上青柳・月折山 [Mar 16, 2026]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
真壁駐車場から羽鳥道というコースをこの冬3度歩いた。まだ宿題は残っているものの、同じ場所ばかりでも仕方ないので、今回は別のコースを歩いてみた。
目星をつけていたのは、昨年一度行った朝日里山学校。ここは朝日トンネルを出てすぐの場所にあり、土浦インターから比較的近い。筑波稜線の西側は何度も歩いたが、東側はそれほど歩いていない。ゆりの郷にもつくばウェルネスにも行きやすいので、ここをベースと考えていた。
そして、先日ネットを見ていたら、ここをスタート/ゴールにして石岡トレイルラン大会というレースが開催される。GWの開催で、エントリーはすでに終わっているが、10km、20km、45kmと長短のコースが設定されている。
将来この大会に出ることになるかもしれないし、掲載されたコースがどんな道なのか実際に見てみたい。トレランコースだから、歩くには問題ないはずである。10kmコースを下見しながら、その近くにある三角点峰・月折山(つきおりさん)を目指す計画を立てた。
3月16日月曜日、6時前に家を出発。11日のカード締め日を待ってガソリンを入れたら、次の日からリッター40円値上げされたのには驚いた。節約の観点からも地球環境保護の観点からも、できるだけ近距離で済ませることが望ましい。宝篋山や里山学校は、家からもっとも近い筑波山系である。
7時半前に里山学校到着。朝日トンネルあたりから雨が落ちてきて、駐車場に着いた時には傘なしでは濡れてしまう状況だった。予報では晴れるはずなので、ゆっくり支度しながら車の中で待機。しかしすぐ止む気配もなく、折り畳み傘を広げて差しながら歩き始めた。
朝日里山学校に着いた時は雨。しばらく傘を差しながら歩く。
トレランコースは里山学校を出てすぐ辻交差点に出ず、朝日トンネル方向に進む。1車線の車道で、普通にマラソンコースである。トンネルの高架をくぐって西側に出る。そこから辻方向に逆戻りするのだが、舗装道路を進むと交差点に出てしまった。トレランコースは未舗装道路だったらしい。
小野越方向に進み、「薬師古道」の案内にしたがって右折。ところが集落の中はたいへん狭く分かりづらい。犬に吠えられて民家だと勘違いし、スマホでいちばん太い道を探して進む。実はトレランコースは民家に入ったように思われた場所だったが、墓地の脇の細い道を歩いてなんとか復帰した。
薬師古道に入ってからは分かりやすい。それも道理で、道の両脇に八郷町の境界杭が打ってあるから、ここは町道(現在は市道)である。稲荷神社を過ぎ、右に薬師堂の道を分け、登り坂はさらに続く。頂上付近に巨石と竜神様の祠があり、そこから道はゆるやかに下って行く。
トレランコース案内図にはあまり迷い様もないように書いてあるのだが、実際は分かりにくい。両方とも細い山道の分岐で、そろそろ集落だからどっちを通っても同じと思い左の道を行くと、意外にも先が長かった。それでも道幅のある林道に出て下っているから、行先は上青柳集落のはずだ。
実は、さきほどの分岐は右に行くのが正解で、左もトレランコースではあるが集落からの帰りに通る道であった。里山学校から集落まで5kmのはずなのに、6km近くなっても林道を歩いているからおかしいとは思っていた。
それは後から分かったことで、その場では麓まで下って集落が見えてきたので安心した。道の横に「青柳林道」と書いてある。そして目の前にはのどかな集落が広がっていた。
トレランコース2km過ぎまではロード。ここからいよいよ山道となる。
山道を登り切ったあたり、巨石の下に竜神様の祠があった。
上青柳は、朝日里山学校からひと山越えただけなのに、のどかなのんびりした集落である。
車なら朝日トンネルを出て10分ほどと思われるが、2車線道路がない。走っているのは軽トラばかりで、30分歩く間に自販機をひとつも見なかった。トレラン大会ではこの地区にエイドステーションが置かれるが、どこなのかよく分からなかった。
江戸時代に当地区の本家だった羽生家の棟門が、遠くから分かるくらい威容を誇っている。屋敷は焼けてしまったらしいが、大きな家だったろう。その門の前を山の方に進む。道は入り組んでいて、どれが月折山に行くのか分からない。まっすぐの道は、山裾の人家までのようだ。
