化や青少年の風紀の悪さを私が憤ったところで何も変わらない。

あと人生の残り時間は20年±アルファといったところである。知らなくてもいいこと知っていてもどうしようもないことで頭を使い心を煩わせるよりも、読みたい本を読み書きたい文章を書いた方がいい。その意味で、新聞をやめたことには節約以上の意味があったと自画自賛している。

[Mar 8, 2018]