泡盛はワインと違って、瓶のまま長期間保存しておけば熟成するものではない。
それは私が言っている訳ではなく、尚順男爵が書き残したことである。少なくとも、琉球王国で儀式や接待に使われた古酒は、ワインのように瓶で長いこと保管したものではなく、仕次ぎという手法で二百年三百年と熟成されたものであった。
第二次大戦でほぼすべての古酒が灰塵に帰して、いまの古酒は蔵元が瓶詰めしたものを指すらしいけれども、本来は違う。以下の記事は2009年8月3日に書いたものである。
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先週は再び沖縄。炎天下、大汗をかいてダウン寸前となりモノレールに座ったら、もう終点の那覇空港まで外に出たくなくなった。予定では国際通りを歩いて泡盛を探すつもりだったのである。
Makkooさんのアドバイスで、今回は地元のスーパー、サンエーに寄って島らっきょうや調味料を仕入れてあり、あとは泡盛。空港の泡盛売り場は、種類も少ないし価格もやや高いので市内を回るつもりだったが、ともかく冷房のないところをこれ以上歩きたくなかった。全くだらしない。
回ってみたが、やはり興味を引くものはなかなか見つからない。あきらめかけたところで、こじんまりした売り場によさそうな瓶が置いてある。どうやら試飲もさせてくれるようだ。売り場のおばさんが薦める銘柄を後回しにして、気になる瓶、「名水十年古酒」を飲ませてもらう。
思ったとおり、なかなかの味わいである。口に含んだとたん、泡盛独特の香りが広がる。最近の泡盛は、まるで甲類焼酎のように洗練されたさっぱりしたものが多いが、これは昔の泡盛の味である。気持ちがよくなって、本当に珍しいことだが売り場のおばさんに話しかけてしまう。
「これは、どちらの蔵元ですか?」
「はい。ヘリオス酒造さんと申しまして、名護ですから、那覇市の南になります。」
「?」
私の知っている名護は那覇からずっと北なのだが、南風原(はえばる)と同じように、いろいろなところにある地名なのかもしれないので、黙っていた。その後おばさん推奨のものを試飲したけれど、やっぱり甲類焼酎のようだった。さきほどの銘柄を一本買うことにすると、おばさんいわく、
「こちらは保存用にして、もう一本(おばさん銘柄を)いかがですか?」
さすがにこれは黙っていられなかった。
「泡盛は瓶じゃ熟成しないから、飲まなきゃしょうがないでしょう」
「いいえ。私の家では、いいものは保存用にして、いつも飲むものは別に置いてますよ」
まあ、人それぞれ、酒の飲み方くらい好きにすればいいと思うが、泡盛はワインと違って、瓶で保存するだけでは熟成しない。ワインは長く置いておくとビンテージワインになるけれど、泡盛はそのままでは古酒にはならないのである。
泡盛の古酒は、例えて言えばうなぎやの秘伝のたれとか伊豆七島のくさや汁と同様、まず親酒があって、この親酒が長期間の貯蔵で蒸発したりごくたまに使用して目減りした分を、二番酒・三番酒といった別の酒で注ぎ足しをすることによって、熟成するものなのである。(最近はそうでないのかもしれないが、もともとそのはずである)
だから、戦前にはあったという二百年物、三百年物の古酒というのは、そのすべてが二百年三百年その甕の中に入っていたというのではなく、もともとの親酒が二百年、三百年昔からあって、そこに代々注ぎ足しをして現在に至っているのである(とはいえ、いきなり新酒を混ぜたりすると全部だめになってしまうので、それなりのグレードのものを足す)。
いずれにしても、保存するなら甕とか貯蔵タンクであり、ワインと違って、すでに瓶詰めしたものを何十年置いたものに価値がある訳ではない。もし、本当に自分で古酒を熟成しようとするならば、親酒・二番酒・三番酒以下、何升入りの甕をいくつも用意しなければならないだろう。
そういった泡盛の歴史について語ってくれるおばさんであればよかったのだが、若干興ざめした思いで搭乗口へと向かった。ちなみに、帰ってからヘリオス酒造の場所を調べたらやっぱり沖縄北部の名護市で、そのことも考えるとどうやらあのおばさんは、7:3の確率で、本土からの移住者か夏の間のアルバイトなのではないか、と疑っている。