月折山は集落の裏手、右側の峰である。すぐ左に同じくらいの峰があるが、1/25000図の218ピークだろうか。いずれにせよ道は山の背後から頂上付近に通じている。ここはトレランコースでないので、自分で道を探すしかない。
スマホで林道の配置を確認すると、墓地の横を上がっていく道がそれらしい。傾斜はずいぶんきついが、墓地を抜けても電線が続いている。これで正しいようだ。その後もスマホを頼りに進む。近道と思われる未舗装道もあったが、網で封鎖してあって通れない。結局、舗装道路を大回りする。
「通行止」の看板が道の横によけてある最後の家を過ぎると、筑波山系名物滑り止めコンクリ道になる。傾斜はかなりきつい。標高差200mだからたいしたことはないと思って登るが、なかなか峠まで行かない。何度もスマホで現在地を確認する。
何度目かのスイッチバックで左手に小高いピークが見えてきた。あれが月折山のようだ。坂道は依然として登り続ける。とうとう、分岐のある場所まで来た。左に折れる林道には、通行止のガードがしてある。右に折れる道には「全面通行止」の看板。ただしガードはない。
スマホでも1/25000図でも、このあたりが三角点である。三角点は林道から少し入った場所にあるのだが、はっきりした踏み跡もテープも見当たらない。そして、何度も現在地を確認したためだろうか、まさにこの時、「もうすぐ電池切れ・残量6%」とスマホに出てしまった。
スマホはあきらめて、踏み跡らしき道を進む。だが、行く先々で笹薮が立ちふさがり、さらにはバラのような尖った枝で痛い思いをする。いつの間にか、軍手を落としてしまった。戻ろうとしたが、さきほどと違う道のようだ。
どうやら迷ってしまった。近くに丸太を横にしてある場所があったので、ここで休憩することにした。里山学校を出て以来、ここまでまったく休む場所がなかった。こういう時はいったん腰をおろして、クールダウンするのがよかろう。
山道を登って下って、上青柳の集落に出た。集落内に自販機ひとつ見当たらないのどかな雰囲気。
こちら羽生家棟門は、集落の本家にあたる屋敷のもので、石岡市(旧八郷町)の史跡となっている。
右が月折山と思われるが、いったん背後に回って林道を登る。
丸太に腰かけてお昼。例によってテルモスでインスタントコーヒーと、ランチパック。食べていると、樹間から太陽の光が差し込んできた。
朝方は雨で、止んでからも薄曇りだったのでこの日はじめてだったかもしれない。影は前にできている。いま11時だから正面はほぼ北になる。
林道に戻ろうとして、ここまでは右方向に進んでいた。正面が北であれば右は東。林道は三角点からは西ないし南。東に進んだらさらに森の奥深くに入ってしまう。三角点を探している間に、どうやら方向を失ってしまったようだ。
いったん腰を下ろして落ち着いたのは正解であった。林に入って5分も進んでいないから、正しく西に進めばそれほど時間もかからず脱出できるはずだ。荷物を片付けてリュックを背負う。
まず、もと来た方向に進み、なるべく薮でない、はっきりした踏み跡を辿る。探すと樹間が開いている場所もあるが、笹薮だらけで踏まれた気配はない。西と南を意識して進んでいくと、3~4分でガードレールが見えた。登って来た林道に出た。
国有林なのでちゃんと地図がある。帰って調べてみると、いつも頼りにしている境界見出票は三角点周辺にない。つまり三角点に管理道は通っていない。WEBを見ても笹薮の中に埋もれている様子で、「山」印のように目立つものはないようだ。私には難易度が高かったようである。
分岐に戻り、薮に進入した地点を通り過ぎて赤テープのある登山道を下る。道は右左に何度もカーブして標高を下げていく。一度登り返してまた下り、2kmほど歩くと太い林道に合流した。
そのつもりで歩いた訳ではないが、ここは45kmコースの一部で、林道と合流すると10kmコースとも重なる。期せずしてトレランコースを歩いていたことになる。すでにスマホの電池はないので現在地が確認できない。仕方がないから安全策で麓に下りる道を選ぶ。
すると上青柳集落に入るちょっと前で、ここは朝歩いた道だと気が付いた。結局、集落を一周して戻って来たのである。さらに、朝日里山学校に戻るにはフラワーパークのそばを通るべきところ、いちばん太い道を進んだらゆりの郷近くまで行ってしまった。
