組織は森と同じ、一緒に働くのは違う生物種

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組織がどういうものか分かったのは、サラリーマンをやめて年金生活に入ってからである。

現役の頃は、組織人であるならばその発展と存続が最優先なのは当り前だと思っていたが大間違いで、世の中の多くは自分がより多くの分け前を得ることしか考えていない。(だから、「お得」「儲かる」記事ばかりアクセスが増える)

せめてそのくらい誰か教えてくれてもよかったのにと思うので、こうして誰かに向けて発信している。以下は2022年3月の記事。リタイア後なので比較的最近である。
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一年ほど前に、会社とか組織は所詮ゼロサムゲームなのに、若い頃誰もそのことを教えてくれなかったと書いたことがある。

基本的にその考えは変わらないのだけれど、最近、ゼロサムゲームというのは言葉が通じる人間という前提で言っているのかもしれないと思うようになった。実態はもっとよくないかもしれない。

家の庭に、ときどきメジロが来て目を楽しませてくれる。せっかく家の庭を覚えたのだからと、ご褒美にみかんを半分に切ったのを枝に刺しておいたことがある。

ところが、数日もしない間に体の大きなヒヨドリがこれを見つけて、用意しておいたみかんを食い散らかして行くようになった。メジロが来ると、大声で威嚇して追い払う。見ていて楽しくないし、前の道路まで食べ残しの皮を散らかす始末である。

だから、みかんを枝に指しておくこと自体やめてしまった。時々、メジロが来て、「ないんですか?」みたいな目でこちらを窺うのがかわいそうなのだけれど、ヒヨドリが向こうで大声を出しているのであげても取られてしまうだけなのだ。

ヒヨドリにしたところで甘いものは好きだし、春先で食糧の乏しい時期にお行儀のいいことはしていられない。メジロに譲って自分が飢えたらたまらないし、体がでかいのは自分の好きでしている訳ではない。巣に帰れば、きっと雛もいるのだろう。

そこで気が付いたのである。会社とか組織なんて、こんな程度のものだったんじゃないだろうか。

鳥は森が存続することが目的なのではなく、自分や子供達が飢えずに暮らすことだけがすべてである。言葉も通じないし価値観だって違う他の鳥のことなど、構っている暇はない。環境保護だの温室効果ガスなんて難しいことを考えるだけの頭がない。

会社とか組織だって同じである。みんなが組織を長く存続させ、自分達が安心して暮らせることを目的としていたのではない。とにかくここが餌場(えさば。職場の誤字ではない)なのだから、ここで食べるしかない。餌が違えば目くじらたてないが、同じ餌を争っているなら威嚇して蹴散らすだけである。

そうやって餌をくれる人がいなくなれば、組織全体の食い扶持は減ってくるけれども、そんなことは自分達が食べた後の話である。ヒヨドリと同じで、なわばりを主張して自分の餌を守ることが最優先なのである。

そういったことを若い頃教えてくれる人がいれば、もう少しうまく世渡りができたかもしれないが、誰もそういうことを教えてくれなかった。だから、こうして自分のブログに書いて、もしかすると見るかもしれない誰かにアドバイスするのである。

もっとも、会社訪問で先輩がそんなことを教えてくれたとしても、「そんな組織は長いことないんじゃないでしょうか」と思って静かにあとずさりしただろう。でも、きっとどんな会社も組織も、長続きすることはないのだ。

ヒヨドリ。でかいし、うるさいし、メジロを追い払うから嫌い。でも、好きでヒヨドリに生まれたんじゃないだろうし、巣には雛だっているんだろう。会社とか組織だって似たようなものだと思う。

昨日ちょっと書き足らなかったので、もう少し続き。森と生物のメタファーで考えると、会社で一緒に働くのは違う生物種であると思った方がいいような気がする。

例えば、一緒に働くのは同じ目的で組織に属している仲間だから、考えていることも一緒だし働く目的も同じであると考えることがそもそもボタンの掛け違いであり、諸悪の根源なのかもしれない。

例えば、「この仕事をするならこうした方がより効果が上がるし、短時間で済むから楽になるよ」と私が教えるとする。それは、私が私に教えるのならたいへん重要なことなのだが、違う生物に教えるとしたらどうか。

そもそも、相手は短時間で効率よく仕事をしたいと思っていないかもしれないし、誰かに教わること自体が腹立たしいかもしれない。組織が長く続くことなど優先順位の一番下で、自分が組織で上になることしか考えていないかもしれない。

例えばメジロが「人間から餌をもらえば全体のパイが大きくなるのだから、独り占めして餌をくれなくなるのは不利ですよ」とムクドリに言ったところで、「うっせえよ。俺の縄張りだ」でおしまいである。

つまり、私が何を言ったところで、自分の縄張りを荒らす奴だと思われていたら全否定にあうだけのことである。そもそも、言葉が通じているかどうかも怪しいものである。

あるいは、「私の存在そのもの」が自分の脅威と映っていたのかもしれない。だとしたら、何を言っても言わなくても同じことで、共存の余地がそもそもない。相手は、殺さなければ殺されると思っているのである。

繰り返しになるけれども、そんな組織に将来があるのかというと、間違いなく「ない」。組織が発展する、少なくとも存続するためには、自分の利害はひとまず「カッコに入れて」、組織全体の利害のことを考えなければ成り立たないからである。

けれども、ムクドリが森全体のことを考えないのと同様、会社人は組織のことを考えない。考えるのは、ムクドリ一族が多くの餌を独り占めして、他の鳥たちを森から追い払うことだけである。自然保護も森の存続も考えていない。

普通に考えれば、増え過ぎればいずれは食糧難になるし、駆除に遭うこともある。でもムクドリは、そんなことを考えないのである。

会社に入る時にこうしたことが分かっていれば、少なくともストレスは少なく済んだような気がする。誰も組織の永続など望んでいないとすれば、そのために苦労する必要などない。あとは、自分がどうやって必要な食糧を確保して、カタストロフになる前に引き上げるかという問題が残るだけである。

p.s. 「年金生活雑感」、年金生活を送りつつ日々思うことの記事まとめはこちら

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