京都の古寺・東寺(教王護国寺)

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もう半世紀近く前の大学生の頃、「京の冬の旅」という国鉄(!)の企画があって、この時期に京都のお寺回りをしていた。当時は駅前の京都タワーホテルくらいしか宿がなくて、予定をたてるのに大変苦労したことを思い出す。

その後しばらくして、関西に転勤になり京都に行くのに距離的には近くなったものの、毎晩9時くらいまで仕事させられるブラック企業で、しかも残業を付けると怒られた。土日もなんだかんだで静かにお寺回りする余裕などなかった。

そうした激務と引き換えに今日の年金生活があるので文句ばかりつけるのははばかられるが、もっと有意義な時間の過ごし方は間違いなくあったはずで、こうしてブログを書くのも過去の自分にアドバイスする意味もある。

以下は2010年2月の記事。もう14年前になりました。
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JR京都駅から歩いて行ける歴史あるお寺さんというと、三十三間堂と東寺がすぐに思い浮かぶ。ところが、このうち三十三間堂は何回も行っているものの、東寺には二十年以上前に一度行ったきりである。なぜかというとその一回の時、境内ががらくた市みたいなのでごった返していて、とても静かに仏像を見ていられる環境ではなかったからである。

この間京都に行く機会があり、恒例の「京の冬の旅」特別拝観で五重塔の内部を見せてもらえるということなので、久しぶりに東寺に行ってみることにした。京都駅から近鉄の高架線に沿って南下する。南口はここ十数年で再開発が飛躍的に進んでいる地域だが、今回も新しいショッピングセンターを建設中であった。

「→東寺」の道案内に従って右折、しばらく進むと五重塔が見えてきて東寺である。風が冷たくて少しだけ雨も降った寒い朝だったので、人もあまりいない。もちろん、にぎやかな出店などはない。ちょっと、ほっとする。

東寺は、平安京鎮護のため、嵯峨天皇の勅命により弘法大師空海が開いた寺である。平安時代には朱雀大路をはさんで西側に「西寺」があったため、通常は「東寺」と呼ばれる(近鉄の駅名も東寺である)が、正式には教王護国寺という。真言宗の系統の一つである東寺真言宗の総本山である。

国宝の五重塔は創建以来何度かの火災に見舞われ、現存するのは江戸時代の再建。全国の五重塔の中で最も大きなものなので内部には若干のスペースがあり、こうして折に触れて一般公開される。法隆寺や薬師寺の五重塔は東寺のものより古いが、規模が小さいこともあって、中は見せてもらえない。

係の人の説明と注意(撮影禁止など)の後、公開されている初層(1階部分)に入る。塔の中心には、心柱(しんばしら)と呼ばれる大きな柱があって、いくつかの材木をつなぎ合わせながら、屋根の上に突き出ている相輪(そうりん)まで続いている。東寺では、この心柱を真言宗の本尊である大日如来に見立て、その周囲に、4如来8菩薩を配置し、四方の壁には真言宗の高僧の姿絵が描かれている。

塔の内部に入ってまず注目したのは、心柱の接地部分。如来座像の下をガラス張りにして床下の見通しが利くようにしてあって、床下の礎石の上にそのまま置かれた太い柱が見える。これだけで塔全体が支えられているのは非常に印象的であった。

江戸時代の再建と聞いたせいか、塔の内部は日光東照宮とイメージが似ているように思える。特に、壁から天井にかけての曲線のフォルムや天井の格子模様は、まさしく江戸時代の様式である。

境内入り口からみた、東寺五重塔。

特別拝観の五重塔にまず行ってみた東寺だが、寺の至宝ともいうべき古仏は講堂に収められている。

京都にある寺社の多くは応仁の乱前後の時期に被害を受けており、この東寺についても室町時代の土一揆により伽藍のほとんどが焼失した。その時に、何とか寺の人々が持ち出して避難することができたのは比較的小さな仏像だけで、大きな仏像はその時に焼けてしまった。

講堂の仏像群は「立体曼荼羅」と呼ばれ、弘法大師空海による真言宗の世界観を示しているとされる。内陣には「五如来」「五菩薩」「五明王」の15の仏像が配置され、それらを囲んで「持・増・広・多」の四天王と、仏教を守護する梵天・帝釈天が置かれている。

仏教世界の格付けからすると、如来が最も上、次いで菩薩、明王、その下に天部となるが、この寺の場合は、四天王・梵天・帝釈天の天部と、わが国最古といわれる不動明王像を含む五明王が平安時代初期の木造仏であり、それぞれ国宝に指定されている。上に述べたように、戦災時に持ち出すことのできた仏像だからである。

この中でも、向かって右側を守っている梵天はこの寺独特の風貌をなさっている。梵天・帝釈天はインドの土着神が仏教に帰依した姿とされ、帝釈天が多くの場合甲冑をつけた武人の姿をしているのに対し、梵天は静かに瞑想しているような像が多い。ところが東寺の梵天像は、興福寺の阿修羅像のように三つの顔で周囲を監視している。

そして、帝釈天が象に乗っているのに対し(古代インドでは象に乗って戦ったというから、それを示していると思われる)、4羽の鳥が蓮華座を背負い、その上に座られている。後で調べたところ、この鳥はガチョウだそうだ。四天王はもちろん、足の下に邪鬼を踏みつけているので、この寺の天部はすべて体の下に何かを置いていることになる。

正面から、左から、右から、それぞれじっくり鑑賞する。現代のわれわれにとって、曼荼羅より後の時代の思想である阿弥陀信仰はイメージ的にとらえやすい。来世に極楽浄土に往生するため、阿弥陀如来の本願を信じてひたすら念仏するというのは分かるような気がする。一方、この曼荼羅世界がすぐにイメージに結び付くかというと、ちょっと分かりにくいところもある。

そして、非常に多くの仏たちが登場するため、曼荼羅は織物に示されることが多いのだが、空海はそれを抜粋し、核心部分を立体曼荼羅として二十余りの仏像群で示した。東寺の講堂で、しばし密教世界の深淵に浸ったのでありました。

[Feb 23, 2010]

p.s. 神社仏閣古墳探訪、バックナンバーはこちら

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東寺境内。手前の建物が講堂、奥が金堂。五重塔はこの角度からは左側。