還暦はとうに過ぎて、これまで生きてきた年数より死ぬまでの年数の方が少ないに決まっているのだが、この歳になっても新たに知ることがあり、どうしてそんなことを知らなかったんだろうと思うことがしばしばある。
きっかけはNHKニュースで、中禅寺の新たな試みについて報じられたことである。一緒に見ていた奥さんが「行ったことある?」と訊くので、「ない。どこにあるかも知らない。中禅寺湖の近くにあるはずだろうけど」と答えたのである。
還暦はとうに過ぎて、これまで生きてきた年数より死ぬまでの年数の方が少ないに決まっているのだが、この歳になっても新たに知ることがあり、どうしてそんなことを知らなかったんだろうと思うことがしばしばある。
きっかけはNHKニュースで、中禅寺の新たな試みについて報じられたことである。一緒に見ていた奥さんが「行ったことある?」と訊くので、「ない。どこにあるかも知らない。中禅寺湖の近くにあるはずだろうけど」と答えたのである。
宝篋山から平沢官衙遺跡を歩いた日、遺跡の前にある北条大池を通って行った。この池は灌漑用に造られたもので、現在では桜の名所として賑わう場所ということである。
これまで全国のいろいろな所に行って来たが、いままで見た中で一番の奇観をあげよと言われれば、躊躇なく恐山をあげる。
恐山は本州の果て、下北半島にある。今ではあまり騒がれなくなってしまったが、イタコという人たちがトランス(憑依)状態となることにより、すでに亡くなった人と話ができるという「口寄せ」は、以前はそれなりの敬意をもって恐れられたものである。思うに近世以前は、霊能者とかシャーマンとかいわれるそうした才能を持った人たちが、必然的に集まるような場所だったのではないかと思う。
4月のギリヤーク鹿沼公演が夕方からだったので、その前に国宝・那須国造碑を見に行った。
那須国造碑は、多賀城碑、上野国多胡碑とともに日本三大古碑の一つとされ、日本古代史を考える上での重要なヒントとなるものである。碑文によれば8世紀初めに造られたものであるが、その後江戸時代まで倒れて埋もれていた(その点では多賀城碑と共通する)。これを元通りにしてお堂を建て保護したのが天下の副将軍・水戸光圀公である。
毎秋には紅葉狩りのドライブをするのがわが家の恒例行事だけれど、今年は忙しくてスケジュールを考える余裕がなかった。そうこうしている間に見ごろの時期は過ぎてしまい、うかうかしていると道路が凍結してしまう可能性がある。最後のチャンスになりそうなので、先週は日光に出かけてみた。
今年のGW前半はどこに行く予定もなかったのだが、山口補選の結果にもかかわらずガソリンの値上げが確実な情勢なので、遠出するとしたらいまのうちにしておきたい。というわけで、28日の月曜日は栃木県までドライブしてきた。
わが家から利根川を渡ると茨城県利根町、そのとなりが取手市である。ここから「下妻物語」で有名になった関東鉄道に沿って、国道294号線を北上する。結城市付近まで行ったら、今度は自治医大方面へ向けて西へ向かう。のどかな田園風景の中、細い道路を入ったところに下野薬師寺跡(しもつけ・やくしじあと)がある。
大原三千院の隣には、後鳥羽天皇・順徳天皇の陵墓がある。天皇陵ファンとしては、素通りする訳にはいかない。
ご存じのとおり、両天皇は承久の乱で鎌倉幕府に敗れて島流しに遭った。後鳥羽天皇(上皇)は隠岐島に、順徳天皇(上皇)は佐渡島にそれぞれ送られ、ときの天皇は「廃帝」として明治時代まで諡号(おくり名)がなかった。明治になって、諡号がないのはお気の毒ということになり、仲恭天皇となった。それまで600年以上、廃帝(九条廃帝)と呼ばれていたのである。
大原散策には2時間の自由時間があり、三千院ともう一つくらいのお寺さんを回る余裕があった。知名度では寂光院が抜群だが、残念ながら三千院から歩くと1時間近くかかる離れた距離にあるため、バスガイドさんから「寂光院に行くにはタクシーをうまく使わないと無理です」と言われている。
ということで、三千院近くにある勝林院に行くことにした。この日は観光客が少ない上、三千院を見た後、ツアーの人達は三々五々それぞれ興味のあるお寺さんに向かったので、勝林院に向かったのはわれわれ夫婦くらい。お参りしている間も2~3組くらいしか入って来なくて、たいへん静かだったのは何よりのことでした。
比叡山延暦寺の後、ツアーバスはそのまま比叡山ドライブウェイを北上する。弁慶が修業したことが売り物となっている西塔、源氏物語にも登場する横川(よかわ)を抜けて山を下りて行く。向かう先は大原。延暦寺東塔からは小一時間の行程である。
大原といえば、中高年には「京都 大原 三千院」の歌が自動的に出て来てしまうのはやむを得ない。オリジナルはデュークエイセスだったと思うのだが、あまりにも有名で数多くの歌手がカバーしているので、自信はない。作詞永六輔、作曲いずみたく、いずれも昭和の高度成長期のヒットメーカーである。
月はじめに、奥さんと京都の寺を歩いてきた。年齢とともにおっくうになって、今回はお手軽に観光バス。比叡山から大原をめぐるコースである。
京都に詳しい方はご存知のとおり、比叡山や大原は京都市街からちょっと離れていて、行くとなるとほぼ1日がかりになってしまう。それもあって、ずいぶんしばらく行かなかったのであるが、その両方を一度に回ってくれるのだから大変ありがたい。考えてみれば、比叡山に登るのは三十数年ぶり、大原にいたっては高校の修学旅行以来だから四十年ぶりということになる。