
老後準備編 後期高齢者まであと10年を切り、いまから準備しておこうと思っています。
いつまでも生きてる訳じゃないから
悪くない生活みたいに思える
昨年一年の生活を振り返って、山の前・後泊も泊りがけの旅行もできなかったと先週書いた。
現役時代は年に何度か海外旅行に行き、家族で泊りがけの旅行もし、出張前後の空き時間を利用して地方のいろいろな場所に行った。それを考えると、やりくりに四苦八苦して遠出することもできない年金生活は厳しい。
奥さんは「だったら働けばいいじゃない」と言うのだが、働くことは誰かのカネ儲けの手伝いをするのと一緒だし、ストレスで心身をおかしくするリスクは大きい。加えて、悪事に加担したりいい加減な仕事をして(サウナルームみたいに)関係ない他人に迷惑をかける可能性さえある。
海辺のカフカでナカタさんが、「頭が悪いので働き口がなく、アパートの小さな部屋に住んでいます。知事さんからホジョがあって、一日に三度ごはんも食べております」と聞いた野良猫のオオツカさんが、「そんなに悪くない生活みたいに…オレには思えるけどね」と感想を述べる場面がある。
夫婦2人なら部屋が余る家に住んで、寒ければ暖房暑ければ冷房が使えて、一日に三食食べられて、毎日お風呂に入れて、季節がよければ山に行き、ときどきマラソン大会に出られるいまの暮らしは、オオツカさんからすると悪くないどころじゃないだろう。
猫といえば、「吾輩は猫である」に出てくる迷亭氏や寒月君は明治時代の高等遊民で、どうやら働いていないようだ。実業家になればカネなんていくらでも稼げると言われても関心を持たない。研究をしたり演奏会をしたり、苦沙弥先生のところで暇つぶしするだけである。
漱石の、特に猫を読んで感じるのは、学問は実利や立身出世のためにするものではないということである。明治時代の旧武士階級という点で共通の福澤諭吉は、どうやらそう思っていたフシがある。それは現代の学問に対する姿勢に受け継がれているのだが、どうなのだろうか。
猫の登場人物のひとりに、鈴木藤十郎という男がいる。苦沙弥先生の学生時代の友達なのだが、先生の不倶戴天の敵・鼻の金田の手先でもある。友人連中では珍しく実業家になり、「街鉄の株なら数十株持ってる」そうである。
この鈴木氏を他の登場人物はあまりよく思っていないような書きぶりである。少なくとも、小説を読む限りそう感じられる。つまり漱石自身が、学問をカネ儲けに利用するような連中をよく思っていないということである。
夏目漱石がそう思っていたからすべて正しい訳ではないが、カネ儲けしか頭にない連中は志が低いと思う。カネ儲けしか頭にないJリーグが、地方自治体に志が低いと言って物議を醸しているが、志が低いのはどう考えてもJリーグである。
それはそれとして、漱石の描く明治の高等遊民の生活といまの私は、かなり似たところがある。生活するためにはおカネが必要だが、生活に必要のないカネを無理して稼ぐ必要はない。オオツカさんからみて悪くない生活ならば、無理してストレスを増やすことはない。
[Jan 12, 2026]
オオツカさんは中野区に住む野良の黒猫であるが、猫と話ができるナカタさんに話しかけられる。名前はないので、オオツカさんと呼ばれてしまう。