ちゃんと現在地が確認できていれば、約4km、1時間早く戻れていたはずである。スマホのGPSを頼りにするから、こういうことになる。そして、最近はバッテリーがへたってきて、すぐに電池を消耗してしまうのである。
山の常道として、そもそも1/25000図で歩かなければならない。スマホは便利だけれど、頼り過ぎると今回のように痛い目をみる。集落に近い里山でよかったし、1時間程度の被害で済んだのはラッキーと言わなければならないだろう。
この日の行程
里山学校駐車場(30) 7:45
8:55 竜神(160) 8:55
9:40 上青柳集落(60) 9:55
10:50 月折山(299) 11:20(昼食)
12:20 上青柳集落(60) 12:25
14:15 里山学校駐車場(30)
[推定距離 20.1km]
[Apr 23, 2026]
林道をひたすら登る。左手のピークが月折山のはずだが、三角点に至る道が分からない。
曲がってもまた登り坂が続く。三角点を目指して笹薮を右往左往し、結局登り坂の途中に出てしまった。
三角点付近の分岐。国有林の看板がある。侵入禁止ゲートの左に登山道が続く。右にコンクリ道が続くけれど、「全面通行止」の看板がある。
今年もクマ出没続く
冬から筑波山のシーズンで、今年は竜ヶ井城と石岡トレランコースを何回か歩いた。だがこれからの季節、筑波は蜂や虫が多くあまり快適とはいえない。例年、夏から秋にかけては日光・尾瀬などに向かうことが多かった。
しかし昨年来、クマが市街地をうろうろする例が頻発している。襲われて亡くなった方、いまだ行方不明の方もいる。行政もようやく重い腰を上げて、緊急銃猟や警察官のライフル使用など駆除に舵を切ったけれど、遅きに失した。これまで麻酔で眠らせて山に戻していたから、人間を恐れないのである。
この春は京都南丹市事件ばかりであまりニュースをやらなかったが、実は各道県でクマが出まくっている。市街地に出てくるのは、人里に行けばおいしいエサがあることを学習したからである。秋田、岩手、宮城、福島ですでに出没情報、人身被害が続出している。
福島まで下りてくれば、すぐに那須、尾瀬、日光、塩原である。クマにとって山続きだから、県境は関係ない。さすがに水戸線、東北線を越えて筑波山系には出現していないが、茨城県北部や宇都宮周辺には出てきておかしくない。
尾瀬や日光塩原には昔からクマがいたけれども、人を怖がらず平気で出てくるのはここ2~3年である。熊鈴や笛がクマ対策とされるのは、クマが人間を怖がって逃げたからである。最近のクマは逃げない。関わり合いになると殺されると学習しないからである。
動物愛護の人はクマとの共存とか棲み分けとか綺麗ごとを言うけれども、野生動物は腹が減れば食糧を求めて何でもする。クマに言葉が通じると思う人は、襲われて食われてしまえばいいのである。人里に下りてきたクマは駆除するのが常識にならない限り、危ない場所には近づけない。
山歩きを再開したのが2012年。以来約15年、奥多摩、日光、尾瀬、地元の房総・筑波を中心にいろいろな山に行き、山小屋にも何度か泊まった。ただ、山の良さはひとり静かに味わうものと考えているので、誰もいない山に行くことが多い。こういう人間は、クマにとって餌食となる相手である。
もちろん、必ずクマと遭遇する訳ではないし、襲われない可能性の方が高い。とはいえいるのは確かなのだから、絶対遭わないとはいえない。そんなに簡単にクマは出ないと思う人は行けばいいと思うが、ポーカーで52枚中出てはいけない1枚が出るのは当り前である。確率の問題ではない。
[Apr 28, 2026]
小町の里から朝日峠越え [Apr 12, 2026]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
前回はスマホが電池切れになり、現在地が分からなくなって三角点も見つからず、適切なルートも探せずに敗退した石岡トレランコース、4月12日に再度挑戦を予定していた。
電池切れを回避するため予備のバッテリーを持ち、行動中は機内モードにして消耗を防ぐとともに、前回よりきちんと下調べもして当日に臨んだ。行動開始時間も早め、午前7時には里山学校に着いた。
ところが、同じように里山学校に向かう先行車が、校庭(駐車場)の入口で引き返している。はて、なんだろうと思ったら貼り紙。「本日はいちご祭りイベントのため、一般の方は利用できません」
