老後準備編 後期高齢者まであと10年を切り、いまから準備しておこうと思っています。

口を動かさないとボケるか?   断捨離は悲しいけど
  

口を動かさないとボケるか?

老後に関する本によく書いてあるのは、積極的に社会参加しないと会話の機能がどんどん衰えていき、ボケが進むということである。正直言って、誰かそういう意図があって(S学会とかK産党とか)書いてあるような気がして仕方がない。

これまでの経験からして、路上で話しかけてくるのは宗教か組織か、悪質なセールスだけである。普通の常識をもった人間が、よく知らない人に挨拶以外で他人に近寄って来ない。ご近所で顔を見知った相手でも、特段の用事がなければ個人的な話などしない。

ランニングで毎朝走っていると、よくすれ違う人はいる。かれこれ4~5年見かけるけれども、会釈とか軽く挨拶するくらいで、どこに住む誰なのかも知らない。道に迷っている様子であれば教えるくらいするけれども、あえて近づくことはしないし、お節介は相手に迷惑と考えている。

 

だから、退職したら町内会などに顔を出し、できるだけ社会参加しましょうみたいに書いてあると、そんなことする必要はないと思う。リタイアして10年、奥さん以外と話すことがほとんどない生活を送っているが、日本語を忘れるなんてことはない。ごくたまに電車に乗って出かけても、戸惑うことはない。

廃用症候群といって使わない機能はどんどん衰えるらしいが、口を動かさないと会話の機能が衰えるとか、日本語を忘れるなんてことはない。確かに、海外によく行っていた頃、しばらく行かないと英語がすぐ出てこないということがあったけれど、慣れればなんてことはない。まして、読み書きし聞いているのに話すだけできなくなるなんてことはない。

社会参加したい人間は自由にすればいいが、できるだけ他人と関わり合いにならない自由だってある。環境美化や万一の災害対応に関心がある人が地域活動するのは、私のランニングと同じで趣味の一環である。ボケ防止のためにあえてやるものではない。

そして、所かまわずべらべらしゃべっている人は個人的にどうかと思うし、ボケるボケない以前に人間としてどうなのかと思う。家族でなければ、余計なことを言わないし、用事がなければ黙っている方が、どうみてもまともである。

 

そういう次第で、口を動かさないためにボケるという心配はほとんどしていないが、むしろ心配なのは最新の機器に不案内なことである。先日も、これまでおばさんがレジをしていたスーパーが、セルフレジになった。同じセルフでも、スーパーによって微妙に操作方法が違う。

特に最近は、硬貨の使用枚数が限られるので、ちゃんと計算しないと財布が小銭で一杯になる。スマホは極力使わないことにしているので、なんとかペイなどもっての他である。まごまごしていると、すぐに機械に急かされる。口が動くとか以前に、機械の前で血圧が上がって頭が飛ぶ心配をしなければならない。

[Aug 11, 2026] 

老後の本を読むと、社会参加しないとどんどんボケるみたいなことを書いてあるものがある。私は奥さん以外と話すことがほとんどないが、幸いに日本語を忘れるということはない。


断捨離は悲しいけど

最近時間をみつけてやっているのが、昔書いた山歩き記事の修正・推敲である。少なくとも当分の間、筑波・房総以外の山には行けないので、奥多摩、丹沢、日光・尾瀬などの記事を書き直している。

古い記事だと十数年前になる。結構いろいろ行っている。いろんな山を歩き、いろんな山小屋に泊まり、危ないこともあった。昨今はクマ騒ぎで難しいが、そうでなくても歳だからこれまでのようにはいかない。

 

こうして活動範囲を狭めるのもひとつの断捨離で、考えてみると悲しいことである。ある意味、自分の人生の1部門を終結させることになる。家に例えると1つの部屋を封印して使わないのと同じだから、生きていくスペースが段々狭くなっていく。

人生の前半では次から次とやりたいことが出てきて、できることは楽しみ、できないことはあきらめてきた。ところがいまに至ると、楽しみが増えることはほとんどなく、あきらめることだけ多くなる。

来年は70歳だから、徐々に荷物を減らして身軽になる必要がある。荷物が多ければ重いし、いざ動こうとしても手足の自由が利かない。それは分かっているのだが、もう半分の自分が「まだまだ若い。そんなに荷物を軽くすることはない」と言っている。

 

とはいえ、年齢とともに体力も脳も衰えていく。「まだ若い、生涯現役」と言って、悪い見本になっている連中は世の中いくらでもいる。そうなるのは嫌なので、まず自分を納得させなければならない。

いま思っているのは、体力を使うランニングやジムトレーニングは、続けても害は少ないだろうということ。そんなにおカネは使わないし、時間だけ贅沢に使うのは年寄りに持ってこいである。

しかし、山歩きや国内外の旅行、寺社仏閣や温泉などを巡るのは、そろそろ断捨離した方がよさそうだ。全部あきらめるのも悲しいから、活動範囲を筑波と房総周辺に限るのも、そんなに悪くない選択のように思える。

 

ただ、こうして昔の記録を見ていて思うのは、同世代の誰かと比べるから恵まれていないとか悲しいとか思うけれど、例えば近いご先祖と比べると自分ほど恵まれている人間はいなかったろうということである。

3世代前までの2+4+8=14人は実際に見て話に聞いて大体分かるし、その前の3世代を含めて百人以上。6代前は文化・文政時代だから、まだ飢饉があった時代である。冷房やら自動車やら、清潔な住まいやちゃんとした薬だってないし、働く以外に余暇なんてそうそうなかった。

戦争以外で海外に行ったことなんてなかったろうし、山だって地元だけ。富士講やお伊勢参りがあったとしても、生涯に1度か2度。酒でも飲まなきゃやってられないかもしれない。

かたや私は、海外にも北海道にも何十回も行くことができたし、山だって百を超える。諸般の事情で近場にしか行けなくなったとしても、それでもご先祖より恵まれていることは確かだろう。

[Aug 21, 2026] 

年齢とともに余力がどんどんなくなるので、荷物を少なくせざるを得ない。悲しいことだが、同時代の誰かでなくご先祖と比べれば、やっぱり恵まれている。


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