いつものペースで生活する方がいい
牛久シティマラソンが終わって、新年のイベントが一区切りついた。例年思うんだけど、年末年始とかお盆とか、普段の生活ペースをくずすような時節は苦手である。できれば勘弁してほしいと思う。
昔のことを思うと、正月といえば銀行もスーパーも三が日は必ず休んだし、私が住んでいたところは生協が7日まで休みだった。それに比べれば、いまやATMが年中無休で動いているし、コンビニも同様。スーパーは2日からやっている。生活の不便は相当に減っている。
とはいえ公共施設はいまだ20世紀のままで、図書館もスポーツジムもなかなか始まらない。図書館こそ6日火曜日に再開したが、スポーツジムに行けたのは先週の水曜日である。
私は毎週水曜に行くことにしているので、前回から半月、間隔が開いた。ダンベルやマシントレーニングでいつもの重量が重く感じたけれど、幸い筋肉痛になることはなかった。これが3週間開くと、たいてい筋肉痛になる。
スポーツジムに今年初めて行って、ようやくいつものペースで生活できるようになった。リタイアして会社に行かないから、こうやって自分でスケジュールを作って管理しないと、リズムが狂ってしまう。
脳の働きは不思議なもので、前日、前の週、前の年と同じことをしていると安心するし、イレギュラーになると調子がよくない。脳のどこかでアラームが鳴って気になるし、その結果ストレスが増す。そのままにしておくと血圧が上がり、胃腸もおかしくなるし、よく眠れなくなる。
かれこれ二十年以上、毎朝の体重、血圧、体調をスプレッドシートに入れて管理している。どこかに変調を感じると前の記録を読み直して、どうしてそうなったか考える。現役時代であれば過労や職場の気苦労、飲み過ぎが体調を崩す原因だったが、リタイア後はそうしたものがなくなった。
半面、生活のリズムが狂うと、体調にはいい影響を与えないようである。飲むもの食べるものもそうだし、日々のルーティーンもそうだし、トレーニングも同様である。同じような毎日を送って体調が良ければ、できる限りそれを続けるのが賢い方法である。
[Jan 19, 2026]
年末年始は公営ジムがお休みになり、しばらく間隔が開いて勝手が違った。2週間だったので筋肉痛にならなかったものの、3週間だとたいてい筋肉痛になる。

いつまでも生きてる訳じゃないから
総選挙で自民党が戦後最大の圧勝で、日本の舵取りは当分女・安倍ということになる。正直なところ、積極財政の行きつく先は国債の暴落と国家財政破綻だから、いずれ年金制度も成り立たなくなるだろう。問題は、それがいつ起こるかということになる。
自分自身まだ40~50年生きるのであれば、それなり真剣に考えなくてはならないけれども、年齢的にあと10年とか20年の話である。国が財政破綻するのがそれより後か先かは微妙なところで、先の事であれば心配しても仕方がない。生きていなければ選挙権もない。
われわれ世代の政治家といえば、石破茂や野田佳彦、少し上に小池百合子がいる。TVで見るとみなさんどんどん歳とっていて、もう引退した方がいいんじゃないかと思う。小沢一郎は落選したけれど、麻生太郎はまだやるつもりのようで、きっと百まで生きるつもりなのだろう。
昨今の諸物価高騰、エネルギー価格の上昇により、ここ2~3年急速に生活が苦しくなっている。コロナの前には四国お遍路をしたり、まだいろいろ旅行することができたが、いまや生活費で手一杯である。一昨年のように耐久消費財の買換えが重なれば、ローンやリボで工面せざるを得ない。
ローンもリボも実際は借金で、年率20%近い金利を負担することになる。金融機関はそれが収入源なのだが、それ以上に国債が値崩れしているので財務状況は苦しい。この先、実質金利はさらに上がる可能性が大きい。
だから、ローンやリボはできるだけ減らすように四苦八苦しているのだけれど、よく考えると死んでしまえば残債を整理するだけで、資産は少ないけれど債務よりは若干多いので、多少残ったとしても奥さんや子供に迷惑をかける可能性はあまりない。
60過ぎると生命保険はほとんど出ないけれど、それでも100万200万はあるから、家族葬して残債を整理して、遺品整理サービスを頼むくらいはできそうだ。遺品といってもかさばるのは本くらいなので、無料で燃えるゴミに出せるかもしれない。
それこれ考えると、ストレスをためて残債を減らそうとするより、できる範囲でのんびり過ごす方がいいかもしれない。カード会社だって返せない額をリボできる訳じゃないだろうし、最終的にはローンのない家があるから何とかなるだろう。
いつまでも生きている訳じゃないから、生きている間はできるだけストレスを減らす方向で考えるのが、心身の健康にいいような気がする。
[Feb 16, 2026]
年金はインフレで実質支給額を減らす制度だから、歳をとるごとに生活は苦しくなる。とはいえ、ローンのない家があって、年金で何とか暮らせるのは恵まれていると考えるべきだろう。

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