何ということでしょう。言われてみると普段誰もいないトンネル出口の駐車場がほぼ満車で、サイクリングの用意をした連中が支度している最中だった。里山学校に行けばトイレも自販機もあるのにと思っていたら、こういうことだったのだ。
校庭に入れないので待つ場所もない。思いつく選択肢は2つ。1つはフラワーパーク駐車場だが、3km歩かなければならないのと、まだ開園前で駐車場はおそらく閉まっている。となると、トンネルを戻って小町の里である。朝日峠を越えるのは億劫だが、一番近いし安全である。
筑波山の東側はこういうことがあると、駐車場がほとんどないことがネックである。仕方なく小町の里に行くと、登山者駐車場がすでに半分埋まっていた。
計画では、里山学校から小野越、仏生寺と西に山裾に向かい、いちばん奥の中山集落に向かう予定であった。しかし距離も分からず登り傾斜でもあり、どのくらい時間がかかるのか見当がつかなかった。石岡トレラン大会では、フラワーパークからぐるっと回って17km地点になる。
中山集落から山道を登れば、前回三角点が見つからなかった月折山付近に出る。そこまで行きたいと思っていたけれど、思わぬ事態でさらに時間が読めなくなった。まず朝日峠まで登り、辻まで下ってようやく里山学校である。せっかく早く来たのに、とんでもないことになってしまった。
朝日峠への登山道入り口に「倒木があり通行できません」と貼り紙があった。ただ、トラロープで通せんぼしていないし、このルートは方々に抜け道があるので全部通れないことはなさそうだ。実際、特に危険個所もなく展望公園まで登ることができた。
朝日峠のベンチで一息ついて作戦を練り直す。ここまですでに50分近くかかっている。下りを1時間、辻から中山まで1時間で行けるとして、その時点ですでに歩き始めて3時間近い。月折山まで回るのは難しそうだ。
中山からトレランコースのロードを登ると、エイドステーション予定の山小屋カフェがある。無難な目的地はこちらかもしれない。それでも、小町の里に戻れるのは午後2時とかそのくらいの見当になる。
まず、辻へ向かう下り。かつての峠道だが、スイッチバックが続きなかなか高度が下がらない。まだ午前9時前というのに、すでに疲れてきた。休憩場所がないのは、里山学校から登った時に分かっている。ようやく集落の建物が見えてきたのは、朝日峠から1時間歩いた後だった。
ショートカットして西方向、小野越に向かう道へ。舗装された道だが、1.5車線。センターラインのない道路である。それなりに車通りはあるのだが、大型車が通ることはない。真新しいフィッシングセンターを過ぎるあたりから、だんだん傾斜がきつくなってきた。
イベント中のため里山学校が使えず、戻って小町の里に駐車。
40分かけて朝日峠に登る。思わぬ時間がかかってしまったが、下りはさらに時間がかかり早くも撤退に向けて気もそぞろ。
長い下り坂の峠道を歩いて、ようやく辻交差点の近くまで来た。計画通りであれば、ここは歩き始めに通ったはずであった。
仏生寺集落は果樹栽培の畑があり、ミカン狩りの案内看板が目立つ。ここは仏生寺というお寺が集落名になったと推測していたが、あるのは北向観音堂。奈良時代に行基が開き、平安時代に小野小町がお参りした伝説がある。車を止めた小町の里がある小野集落は、稜線を挟んで南側になる。
時間が読めないので北向観音へのお参りは日を改めることにして、中山集落への道を急ぐ。ここで失敗したのは関東ふれあいの道を選んでしまい、しばらく違うルートを進んだことであった。
急な上り坂なので地図を確認したところ、関東ふれあいの道は不動峠に直行するのであった。引き返して正規のルートをとる。仏生寺集落の奥は標高が数十m上がって中山集落となるが、集落間は山林で急坂である。不動峠直行の道より若干緩く、舗装がしっかりしているだけである。
仏生寺までは田畑も果樹園もあって農業集落の趣きであったが、仏生寺を過ぎるとこの先に人家があるのだろうかと思うほどだった。センターラインも路側帯もない1.5車線である。
かつては朝日トンネルもなく、筑波スカイラインもない。中山集落から不動峠あるいは南峠を越えて真壁に出るルートはあっただろうが、峠越えに2~3時間は要する。しかも舗装道路ではなく山道である。しばらく進むと、ようやく中山集落の人家が見えてきた。
