関ヶ原ウォーランド

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リタイアして7年が経過、現役時代はひと昔前のことになりつつある。

最初に就職した銀行ではほとんど出張はなかったが、2度転職してだんだん出張が増えた。昔は出張日程にも余裕があって、朝早く出れば現地で少し自由時間を作ることができた。最後の頃は経費節減で難しくなったが。

以下の記事は2009年7月、いまから14年前の夏である。
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出張といえば、昔は交通費を概算で渡して後はよきに計らえというスタイルだったが、最近は早割り切符を会社で取ったりするので自由がきかない。そのうえ、「東京駅or羽田空港を7時に出て目的地に着く場合は日帰り」というルールで、理屈の上では日本全国日帰り圏になった。成田空港近くのわが家にとっては体力的に間に合わない。

というわけで、中部地区の出張は自費で前泊にしてしまう。今回は、以前から行ってみたかった関ヶ原に出かけてみることにした。

関ヶ原といえば、ご存知のとおり古戦場であるが、最近ではB級名所マニアの間で有名な関ヶ原ウォーランドである。「ウォーランド」というネーミングも妙だけれど、ここには当時の武将や兵士の像が展示されており、その作者である浅野祥雲(あさの・しょううん)師はこれまたマニアの間では非常に有名な彫像作家なのであった。

JR関ヶ原駅で下車、帰りの電車時間を確認し、出張バッグをコインロッカーに預けて、いざ出発。ウォーランドまでは直線距離で1kmちょっと。駅前にタクシーが止まっていたけれど、途中の旧跡も見てみたかったので歩くことにする。天気予報は曇りだったのに、晴れてまぶしいくらいの日差しである。

線路の上を走る陸橋を越え、関ヶ原町役場の脇を通り、徳川家康陣地跡を見ながら目的地に向かって国道を北上する。この進路は、400年前に東軍が西軍に向かって突撃していった道で、石田三成、小西行長、島津義弘などの陣地跡がある。駅からずっと、ゆるやかではあるが上り坂。いつまでたっても、ウォーランドは見えてこない。

およそ30分歩いて、ようやく「ここを左折」の表示。大分と疲れたが、なるほど小早川秀秋が裏切るまで形勢ほぼ互角だったのはよく分かった。運動会の綱引きで、わずかでも下の方が有利であるのと同様、戦争では上から下に攻める方が体勢有利なのである。それに当時は歩兵が大部分であり、味方を援護しようにも重装備で上り坂を登っていくのは時間もかかったであろう。

などと、はるか戦国の世に思いをはせるが、膝ががくがくするのはいかがなものだろう。なにしろ、もともと出張なので足元は革靴なのだ。入場料の700円を払って、ウォーランド園内へ。ざっと10人ほどの先客がいたのは、かえって意外。彫像の周囲は腰くらいの高さまで雑草が生い茂り、ちょうど草刈りの最中。かえって戦場らしい雰囲気ではある。

さて、浅野祥雲先生はなぜに有名かというと、その独特のコンクリ像によってである。コンクリートで造形し、ポスターカラー(?)で色づけしたその彫像は、独特の味わいがある。中部圏を中心に、数多くの作品がある。代表作は桃太郎神社(!)、五色園仏像群、愛知県各地の弘法大師像、そしてこのウォーランド武将像である。興味のある方はぜひお調べいただければと思う。

さて、その祥雲作品を堪能しようと思ってやって来たはずなのに、炎天下の坂道を上ってきて膝が笑っているし、加えて園内は屋根のない野っぱらである。ところどころにあるベンチも古ぼけていて座り込むにはちょっと勇気が必要で、ゆっくり見られなかったのは非常に残念なことであった。

いつか来ようと思っているうちにつぶれてしまうのでは、と心配していたが、ウォーランドの外には休憩レストランと日帰り温泉があり、ランドそのものもほとんど人件費をかけずに営業しているようなので、当面大丈夫そうな気配である。今度はもう少し涼しい時期に、ちゃんと車で来ることにしようと心に決めたのでありました。

ご興味がおありの方は、こちらに全国のB級スポット記事をまとめてあります。出張のついでに行った観光地というには変わった場所のレポート。

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浅野作品の数々、こんな感じです(このあたりは除草済)。ソーラー携帯のカメラで撮ってみました。

これまた有名な武田信玄の亡霊(関ヶ原当時はとっくに亡くなっています)。「ノーモア関ヶ原じゃ!」とおっしゃっています。後ろに見えるのは、除草作業中の軽トラック。