石岡トレランの注意書きがある道が、月折山から下りてくる道と思われた。しかし、この日は小町の里に駐車してしまったので、方向が180度違う。ここを登る予定だったが、時間が足りない。ゴミステーションがあるので石岡市の収集車が週何回か巡回しているようだ。その横を登るコンクリ道がトレランで使うコースである。
傾斜はこれまで以上にきつく、ロードではあるが普通のマラソン大会では使わないような道である。息を切らせて登ると、上からトレパンとシャツのランナーが軽快な足取りで下りてきた。一人通り過ぎるとまた一人。2週間後に迫った石岡トレラン大会の準備である。
トレランというと細い山道の足場もないようなところを走るイメージであるが、これだけ傾斜があると舗装道路とはいえそれなりのトレーニングが必要にある。箱根駅伝の山登り山下りと同じである。トレランコースで実際練習しているランナーを見て、うれしくなった。
練習中のランナーとすれ違っても、まだまだ坂は続く。右手にトレイルへの分岐があるはずなので注意して進むが、薮の中へ進む踏み跡しかない。いくらなんでも、ここがコースということはない。
坂が下りになる頃になってようやく、右手に登る坂が見つかった。トレランコースの注意書きがあるので、ここを登って行くのだろう。左に2軒ほどあるのは別荘だろうか。しかし、トレランのエイドステーションらしくない。
下り坂を少し進むと、もう一度トレランコースの分岐と、道路に向かって開けた大きな建物が現れた。結構新しい建物だが、山小屋カフェの看板らしきものは見当たらない。ただ駐車場の一角に、エイドステーションの準備と思しきテーブルや椅子、備品が積んであった。
仏生寺集落を過ぎると、この先に人が住んでいるのかと思う山道になる。舗装されているが傾斜は急だ。
山中集落のゴミステーションの横を登る道が、石岡トレランのコース。トレーニング中の何人かのランナーとすれ違った。
林道の頂上付近に山小屋カフェと思しき建物があったが、看板はなくWEBの写真とも違っている。ただ、駐車場にトレランレースのエイド準備らしきテーブル等が置いてあった。
エイドステーションらしき一帯からの細い道がトレランコースだが、コースに沿って何軒かログハウス風の建物が見える。かなり傾斜があって、標高差はすぐ先の建物と歩いている林道とで10m以上ある。
もう時刻は10時半。出発してから3時間半、朝日峠で休憩してから2時間半以上である。休まずに今すぐ来た道を戻っても、午後2時になる計算である。しかも朝日峠への登り下りがある。
それよりも、もう半分以上登っているのだから不動峠に出てしまった方が早い。その先は何度も通った道だし、不動峠まで行けば休憩所がある。中山集落まで下り、さらに仏生寺から辻まで戻ろうという気にならなかった。
不動峠へは、このまままっすぐ進めばどこかで関東ふれあいの道と合流する。しかし、道はずっと下っている。下るということは登り返しになるということだから、やっぱり同じ高さを登らなければならないのかと少し不安になる。
いままでの一角は別荘地らしかったが、下り坂は再び山道になる。どこまで下るのかと思ったあたりで、向こうから来た道と合流した。カーブが連続したので、見通しか利かないだけであった。ここから再び登って、不動峠を目指す。
不動峠への登りで、またトレラン練習中のランナーとすれ違った。不動峠休憩所の石碑の向こうが休憩所。例によって自転車組が大勢登っている。ベンチに座って久しぶりの休憩。もうテルモスの陽気ではないので、常温の水とコモのチョコパン。久しぶりに座ってゆっくりした。
前に不動峠から歩いたのは、宝篋山の分岐までだった。立札がうるさいので最近ご無沙汰だが、この日もゲート前に2台駐車していた。ここに止めて宝篋山が、いちばん歩きやすい。手前のパーキング跡の閉鎖はバイク集団が来てしまうので仕方ないのだろう。
ここからはサーキット退避路ができていて、すぐ横を100km/h出して飛ばす連中がいないので安心して歩くことができる。以前、誰か退避路の管理を手伝ってもらえないかという貼り紙があったが、なくなっていた。おそらく国有林管理署からクレームが出たのだろう。
鬼越山を過ぎ小町山まで、県道(パープルライン)と並行して通っているのは国有林管理道である。県道に歩道がなく30km制限を100kmで走る車ばかりなので、以前から歩道として使われている。管理道というよりはっきりした林道だが、本来は行政がちゃんと歩道を作るべきだろう(有料道路でなくなっても一般県道である)。
小町山まで約1時間退避路を歩き、小町の里への登山道を下る。朝日峠を登り下りするより楽だったのは間違いないが、それでも朝から結構歩いたので疲れた。後からガーミンを見ると、上青柳からゆりの郷近くまで歩いた時と同じ21kmになっていた。
この日の行程
7:40 朝日峠展望公園(301) 7:50
8:55 辻集落(30) 8:55
10:05 中山集落(155) 10:05
10:35 中山開拓地(241) 10:35
11:05 不動峠(300) 11:25(昼食)
12:25 小町山(325) 12:25
13:15 小町の里(40)
[推定距離 20.1km]
[May 14, 2026]
山小屋カフェまで登ってしまうと、とても辻まで戻って朝日峠を登ろうとは思わなかった。不動峠なら登りは半分で済む。休憩場所もある。
不動峠から小町山まで約1時間。ここまで来てしまえば小町の里へは下るだけである。
中山開拓・拓魂碑 [Apr 29, 2026]
この図表はカシミール3Dにより作成しています。
この春は雨が多かった。冬の間ほとんど雨らしい雨は降らなかったのに、暖かくなってまとまった雨が何回か降った。
雨が降ると山に行くのは延ばそうという気になる。道が水浸しなのも嫌だし、雨上がりは虫が多い。そうしているうちに、ゴールデンウィークになった。この時期は混むので、できれば動きたくない。しかし、GWが終わるとさらに暑くなって、筑波山系を歩くには厳しい季節になる。
今シーズンのうちに行っておきたい場所があった。3月から続けて歩いている石岡トレランコースである。前回は里山学校がイベントで使えなかったため、予定どおり歩くことができなかった。前の週にトレラン大会は終わっているけれど、今の内なら歩けない状態にはなっていないはずである。
4月29日、昭和の日。できれば連休に出たくなかったが、周期的に雨降りでこの日になった。連休メインの5月2~6日ではないし、人の多い表筑波でないのが救いである。だが、早朝歩き始めて昼には下山しないと、道が混んでしまう。
5時前に家を出た。県境も6号線も特に混雑はなく、スムーズに朝日トンネルを通過。里山学校到着は家から1時間半。前のときのように、イベントで閉鎖ということもなく、旧校庭に1番で駐車。6時半過ぎにはスタートすることができた。
混雑はなかったものの、土浦市内からフロントガラスに雨粒が当たる。この日の予報は曇りで、遅くなると降り出すかもしれないということだったが、いきなりである。リュックの中には雨具とレインウェアも用意してある。折り畳み傘をすぐ取り出せる場所に準備した。
まず一番奥にある中山開拓を目指す。直接行くのは初めてだが、過去2度歩いたので道は見慣れている。かつて仏生寺や中山に住んでいた小学生は、この朝日小学校に通ったはずである。当時はスクールバスがない。小学生に通える道なら、私でも歩けるだろう。
辻交差点を渡り、菖蒲沢集落から小野越集落と水田に囲まれた1.5車線を歩く。朝一番で体力には余裕があり、ゆるい登り坂だが苦にならない。フィッシングセンターには朝早くから車が何台も駐まっていて、みんな釣具のチェックをしていた。
仏生寺集落、北向観音堂の駐車スペースまで約40分。案内をみると、観音堂は左手のあぜ道を進むようで舗装道からは見えない。余裕があれば帰りに寄ることにしよう。T字路を右へ。谷筋に低木が整って植えられているのはみかん畑に違いない。収穫用のレールが見えた。
仏生寺から中山への道は、にわかに傾斜がきつくなる。そして、仏生寺集落まで道に沿って水田があったのだが、ここから先は両側森林である。国有林管理道らしき分岐があり、人が住まなくなって相当経つ廃屋があった。その少し先が山中集落。ここまで約1時間。
集落入口のゴミステーションで分岐があり、右の道はアスファルトで集落の奥へと続く。左はコンクリ舗装で、ここが山中開拓への急坂である。前回は朝日峠登り下りの後でかなりバテていたが、この日はまだ序盤。休憩せずそのまま登ることができた。
3日前にトレラン大会は終わっているのに、2人のランナーが相次いで下ってきた。普段から、トレーニングコースとして使われているらしい。それらしき駐車車両は見なかったが、不動峠あたりで路肩に止めているのか、あるいは平沢に止めて峠越えしたのだろうか。
GW中なので早朝に家を出て6時過ぎに里山学校着。この日はスムーズに辻交差点から小桜川をさかのぼることができた。小雨で眺めは開けない。
40分かけて仏生寺集落へ。山の斜面が開けているのは、みかん畑のようだ。このあたりから道の傾斜がきつくなる。
1時間で中山集落。左手に見えるコンクリ道が中山開拓への坂道。いまはスクールバスだが、かつて子供達は歩いて朝日小学校に通ったはずだ。
中山開拓は、正しくは小幡開拓というらしい。中山は集落名、小幡はかつての村名である。江戸時代には筑波山への宿場町だった。第二次大戦後、満州等からの引揚者の受け入れ先として国有林を提供した土地である。
満州・朝鮮半島をはじめ、敗戦により家も土地も仕事も奪われ、着の身着のままで帰国した引揚者は数百万人にのぼる。その人達をどこに住ませて何の仕事をしてもらうか、政府にとって喫緊の課題であった。
本来は時間をかけて調査し準備すべきところ、引揚船で次々戻ってくるので時間的余裕はない。役人仕事が場当たり的なのは昔もいまも変わらない。進駐軍の指示により農地改革も予定されていて、耕作可能な土地を引揚者に割くことも難しかった。
結局、旧軍用地や国有林、耕作に適さない北海道・東北の土地を引揚者用としたのである。もともと耕作に適さない土地が多かったから、北海道のパイロットファームなど一部事例を除いてほとんど成功しなかった。
筑波山麓の中山開拓も急斜面で耕作の難しい土地で、開拓者の方々もたいへん苦労された。二十家族ほどが入植したが、数年後にはほとんどの家族が離農したという。ブラジルに渡った人達もいたという。
しかしながら、朝日トンネルの開通により、土浦市街まで車で20分ほどと便利になった。子供・孫世代がここを別荘として利用するようになり、いまではかつての生活道路がトレランコースとして有効活用されている。
石岡トレランコースを最初に歩いた時は、そういう歴史のある地域ということは知らなかった。中山集落よりかなり登ったところにログハウスや別荘風の建物があるものだから、別荘地としてバブル頃に開発されたものだと思っていた。
「拓魂碑」は最後に残った細野喜平氏が亡くなった後にその功績を記したもので、開拓地のもっとも上、標高297mの独標付近に建っている。ここには細野氏の拓いた茶畑や製茶工場もあったが、残念ながら自然に還りつつある。
旧中山開拓への坂道を登ると、峠付近に右に登る山道がある。ここがトレランコースで、ランナーがすれ違う幅もないので大会の際は一方通行である。山道はトレランで使うので下草は刈ってあるが、傾斜は急である。
10分ほど登ったところに、平らに開けた土地と、それほど古くない山荘風の建物があった。誰も住んでいないようだ。あるいはここが、開拓者で最後に残った細野氏のお住まいかもしれない。昭和54年というから、私が就職した前の年に亡くなり、その後は奥様が十年間維持されていたという。
そのあたりの経緯が、建物から5分ほど登った場所の石碑に記してある。低地に向かって「拓魂」の二文字、裏面に「細野喜平の歩み」。おそらくトレラン大会時に清掃しているのだろう。保存状態はたいへんよかった。
そして、この石碑のトレランコースを挟んで逆側には、例の「境界見出票」があった。すぐ横が現役の国有林なのである。つまり、国有林を払い下げた土地の境に、拓魂碑は建っている。下は急斜面で、伸び放題の草がなければ壮大な眺めだったと思われる。
ここに、細野氏の拓いた茶畑があった。製茶工場もあり、刈入れ時期には静岡から職人を呼んで製品化していた。職人用の宿舎もあったという。時刻は8時過ぎ。里山学校から1時間半。子供達には厳しい通学路であっただろう。
石碑の奥へも山道は続く。かつては開拓地の生活道路だったはずだが、いまは国有林管理道としてしか利用されていないようだ。そして、トレランコースが左に分岐した後は、下草も刈られていない踏み跡となる。管理道は、パープルラインまで続いているはずだ。
ここでトレランコースを下る。傾斜は登ってきた道よりさらにきつい。しばらく下るとログハウス風の建物があり、WEBにあった山小屋カフェはここらしい。仏生寺山(南峠三角点)、婆ヶ岳、そして筑波山を望む雄大な景色である。すぐ下で林道と合流する。
舗装道路から山道を登る。かつてこの上部に集落があった。いまはトレランコースとして活用されている。
標高差50mほど登ったトレランコースの左手に、細野氏の業績を記す拓魂碑が建つ。谷側には、かつて細野氏の拓いた茶畑があった。道の右はいまも国有林。
細野氏の拓いた土地を望み「拓魂」と刻む碑が建つ。奥様が建てられたもので、八郷町の石材店が製作した。裏面には細野氏の業績が記されている。
トレランコースを林道まで戻ってきた。YouTubeを見ると林道に出た場所に給水所のテーブルがあるが、参加者数からみて狭すぎるので、右手の山荘風建物の駐車場をお借りしているのかもしれない。コースはここから林道を中山集落まで下る。
私の帰路は、逆方向へ不動峠に向かい、県道と合流して仏生寺に戻る道を下る。中山集落への道は2度歩いたし、1/25000図で見ると直接仏生寺に下る方が近いように思えたからである。
ここは関東ふれあいの道で、祭日なので自転車が何台も通る。こちらは下りだが彼らは登り。ちょっときついが、パープルラインまで登ればあとは高速で飛ばせる。100km暴走車には気を付けなければならないが、ここはサイクリストの聖地でもある。(ツールドつくばも、今年復活した)
自転車とすれ違いながらのんびり下る。途中に山道との交差があり筑波国定公園の案内図があるが、山道は中山開拓まで続いていて、この上にも戦後開拓の跡があるようだ。ということは、おそらくいま通っている県道が通学路で、朝日小学校まで通った小学生が歩いたのだろう。
60年前、私が小学校低学年の頃、住宅地より農家の子供の方が多く、小学校まで1時間かけて通う子は珍しくなかった。当時は学習塾もなければ習い事もない。スイミングスクールなんて影も形もないから、学校が終われば子供は家に帰るだけである。
だから奥多摩の山奥にも集落があって、麓の学校まで通っていた。親も仕事があり、農家であれば遅くまで外で働いているから、学校への行き帰りで時間がかかっても構わない。むしろ子守りをしないですむから、学校に行ってくれた方がよかったかもしれない。
仏生寺集落まで戻り、北向観音堂にお参りする。ここは行基や小野小町の伝説があるが、お堂はよくある田舎の観音様である。手を合わせて、山歩きの無事を感謝した。
北向観音堂は行基が開いたお堂とされ、小野小町がいぼ取りに拝んだという伝説がある。小野小町が筑波まで来るかという話はともあれ、筑波山は徳一和尚がいくつかの寺を開いた地域で、近くには徳一小屋とされる旧跡もある。トレランコースの奥にある薬師堂も、徳一が開いた。
徳一和尚は藤原仲麻呂遺児説もある、奈良時代末から平安初期に活躍した法相宗の僧侶。平安仏教の最澄と論争した僧としても有名で、いまでこそ奈良仏教の守旧派とされてしまうが、当時は仏教界の重鎮であった。
朝は私と釣人しかいなかったが、帰り道では農家の軽トラが何台も出て田植えの最中だった。束ねた苗を田植え機にセットして水田に植えている。お年寄りと若い人達が組になって作業している。おそらく力仕事が多いので、若い人が手伝っているのだろう。
千葉ニューでもそうだが、いまや農家も高齢化して、担い手はほぼすべて高齢者である。若い人が手伝えるのは休みの日だけなので、ゴールデンウィークに田植えをするところが多い。今年も天気に恵まれて、豊作で高く売れればいいと思う。
[Jun 4, 2026]
この日の行程
7:15 仏生寺集落(60) 7:15
7:30 中山集落(140) 7:30
7:50 林道分岐(230) 7:50
8:00 拓魂碑(297) 8:10
8:25 ふれあいの道合流(200) 8:25
9:00 北向観音堂(70) 9:15
9:45 里山学校駐車場(40)
[推定距離 11.4km]
拓魂碑からの帰路は、県道(関東ふれあいの道)経由。中山集落を経由するより、里山学校まで若干近いようだ。
仏生寺集落の北向観音堂をお参りする。古い石段を登るとお堂がある。
田植えの時期で、多くの水田に軽トラが止まって作業中であった。機械があるとはいえ人手も必要なので、みんなが休めるこの時期になるのは千葉ニューと同じ。
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